
江戸幕府を開き、戦国時代の世に終止符を打った将軍「徳川家康」。「265年の時代を築き上げた世継ぎへのための子育て方法はどうだったの?」「子育てにおける17条の教訓」ってどういう内容なの?
「神君御文」「17条」ってなに?
こういった疑問に答えます。
「徳川家康の“子育て術” 子は若木のように育てよ」神君御文17条の極意とは?
江戸幕府を開いた天下人・徳川家康の子育ては苦労の連続だった! わがままに育った長男・信康に大いに悩まされた家康は、二代将軍となる秀忠の子育てには、ことのほか慎重だった。
晩年の家康が秀忠夫人・お江に宛てた貴重な手紙に記された「子育てにおける17条の教訓」(神君御文)をひもときながら、家康がどのようなことを大切に考えてわが子を育てたのか、その“子育て方法”は?
今回の記事では、265年続いた徳川幕府の徳川家康の”子育て法”(神君御文17条)をまとめてみました。
・神君御文 徳川家康の遺訓17条
・神君御文の徳川家康の子育て術
・上司にしたい歴史上人物第6位:徳川家康
・徳川家康は甘い男(スイーツ男)?
神君御文 徳川家康の遺訓
徳川家康が関ヶ原の戦いで身に着けたとされる「歯朶具足(しだぐそく)」。
この金具の漆黒の色を再現しようと彫金師が挑みました。https://t.co/Banb88CDUr— NHKニュース (@nhk_news) April 21, 2022
徳川家康は、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という言葉が有名です。この言葉から想像できるのは徳川家康はまさに、“忍耐”の人でした。
徳川家康は、幼少時代に織田や今川の人質として過ごし、三河を治める大名となってからも武田信玄や一向一揆に苦しめられ、数々の苦い経験をしています。
しかし、耐え忍ぶ経験から多くのことを学んだからこそ、天下を統一できただけでなく、260年余りも続く江戸幕府の礎を築くことができたといえるでしょう。
1.「不自由を常と思えば不足なし」
という言葉の意味は、「不自由があたり前と思えば、不満を覚えることもない」ということになります。
「不自由を常と思えば」ならどうでしょうか。現在置かれている状況があたり前なのだと思えれば、今現在起きている問題という呪縛から解放されて、「今の状況でできることは何か」を考えられるようになるはずです。
これは、論語の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を、徳川家康なりに解釈した言葉だといわれています。
論語の方は、「度が過ぎることは足りないことと同じくらいよくないこと」といった意味ですが、家康は「足りないことは度が過ぎるよりも優れている」と解釈を変えているのです。
その理由は、「足りていない」と思うことで、もっと成長しなければならないというモチベーションが生まれ、常に緊張感を持って様々なことに取り組めるからだと考えたからかもしれません。
3.「多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に動く」
これは、「人数が多いと数に頼り油断が生じて力を発揮できないが、少数であれば団結力が増して力を発揮できる」という意味です。人が多いとリーダーの目が届きにくいこともあって、「自分がやらなくても誰かがやってくれる」と考える人が少なからず出て、組織としての推進力が落ちてしまいがちになるということでしょう。
それだけではなく、組織を構成するメンバーには、めざすべきゴールを示して、各々の役割も明確にすることが肝要だと伝えているようにも思います。自分のすべきことがはっきりしていれば、誰かがやってくれるといった油断は生じにくくなるからです。
でなければ、聴くに値することをいう者までもが、発言をしなくなる」リーダーは、常にチームのメンバーから見られているものです。そのため、メンバーの意見には等しく耳を傾けるべきで、この名言は、それを怠ると「部下の意見を聞かないリーダー」というレッテルをはられて、せっかくの金言を聞く機会すら失してしまうということを意味しています。
恐れられているようで、あなどられ、親しまれているようで憎まれている。
だから大将というのは勉強しなければならないし礼儀をわきまえなければならない」
6.「家来を禄でつないでも、機嫌をとっても、遠ざけても近づけても、怒らせても油断させても“ならず”……と言っています。
つまり、肝心なのは、リーダー自らが仕事に対する姿勢や態度、言葉遣い、覚悟を示すことで、「家来(部下)に惚れさせる」ことだというのです。家康は、部下たちに「このリーダーの力になりたい」と思わせることが、苦境にも粘り強く対応できる組織を作る秘訣だと教えてくれているように感じます。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
この意味は、おおよそ次のようなものです。
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。
神君御文から徳川家康の子育て術
徳川幕府の命運を握るのは2代目・・・にかかっている・・・家康の後継者を「できるやつ」に育てあげることに取り組みます。
「神君御文」(しんくんおふみ)という徳川家康が息子の秀忠の妻 お江に宛てた手紙です。
子育てにおける17条の教訓を家康自らの経験をもとにさとしたとされています。いわゆる徳川家康の教育方針です。
ではいったい子育てをどのように考えていたのでしょうか?
