ビートたけしの相方が飛び降りた!下積み時代の相棒カーキーの自殺未遂

ビートたけし相方が、飛び降り自殺を図ったという話があるけど本当?
そんな疑問にお答えます。

ビートたけしが下積み時代の出来事で、カーキーと人物のエピソードだよ
日本を代表するお笑い芸人・映画監督であるビートたけし(本名:北野武)。
その華々しい活躍の裏には、語られることの少ない壮絶な下積み時代と、
彼を支えた“幻の相方”の存在がありました。
その人物の名は「カーキー」――。かつて「リズムフレンド」
というコンビ名でたけしと舞台に立ち、夢を追いかけた若者です。
しかし、ある事件を境に彼の名前は芸能界から消えることになります。
■「カーキー」という男と、浅草フランス座の日々
浅草キッド
久しぶりに余韻に浸れる映画に出会えた気がします。
ネトフリ限定なのが残念。
誰もいない映画館でこっそり涙したい。 pic.twitter.com/NtRM3OKRO8— Vincent©︎ (@vin_yokikana) April 5, 2022
970年代、たけしは浅草フランス座で芸人としての一歩を踏み出します。
そこで出会ったのが、富塚和樹という若者。
コメディアンの夢を諦められず、舞台の世界に飛び込んできた彼は、
やがて「カーキー」と名乗るようになります。
2人は意気投合し、劇場の屋上で朝までネタを練るなど、
苦しい生活の中でも本気で笑いを追い求めていました。
コンビ名は「リズムフレンド」。
売れる日を信じ、励まし合いながらステージに立ち続けたのです。
たけしとカーキーは、
いつも意味のないオカマ役をやらされていました。
【再掲】ビートたけしさんの初舞台(コント)は、オカマ役だった。笑福亭松之助師匠によると、さんまさんの初舞台(コント)もオカマ役だったとのこと。たけし&さんまは芸人としての第一歩が同じだった! pic.twitter.com/URupkDCVXR
— エムカク (@m_kac) January 27, 2014
たけしさんは、芸に対してひたむきだったたカーキーさんを見て直感で、
カーキーとなら新しい笑いが作ることができるかもしれない
二人は、毎日、朝まで笑いについて語り合い、劇場の屋上でコントの
練習に明け暮れるなど、一緒に売れようと誓い合うほど、仲が良かった。
二人は、毎日、朝まで笑いについて語り合い、劇場の屋上でコントの
練習に明け暮れるなど、一緒に売れようと誓い合うほど、仲が良かったそうです。
やがて、カーキーさんがアドリブが出来ないなど、
自身との実力に大きな差を感じるようになっていきます。
■すれ違い始めた“笑い”の方向性
当時人気だった「やすきよ」を超えたい――。たけしは、さらなる高みを目指し始めます。
しかし、カーキーには即興力やアドリブの面での壁があり、次第に2人の間に“実力差”が生まれていきました。
真面目で努力家だったカーキーは、その差に苦しみ、心を病み、ついには入院することに。そしてコンビは自然消滅してしまいます。
■そして起こった“飛び降り事件”――
しばらくして届いた衝撃の知らせ――。
カーキーが、建物の2階から飛び降り自殺を図ったのです。
幸い一命は取り留めたものの、病床でたけしにこう告げました。
「もう芸人になる夢は諦めたよ」
その言葉は、たけしの胸に深く刻まれたといいます。
■「浅草キッド」に刻まれた想い
たけしが1986年にリリースした楽曲『浅草キッド』には、カーキーへの想いが綴られているとされています。
「夢はすてたと言わないで
夢はすてたと言わないで…」
このフレーズは、かつて夢を語り合い、同じ背広と蝶ネクタイを作って笑いに人生を賭けた仲間――カーキーに向けた鎮魂の詩なのかもしれません。
お前と会った 仲見世の 煮込みしかない くじら屋で 夢を語ったチューハイの
泡にはじけた 約束は 明かりの消えた 浅草の コタツ1つのアパートで
同じ背広をはじめて買って 同じ形のチョータイつくり
同じ靴まで 買う金はなく いつも笑いのネタにしていた
いつかうれると信じていた
たけしは、
「俺はすごく悪いことしたなと思っていて。やすきよの上を目指しちゃったのよね。
横山やすしさんがボケ・ツッコミうまいじゃん。やっているうちにどうにかなるだろうと練習するんだけど合わない。
俺の相方も俺以上に分かっている。ワッとアドリブが出ないこととか。煮詰まっちゃって…」と当時を振り返り、「事件あってから会いに行ったんだけど、もう夢を諦めたよって言われたときは参ったね」
としみじみと語っていた。
■たけしが語った“後悔”
「俺は悪いことしたなと思ってるよ。
やすきよの上を目指しちゃって…。相方も分かってたんだよ、
アドリブが出ないってことを。煮詰まっちゃってさ…」
その後たけしは「ツービート」としてビートきよしと共に
成功の階段を駆け上がりますが、カーキーの存在が今も彼の心の奥に残っていることは、
時折漏らす言葉からも伝わってきます。
ビートたけし熱湯コマーシャル
ビートたけし熱湯コマーシャルの原点
たけしはやる気が気を失せ、踊り子さんがデベソで踊っているうちに、幕を閉めてタライに湯を張るのだが、あまり温度など気にしなかったので、熱湯を入れてしまい、幕を開けると、踊り子さんが足をタライに入れた瞬間、ぎゃ!と声がした。
ヘトヘトになりつつも、頑張って進もうとしている今の水道橋博士へ、ちょっと一息ついた時にこの殿(ビートたけしさん)のかっこよくも愛おしい映像を観て頑張って欲しくて、エールの意味を込めて‼️博士も出演されています✨懐かしきお仲間のお姿も✨https://t.co/kCMDSXKC8w
— 火消し娘 (@DdXu20OoqdR2FuS) May 23, 2022
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🌟まとめ|消えた相方がいたから、今のたけしがいる
私たちが知る“天才”ビートたけしの裏には、名もなき相方・カーキーとの絆と別れがありました。
成功の裏には、誰にも知られずに去っていった“もうひとりの天才”がいる。
このエピソードは、ただの芸能裏話ではなく、人と人との「夢」と「挫折」、そして「友情」の物語です。
さいごに ビートたけし「名言」
というわけで、今回は以上です。
最後に北野たけし名言で締めたいと思います。
人生で楽しいことばかりじゃない。苦しいと思うことも生きている証だと思えば楽しめる。
必死にやってもうまくいくとは限らなくてどうにもならないこともある。それが普通で当たり前だってことの方を教えるのが教育だろう。
努力ってのは宝くじみたいなものだよ。買っても当たるかどうかはわからないけど、買わなきゃ当たらない。
ビートたけし生い立ちを知ることができ、あなたに元気を与えます!舞台は戦後から高度成長期に沸く東京。たけし少年の初めての記憶から、オリンピックを経て、学生運動の気運高まる時代の中、新宿を彷徨っていた大学時代まで。突き刺さるノスタルジーと青春のモラトリアム…。人間の本質に迫る私小説!
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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