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イケてるおばあちゃん・おじいちゃんが大活躍できる時代!高齢からの挑戦状!

遅咲き人生の成功者
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ゆず子

最近のおじいちゃんやおばあちゃんは、とってもパワフル!見ているだけで元気がもらえて、ポジティブな気分になります。

 

 

TOM

仕事でも家庭や地域の活動でも、元気な年長者と接すると不思議と自分にもちからが湧いてきますね!
「どうやったら楽しい人生をおくれるの?」「どうしてそんなに元気なの?」

 

こういった疑問に答えます。

 

どうしてかって? そりゃ人生を楽しむ方法を知っているからじゃなぁ🎶

 

 

イケてるおばあちゃん・おじいちゃんが大活躍できる時代!高齢からの挑戦状!

 

今回は、いくつになっても挑戦を続ける元気な「おばあちゃん」「おじいちゃん」たちの記事をまとめてみました。みんな「何事も、始めるのに遅すぎるということはない」という言葉を見事に体現していますね。

 

この記事を読んでわかること
  • おばあちゃん・おじいちゃんがどうやって人生を楽しんでいるかわかります。
  • あなたも人生をどうすれば楽しめるのかのヒントを得ます。

 

TOM

まずはじめは、私の大好きな水彩画家の「柴崎春通さん」の紹介です。

 

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柴崎春通さんの水彩画を初心者が描く方法は?マネライズが近道

 

柴崎さんの解説は終始穏やかな口調で、心が休まるような優しい雰囲気があります。しかし作品は、あのニューヨーク市を拠点とする有名な画家 ログロフがいますが、日本のロブロフと言われるほどの方です。

水彩画、クレヨン画、鉛筆画などにチャレンジしたい方必見ですよ。

柴崎春通さんプロフィール

1947年 千葉県生まれ。
1970年 和光大学芸術学科卒。
2001年 文化庁派遣芸術家在外研究員として渡米。アートステューデントリーグで透明水彩の研究を行う。文化推進者賞(米国政府)、ニューヨーク市警察栄誉賞受賞。
2002年 ザ・プラザホテル(ニューヨーク)で個展開催。
2017年 YOUTUBEにて「水彩チャンネル」をスタートさせる。

著書

「透明水彩画を描こう(グラフィック社)」
「水彩画プロへの技(美術年鑑社)」
「風景技法とプロのワザ 新装版 珠玉の水彩画(グラフィック社)」
「全体感で描く透明水彩(グラフィック社)」などがある。

 

柴崎 春通さんホームページ

柴崎春通さん名言

自分の好きなこと「これがやりたい」と思うことに向かって突き進む。人生においてこれに勝る幸せはないですね。

「ほかの誰でもなく自分のためにやっている」と思える時間が一日のなかにあると生活が豊かになると思います。

朝一番に「今日、ここ、自分」が楽しくなるようなことを考える、書き出す。そして実際にやってみる。それが一日を楽しく過ごすための私の習慣です。

 

 

 

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おばあちゃんは75歳から絵を描き始めた、グランマモーゼスはアメリカの国民的画家

75歳から絵を描き始めて、100歳まで描き続けた画家、グランマ・モーゼスをご存知でしょうか?

Anna Mary Robertson Moses、1860年9月7日 – 1961年12月13日)は、アメリカの画家。
グランマ・モーゼスの愛称で親しまれるアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスは、独学で絵を描いたアメリカの国民的画家です。

グランマ・モーゼスは、絵画の勉強をしたことがありません。農家の主婦として自然に囲まれて生きていました。

人生の大半をアメリカの片田舎の農婦として過ごしていたたグランマ・モーゼスですが、72歳のときに次女の勧めで刺繍絵の制作に取り組みはじめました。作品を友人や家族にプレゼントしていました。
しかし、リウマチが悪化したことで刺繍絵が難しくなり、妹の勧めによって75歳になってから本格的に絵を描き始めます。

これがグランマ・モーゼスの人生を大きく変える転機となったのです。

リュウマチで手が動かなくなってからリハビリをかねて油絵を描き始め、アメリカ人ならば誰もが知っている”国民的画家”にまで登りつめた人物です。
グランマ・モーゼス(モーゼスお婆ちゃん)の愛称で親しまれ、101歳で亡くなるまでに約1600点の作品を世に生み出しました。

 

 

 

次は、時代を令和から江戸時代まで200年以上タイムスリップしましょう!

