
今日も歴史の勉強をしたけど・・
江戸時代の商人を知りたい

江戸時代の大商人の河村瑞賢はどう?

河村瑞賢はどんな人だった?
こういった疑問に答えます。
江戸の経済と物流を支えた立役者、
河村瑞賢を徹底解説!
江戸時代、日本の経済と物流に革命をもたらした一人の商人がいました。
その名は 河村瑞賢(かわむら ずいけん)。
今回の記事では、そんな河村瑞賢(かわむら ずいけん)とはどのような人物かについて紹介します。
河村瑞賢とは?江戸時代のスーパー商人の素顔
河村瑞賢(かわむら ずいけん)は、1618年に現在の三重県南伊勢町で
貧しい農家の家に生まれ、幼い頃から苦労を重ねながらも、
江戸時代を代表する大商人・土木技術者として名を馳せた人物です。
12歳で単身江戸へ上京し、最初は荷物運び(車力)として生計を立てていました。
ある日、流れ着いた野菜を使って漬物を売ったことがきっかけで商才が開花。
やがて材木商として成功し、将軍・徳川綱吉にもその才を認められて
旗本にまで取り立てられました。
瑞賢は、材木商として巨万の富を築いた後も、
海運整備・土木事業・新田開発などを通じて国家規模の事業に貢献。
彼の働きは単なる商売人の枠を超え、「物流の父」として語り継がれています。
【今日の墓碑銘】
1699年7月12日。河村瑞賢が死去。江戸時代の商人。貧農の家に生まれ12歳のとき江戸に出た。明暦の大火の際に木曽福島の材木を買い占め莫大な富を築く。幕命により奥州米を江戸・大坂へ運ぶ東廻海運と西廻海運を開拓。淀川治水のために安治川開削も手がけた
(81歳・病死) #生寄死帰 pic.twitter.com/81m4gq9Fbb— 義視🧬 (@kamo1868) July 11, 2019
🚶♂️幼少期から江戸への旅立ち
1618年、現在の三重県南伊勢町に生まれた河村瑞賢は、12歳で単身江戸へと旅立ちました。最初は車力(荷車引き)として生活を立てていたものの、海岸に流れ着いた野菜を漬物にして販売するなど、早くも商才の片鱗を見せていました。
🌲材木業で大成功、幕府に認められる
転機となったのは1657年の「明暦の大火」。江戸市中が焼失したこの災害のあと、瑞賢は長野・木曽福島から材木を買い集め、いち早く江戸に供給しました。その素早い判断と行動力により莫大な利益を得た彼は、一気に材木商として江戸屈指の大商人へと成長します。
この活躍を幕府が見逃すわけがありませんでした。
瑞賢の性格は・・・
江戸幕府の命で河村瑞賢が勧請して掘らせた「舟通し」と呼ばれる運河を通ってみました。 pic.twitter.com/MF6DmXhh1T
— 藤原敦 誰がタヌキじゃ!今でも館長と呼ばれる (@dyc93101) August 10, 2019
河村瑞賢の功績:物流革命の立役者
瑞賢の最大の功績は、日本の物流網を劇的に改革したことです。
彼は幕府の命を受けて以下の2つの海運航路を整備しました。
🔵 東廻り航路(1670年開設)
奥州(東北地方)の米を阿武隈川河口から江戸へ安全に輸送するルート。🔴 西廻り航路(1672年開設)
酒田から下関を経由し、大阪・江戸へと日本海を経由して米や物資を運ぶルート。
この整備によって、米不足に悩まされていた江戸へ安定した食糧供給が可能となり、
江戸の経済基盤が強化されました。
商人を超えた土木技術者としての一面
瑞賢は物流だけではなく、数々の土木事業にも携わりました。
淀川の治水工事の一環として安治川を開削
新田開発や銀山開発に従事
各地で「舟通し」と呼ばれる運河を整備
こうした事業を成功に導けたのは、現場の職人たちと心を通わせ、
現地に足を運んで指揮を取る“現場主義”の姿勢があったからです。
現場主義と人望により、治水工事・新田開発・銀山開発など、
さまざまな国家プロジェクトを任されるようになります。
代表的なものに、
大阪・淀川の治水工事
安治川の開削
船通し(運河)の整備 などがあります。
「良い仕事をするには、現場で働く人々のやる気を引き出すことが最も大事」
と語った彼の姿勢は、現代の経営者にも通じる哲学です。
🌸人柄と信頼、そして晩年
彼の人柄は、役人から労働者に至るまで多くの人々に愛されました。
気さくで腰が低く、細かいことにこだわらず大局を見て行動する瑞賢は、「天下に並ぶ者がない富商」と新井白石にも称賛されました。
1699年、81歳でその生涯を閉じますが、彼の偉業は今日でも語り継がれています。
⛩️ゆかりの地・三重県南伊勢町東宮
現在でも南伊勢町の東宮では「瑞賢さん」と親しみを込めて呼ばれ、以下のようなゆかりの地が残っています。
東宮不動の滝:家族の病気快癒を祈願した地
八柱神社の石鳥居:事業成功後に寄進した神社
自然と歴史が息づく東宮を訪ね、瑞賢の足跡を感じてみるのもおすすめです。
三重 南伊勢 東宮 不動の滝。(^ ^) pic.twitter.com/3nUiEaSS91
— motohiko sakaguti (@5758saau1) November 3, 2018
地元では「瑞賢さん」の愛称で今でも親しまれており、南伊勢町の東宮には瑞賢さんが子供のころ、家族の病気が治るようにと祈願をするために通ったと伝わる「東宮不動の滝」や、事業を成功させた際に寄進した八柱神社の「石の鳥居」などが残ります。
そんな瑞賢さんが生涯忘れることのなかった故郷東宮で、自然や歴史に触れてみてはいかがでしょうか?
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伊勢参りは二見から〜古くから伝わる浜参宮〜
現在でも南伊勢町の東宮では「瑞賢さん」と親しみを込めて呼ばれ、
以下のようなゆかりの地が残っています。
東宮不動の滝:家族の病気快癒を祈願した地
八柱神社の石鳥居:事業成功後に寄進した神社
自然と歴史が息づく東宮を訪ね、瑞賢の足跡を感じてみるのもおすすめです。
清き渚・二見浦
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お伊勢参りの際、伊勢神宮に参拝する前に訪れたい場所が「二見興玉神社」です。
二見浦は、神代に昔から清き渚と呼ばれた霊域であり、どこよりも清浄な浜辺です。
そして、かつて倭姫命がこの地を訪れた時、あまりの美しさに
二度も振り返り見られたことから、二見浦と呼ばれるようになったと言われています。
二見浦に立石浜で汐水を浴び、心身を清めて汚れを落とし、
清い体で伊勢神宮に参拝する儀式は「浜参宮」と呼ばれました。
まとめ:江戸時代のインフラ王・河村瑞賢のレガシー
河村瑞賢は、江戸の経済と物流を支えた名商人であると同時に、日本の土木技術発展に貢献した偉人でした。貧しい農家に生まれながらも、大きな功績を残し、今なお語り継がれるその姿勢は、現代を生きる私たちにとっても大きな学びになります。
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少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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