徳川家康の子育て術 その1
若木のうちに添え木をし、悪い枝を切り取れ
徳川信康(長男)の子育てを自由にさせてしまった失敗を通じて反省します。
あまり窮屈な気詰まりなことはさせないで自由に育ててしまったら、わがままに育ってしまった。「親を尊敬することは思いよらず、何度言っても聞き入れずかえって親を憎むようになっていった」
そこから「植木のように育てよ」という方針ができたのです。
「植木の手入れをするときには「悪くなった枝があれば切り落とし、弱くて曲がってしまうようであれば添え木をしてまっすぐ育つようにする」・・・人間もそれと同じだと言います。
徳川家康の子育て術 その2
どんな相手でも聞く姿勢を持て
どんな相手からでも話をちゃんと聞くこと。「神君御文」の第7条に「大名自身は博学となる必要はない、その道の専門家から説明を聞いて良し悪しを判断できる力を養え」。
第8条「賞罰(しょうばつ)を正しく追従をしりぞけ諫言(かんげん)をすすめよ」
家臣(部下)から色々なアドバイスを聞く、そういう姿勢が殿様(上司)としてのあり方です。賞罰をきちんとする、自分に厳しいことを言ってくれるそういう家来の意見も大事にする。
子供と接するときは、子供の意見も聞く、周りの意見も聞く、聞<===>聴。
聴くということが、徳につながる
では聞き上手に育てるためには? 一番良い方法がひとつあります。それはしっかりと話を聞いてあげる親になること。
「どうしたの?」って聞いてあげる。子供はこういう訳で「私はいいと思ってやったらとんでもないことになっちゃったんだよ」というような弁解。
「弁解するんじゃない」というのは間違えです。弁解はすっかりさせる。その中に1パーセントなり3パーセントなり なるほどなと思えることがあるんです。
それに対して「それは大変だったね」と相づちを打つということ、そして「自分が受け入れてもらえた弁解を聞いてくれた」と思うと心が落ち着います。
まず聞く耳を親が持たないといけないということです。
上司にしたい歴史上の人物第6位
「太刀 無銘 光世作(ソハヤノツルキ ウツスナリ)」は明治44年4月17日に旧国宝に、後年施行の文化財保護法にて重要文化財に指定されました。今年で指定111年目です。
また本日4月17日は徳川家康公薨去の日(御命日)にあたり、当宮で最も尊い祭事である御例祭が厳粛に執り行われました。 pic.twitter.com/2UZXRL0kJ5— 国宝 久能山東照宮 公式🐯 (@kunozan_toshogu) April 17, 2022
1990年代後半から2010年頃までに生まれた若者は近年「Z世代」と呼ばれています。その「Z世代」に第6位として選ばれたのが、徳川家康です。
天下分け目の関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開いた徳川家康。「頭良さそう」「気軽に話せそう」との声がよせられました。戦国時代に終止符をうった将軍が上司だと、大きなプロジェクトも戦略を持って成功させそうですよね!
参考に、
1位:織田信長
2位:卑弥呼
3位:坂本龍馬
4位:福沢諭吉
5位:紫式部
6位:徳川家康
7位:野口英世
8位:渋沢栄一
9位:聖徳太子
10位:与謝野晶子
2023年の大河ドラマは松潤主演の「どうする家康」。舞台の一つ、岡崎市の活用推進課が主催する徳川家康公生誕480年記念シンポジウム「家康公と徳川四天王」は、早くも満員御礼のもよう。#激アツ #ドラマ放送開始まで残り8か月 #ビジネスチャンスhttps://t.co/rGEeER2NGD pic.twitter.com/ETOSzpwaYq
— オカビズ (@OKa_Biz) April 22, 2022
徳川家康ゆかりのスイーツ
家康は甘い男子!?
その生誕地・岡崎で和・洋菓子店、カフェ、甘味処などが、家康公への思いを盛り込んだ個性豊かなスイーツで、岡崎のまち歩きを盛り上げます。
八丁味噌けーき
家康が愛した八丁味噌をマーブル状に練り込んで焼き上げた菓子です。食べた方にしか分からない絶妙な甘さとカラさの人気商品です。遠方へのお土産にも喜ばれています。
味噌麩まんじゅう
家康が愛し、戦中にも食したといわれる味噌と餡子を絶妙なバランスで合わせて味噌玉にし、体に優しい植物性タンパク質、ミネラルが豊富な生麩で包んだ麩まんじゅうです。
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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