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伊能忠敬がすごいのは地図の測量を大義名分に天体測定をした天文学者だった

 

じつは伊能忠敬は、宇宙に憧れを抱く、無類の天文マニアでした。

もっとも関心を持った星が地球。日本で初めて地球について調べたのが、伊能忠敬でした。

「地球の大きさを求められる!」と思う。地球の計測という途方もない調査に挑んだのです。

調査には、日本の各地に行く必要があります。そこで旅の許可を幕府から得るために、「地図作り」を口実にしました。

しかし、地球を測ることは簡単ではありません。

当時の伊能忠敬の知恵と工夫とは?どんなことをして挑んだのか?

 

御公儀から蝦夷地(現・北海道)へ行く許可をどう取るか・・・

忠敬が高橋と一緒に相談して書いた申請書の文章です。

「私は、現在では、天体観測など間違えなくできるようになりました。

たくさんの機器も買いそろえ隠居のなぐさみとは言いながらも、このままでは相すいません。

せめては後世の役に立つ、地図を仕立てたいと思うのです・・・・」

 

地図を作るという大義名分をつくって幕府に申請を出したのです。

その申し出が功を奏し、見事 幕府から許しを得ることができたのです。天文マニアがこうじて地球の大きさを知るために北海道へと旅だったのです。

1800年6月55歳の忠敬は測量の旅に出発しました。

 

 

 

では、江戸時代はこのへんにして、現代に戻りましょう。

陶芸家 辻村史朗、生きることは作ること奈良の仙人

 

ロバート・デ・ニーロなど名だたる海外セレブが愛し、メトロポリタンなど有名美術館も作品を所蔵する孤高の陶芸家が奈良にいる辻村史朗さん74歳。自宅は自ら山を切り開き井戸を掘り建てたもの。自生する野草やキノコを日々採り、畑で野菜を育て暮らいています。作陶も独学、露天で売るところから始め人生を極めたお話をします。

 

陶芸家の辻村史朗さんの人生の歩み
1947年(昭和22年) 0才
奈良県御所市で牧畜を営む家の4男として誕生。

1965年(昭和40年) 18才
東京駒場の日本民藝館で、大井戸茶碗に遭遇し、感銘を受ける。
このことがきっかけとなり、陶芸家を目指すことになる。

1966年(昭和41年) 19才
この年から3年間、奈良県の禅寺三松寺で禅の修行をする。

1999年(平成11年) 52才
アメリカのメトロポリタン美術館やボストン美術館に作品が展示される。

2021年(令和3年)時点で、辻村さんは、74才です。

生きることとは何かを問いかける辻村さんの日々、23歳で、奈良の山の中に廃材を使って自らの手で家を建て、竈まで自作されました。まるで仙人のような生活!

さらには画家として多くの油絵を描くこともあり、書家としての腕前も超一級品。芸術界における万能の天才と言ってもよいかもしれません。

 

 

将棋の駒師、遠藤正巳さん転職を転々とし59歳から人生終盤に輝く

妻の死・20回に及ぶ転職・母の介護・消えた年金…。

泥沼の人生を、終盤に大逆転させた遠藤正己さん(70歳)。職業は「駒師」将棋の駒を作る職人です。遠藤さんは元々、居酒屋を経営していましたが、44歳の時、最愛の妻を交通事故で突然亡くすとそこから店の経営は傾き、無職となってしまいました。

再就職先を探すも連戦連敗、20以上の職を転々とする。

59歳で始めたのが将棋の駒づくりだった。そこからわずか数年で、将棋界最高の舞台であるタイトル戦に自作の駒が採用されるまでになる。

 

 

おばあちゃん80歳 和田京子は起業し年商5億円を達成!でもそのお金どうするの?

