世界的有名なスティーブンスピルバーグは数年前に自身が発達障害の学習障害(ディスレクシア(読字障害)だと告白されていました。
診断を受けたのは幼少期ではなく60歳頃のようです。
「もっと早く診断されていれば良かった」と語っています。
その人は映画好きでなくても知しっている映画監督
作った映画は大ヒットしているものばかりです。
あの「E.T.」「インディ・ジョーンズ」もそうですよね。
「ジェラシック・パーク」「バック・トゥザ・フューチャー」
スティーブン・スピルバーグってどんな人?
こんな疑問にお答えします。
スティーブンスピルバーグ症候群 発達障害だった!!
何度も挫折の経験をしてきた人は多くいます。その挫折経験の中には心が折れてしまうこともあります。
私も数多く失敗してきて、何度も諦めかけてきました。
ふと他の人の挫折経験を聞いたりすると、『あれ?自分の失敗はそこまでじゃないかも』と
不思議と前向きになったりするときがあります。
そこで今回の記事は、後に挫折経験を何度もしながらも最終的には成功者として多くの人たちに知られたスティーブン・スピルバーグ失敗談をまとめて見ました。
- 発達障害(学習障害)とイジメを受けた少年期のスティーヴン・スピルバーグ
- 映画監督への道からヒット作を数々生み出したスティーヴン・スピルバーグ
スティーブンスピルバーグ症候群=発達障害(学習障害)
Steven Spielberg’s Amblin Partners is teaming up with Netflix!
Thrilled to announce that the legendary filmmaker’s company will produce multiple new films for Netflix each year. pic.twitter.com/FYzg7rqwed
— NetflixFilm (@NetflixFilm) June 21, 2021
映画『E.T.』『シンドラーのリスト』の監督として知られるスティーヴン・スピルバーグが、発達障害の学習障害の一つであるディスレクシア(難読症、読字障害)と診断されていることを告白しました。過去にスピルバーグはアスペルガー症候群との診断を受けたことを明かしていたが、自身の学習障害について語るのは初めてのことでした。
スピルバーグは、発達障害(学習障害)を持つ青少年のためのウェブサイトFriends of Quinnのインタビューでディスレクシアであることを告白。だが、その診断結果をスピルバーグが受けたのはわずか5年前のことであり、自身が子どもだった1950年代は現在ほど学習障害についての理解が広まっておらず、そのためにさまざまな苦労をしたと振り返っています。
スティーブン・スピルバーグの少年期はイジメられっ子
学習障害だったため、「授業で皆の前で教科書を読むのが辛かった」と語っており、
自身が子供だった頃(1950年頃)には学習障害に対する認識があまりない時代であった為、一部の教師からも「怠けている」とも言われたり、特に中学校のときに同級生から何度もイジメられていたようです。
当然、学校が大嫌いでした。実際、スピルバーグは読字障害のため、学校を同級生に比べて2年遅れで卒業。そのことでイジメを受けた過去や、学校が嫌いだったことも告白。そんな生活で救いとなったのが、映画制作です。「映画を作ることで、わたしは恥ずかしさや罪悪感から解放されました。
「映画を作ることで、私は恥ずかしさや罪悪感から解放されました。映画製作は、わたしにとっての『大脱走』だったのです。」と語っています。
ステーブンスピルバーグの映画監督への道
Steven Spielberg’s WEST SIDE STORY is the best movie of the year. #ad Critics hail the 7-time ACADEMY AWARD® NOMINEE as, “an undeniable masterpiece.” FYC in all categories including BEST PICTURE. Now Streaming on #DisneyPlus 💃🏾✨ pic.twitter.com/6EB8wFLhFk
— The Hollywood Reporter (@THR) March 14, 2022
映画学科が充実しているカリフォルニア州立大学の入学を希望するが、入学を3回も断られる。入学でき映画を学ぶが、後にその大学を中退し、ユニバーサルと契約。
1972年、TV映画「激突!」で注目され、以後「ジョーズ」(75)、「未知との遭遇」(77)、「レイダース 失われたアーク」(81)、「E.T.」(82)など発表する作品が次々と記録破りの大ヒットとなり、ハリウッド随一のヒットメーカーとなる。
93年には「ジュラシック・パーク」が自身最高の世界興行収入を記録し、「シンドラーのリスト」でアカデミー作品賞と監督賞を受賞。名実ともにハリウッドのトップに立つ。
以降も94年に映画スタジオ、ドリームワークスSKGを設立するなど映画業界をリードし、「プライベート・ライアン」(98)では2度目のアカデミー監督賞を受賞した。
その後も「ミュンヘン」(05)、「リンカーン」(12)、「ウエスト・サイド・ストーリー」(21)でもアカデミー監督賞にノミネート。1980年代から90年代、00年代、10年代、20年代の各年代でアカデミー監督賞にノミネートされている。
だが、現在でも本や脚本を読む際は普通の人に比べ、2倍の時間がかかるというスピルバーグ。それでも、映画監督として成功できたのは周囲のサポートがあったからこそ。スピルバーグは同インタビュー中で、学習障害を抱える子どもたちに対して、「学習障害は、思っているよりもずっと一般的なものです。自分一人だけが悩んでいるものではありません。それでも、学習障害があることで、今後やりたいことをやるためには、さまざまな困難が降りかかるでしょう。でも、それはあなたの可能性を狭めるものではないのです」とメッセージを送っています。
Steven Spielberg’s 𝑬.𝑻. 𝑻𝒉𝒆 𝑬𝒙𝒕𝒓𝒂-𝑻𝒆𝒓𝒓𝒆𝒔𝒕𝒓𝒊𝒂𝒍 (1982). The film that comes closest to Walt Disney’s decades-long aspiration: a tour de force of heartwarming wonder and magic, that melts even the most cynical of dark hearts. pic.twitter.com/xoDlmfipbz
— Jim Allder🎬 (@JimAllder) March 13, 2022
スティーヴン・スピルバーグ監督の名言
僕は、夜に夢を見るんじゃない。
一日中夢を見ているんだ。
生きる糧として、夢を見ている。
すべての良いアイデアは悪いアイデアからスタートする。
だから良いアイデアが生まれるには長い時間がかかるんだ。
僕たちは皆、毎年毎年違う人間なんだ。
一生を通じて同じ人間なんてことはない。
僕は年齢を重ねても、決して年を取らない。
それがハングリー精神を維持する秘訣だ。
さいごに
偉大な功績を残している成功者の多くは口を揃えていう。『好きな事だから続けられた。』
お金や名誉や栄光だけを求めていては、たった1度のビジネスや仕事で失敗した途端にすぐに諦めてしまうだろう。
熱意を持って続けていけるものだからこそ、このような大成につながるのではないだろうか。
もちろん、これをどう捉えるかはあなた次第である。
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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