
私はカレーが大好き! 特にココイチ(Coco壱番屋)の色々な種類のカレーライスの中でも大好きなのは「とんかつカレー」

「ココイチ(Coco壱番屋)の創業者・宗次徳二さんの生い立ちってどうなの?」「どうやってココイチを作って成功したの?」
こんな疑問にお答えします。
ココイチの創業者の生い立ちは壮絶すぎる、宗次徳二さんは孤児育ち
ココイチ創業者・宗次徳二さんの壮絶すぎる半生……そこから這い上がった!
多くの人から愛されるカレー、カレーチェーンでは一人勝ち状態を続けている”ココイチ”こと「カレーハウスCoco壱番屋」。現在は世界各所に1000店舗以上を展開し、「最も大きいカレーレストランのチェーン」としてギネスにも認定されています。
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そんなココイチは、2015年10月にハウス食品グループに買収されたことで大きなニュースになりました。
創業者である宗次徳二さんは、株の売却益で220億円もの資産を手にしたと言われていますが、 その圧倒的な成功を紐解いてみると、その裏にはちょっと想像を絶するような半生があったので、今回の記事で紹介させていただきます。
- 宗次徳二(むねつぐ とくじ)さんの生い立ち(孤児)
- 宗次徳二さんの壮絶少年期
- 成功への道カレーハウスcoco壱番屋始動
ココイチの創業者の生い立ち「宗次徳二さん」
引用:photo by : http://matome.naver.jp/
宗次さんは石川県で誕生しましたが、戸籍上ではされていますが、両親は不明です。
生後間もない乳飲み子の間に実の両親は彼を手放し、兵庫県尼崎の孤児院へ預けたといいます。
ココイチ創業者生い立ち「壮絶幼少期」
養父は働きもせず、数百円でもあれば競馬やパチンコに行くほどのギャンブル狂で、掃除をしていないだけで宗次さんを殴りつけるほどの暴力男でした。
家族は生活保護を受けて貧しく暮らすも、養父がギャンブルに使ってしまうために家賃が払えずに廃屋を転々とする地獄のような生活でした。
その後、祖父に愛想をつかした養母が失踪し、宗次さんは養父と2人で生活するようになります。
電気も水道も引けないので、廃屋でロウソクに火をつけて過ごしました。 道に生えている雑草を食べて餓えをしのぎ、学校には弁当を持っていけないので、お昼ご飯の時間は一人で校舎裏に隠れて時間をやり過ごしていました。
養父のためにパチンコ店で床に落ちている玉を拾ったり、道に落ちているシケモク(煙草の吸い殻)を拾って少しばかりの生計を立てていました。
吸い殻を拾わないだけで全裸にされて殴られるという祖父の虐待は、15歳のときまで続きました。
少年時代
「千円札なんて見た事もなかった」・・・
と宗次さんは言います。
DV行為に地を這いつくほどの極貧生活。この時の屈辱と壮絶過ぎる生い立ちが後の宗次さん
の肥やしになっていきます。
実の両親の顔・名前も知らない・・・、養父からの虐待されて育てられてきた・・・
想像を絶する悲惨な人生・・・・
ココイチ創業者の生い立ち「貧乏から脱却の第一歩」
そんな生活から、ようやく解放されるのは15歳で、養父が胃がんでこの世を去った時から、ようやく
宗次さんの人生が少しづつ変化してきたのかもしれません。
学校にお弁当さえ持っていけない生活が続いている中でも、先生が自宅訪問すると言っても極貧生活をしている所を見られたくなかったと言います。
そうでしょう!みんなが貧しいとは言え、このような荒れ果てた生活でも思春期の青年にはプライドがあったでしょう。それがどんなに辛く苦しい生活と孤独だったとしても・・・
養父亡き後は養母と暮らし、ようやく普通の高校生活を送れるようになった宗次さん。お金がないので高校進学は諦めていた宗次さんですが、担任の強い勧めもあって進学を決めます。
ココイチ創業者生い立ち「アルバイト生活からの脱出」
生活費や学費を自分で支払わなければならない宗次さんは、同級生の実家が営んでいた豆腐屋でアルバイトをするようになりました。朝は5時半の始発電車に乗って、バイトをしてその金で自らの学費を稼ぎ、愛知県小牧高等学校を卒業します。
初めて自分でお金を稼げたこと、食べたいものが食べられるということが、本当に幸せだったと言います。
15年間必死に耐え続けた、どん底人生からの脱出でした。
こうしてお金を得られるようになったことで、高校も無事に卒業を果たすことができました。
妻との出会い。夫婦でココイチを創業
高校を卒業後、新聞広告を出していた不動産業の八洲開発㈱に応募して入社し、その約3年後の1970年に大和ハウス工業名古屋支店に転職します。
そこで、同僚であった現妻の直美さんと運命的な出会いを果たし、2人は結婚します。
結婚から2年後、二人は独立を決意し、自宅の一階に不動産仲介の岩倉沿線土地の看板を掲げました。1973年に自宅兼会社として自宅の1階を会社として不動産仲介会社を開業します。しかし、独立起業がそんなに上手くいくわけはなく、不動産業の収入は不安定で生活が成り立ちません。
収入も不安定だった状況を打開するべく、宗次夫婦は現金収入を得る手段として1974年ココイチの前身となる喫茶店『バッカス』を夫婦で名古屋市西区で開業します。
今でもそうだが当時から名古屋近郊で喫茶店と言えばモーニングが付いて無い店など皆無だったが「バッカス」は独自の路線でモーニングではないサービスを心掛け独自の路線で経営。
オープン初日からお客が入るようになり、宗次さんは喫茶店こそが天職だと直感し、不動産仲介業からは手を引くことを決断します。
真心を込めて「お客様第一主義」を心がけて経営したそうです。
お客さんから一番人気があるのが直美さん手作りのカレーであることに気づき、カレー専門店へのシフトを決断します。こうして1978年(昭和53年)愛知県春日井に1号店となる『カレーハウスCoCo壱番屋』を創業開店する。
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このカレーハウスcoco壱番屋の初出店から10年後の1988年には500店舗出店に。
今では国内で1000店舗のモンスターカレー専門店で国外にも出店を持つ唯一無二のカレー専門店と
なっている。
ココイチと言えば、豊富なトッピング、辛さ、ご飯の量などを自分で選べることが特徴ですよね。
このように”Myカレーを作れる”という密かな楽しみを価値として提供することで、カレーとしてはやや高めな価格設定(平均800〜850円)を可能としています.
そのため、ココイチは値下げをしません。
低価格競争に乗らずとも売上を右肩上がりに出来ているのは、お客さんからの指示の高さの現れですね。
また、複数のトッピングが重なってくることを前提として作られているルーは、シンプルさを徹底しています。お客がどんなカスタマイズをしても味を崩さないように研究されているようです。
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さいごに
自らの求めるように望むように人生は手に入るのだと思い知らされる宗次徳二さんの生い立ちとその現在に続く生涯を調べて思いました。
これ程までに実業家としての成功を収めた人物が、あれほどの壮絶なお生い立ちを過ごして尚「自分にお金を使うのが恥ずかしい」と言い切る宗次さん。
この人だったからこそcoco壱番屋の成功があった。
そう思わされる人物そのものです。
丸ごと真似は出来なくても心を現れる思いがする。
宗次徳二さんの作ったお店のカレーが食べたくなりました。凄い人物ですね。
最後までお読みいただきまして
ありがとうございました!
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