 

ずっと専業主婦で一度も働いたことがなかった女性のお年寄が、79歳で宅建の資格をとって80歳で起業。

「79歳で宅地建物取引士(宅建)の資格を取得、80歳で不動産会社を起業」

御年87歳。80歳で起業する前は、教師だった旦那さんを支え、一男一女を育て上げた専業主婦でした。

和田さんは77歳のとき、10年間の介護の末、夫を自宅で看取りました。張り詰めていた糸がプッンと切れ、何をするにも気持ちが入らず、家で寝て過ごす毎日でした。

そんな京子さんを孫の昌俊さんが見かねて「何か好きなことを勉強してみたら」と勧めたといいます。

そこで思い付いたのは「宅建」の勉強だった。もともと家に興味があり、大工になりたいと思っていたほど。書店で宅建の本をみつけて開いてみたらおもしろくて一気読み。宅建は国家資格、働く、働かないは別として勉強するなら宅建に限ると思ったそうです。

そして娘さんの勧めもあり、宅建の資格を取るため、東京・水道橋にある専門学校に入学。宅建の資格を取る条件は、日本国籍以外に何もないということ。年齢制限もないのです。それから半年間、20歳代のクラスメイトと一緒に机を並べて猛勉強。

宅建試験を猛勉強して1年、合格率16%ほどの宅建の資格試験に79歳で合格。女性最高齢宅建合格者として専門学校から表彰されました。

80歳から不動産会社に就職しようと思い、生まれて初めて履歴書を書いたが、生年月日を書いたところでふと気がつきます。「どこの会社が80歳のおばあちゃんを雇ってくれる?職歴には主婦55としか書けない。せっかく得た資格を活かすなら起業するしかない」と決意しました。

 

 

 

マラソン世界記録 高齢者 中野陽子さん 81歳

2017年(平成29年)2月26日(日)に行われた東京マラソン2017にて、中野陽子さん(81)が4時間11分45秒で完走し、80~84歳部門での世界新記録を樹立しました。

ご自身の時計が示したゴールタイムは、世界新記録には3秒足らなかったと思い込み、ゴール直後は悔しそうな表情を浮かべていましたが、正式タイムが発表されると世界新記録を更新、その瞬間は喜びへと変わりました。

マラソン世界記録 高齢者 猪又佐枝子 86歳

マラソン専門誌ランナーズ 2020年7月号で発表した「2020フルマラソン1歳刻みランキング」。
完走者計1万1198人の中で最高齢が写真の猪又佐枝子さん、86歳です。(男性最高齢は84歳)。
2019年9月の札幌・豊平川トライアルマラソンを6時間9分33秒で完走しています。
現在の走行距離は月間250km。毎朝自宅近くの約1.1kmコースで10km走り、途中で200mダッシュを入れるのが日課です。
「年をとったら筋力が落ちるからスピードを上げて走らないとダメなのよ」。雨の日はランニングの代わりに自宅で社交ダンスを踊ったり、トランポリンを跳んで運動量を確保。「使っているスマートウォッチに歩数のノルマが表示されるから、ノルマに達するまでひたすら動き回っています(笑)」。
確かに運動を始めるのに遅すぎるということはないですね。

 

まとめ

リタイア後こそ人生で一番幸せな時間!

裏を返せば、幸福を感じている人のほうが長生きしているとも言えますが、余生を「自由な時間」と捉えられるかどうかは、大きな違いかもしれません。

おばあちゃん・おじいちゃん達は、リタイア後の人生に対して、とてもポジティブであると考えられている様です。

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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