坂本龍馬の名言からひもとく夢と遺志を継承したものたち

坂本龍馬の名言からひもとく夢と遺志を継承したものたち教育
TOM
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幕末の浪人「坂本龍馬」は暗殺されてしまいました、「志半ば夢を達成できなかったけど、龍馬の遺志を引き継いだ人たちはいたの?」

こんな疑問にお答えします。

坂本龍馬の夢とその遺志を継承したものたち

 

 

文久3年(1863年)の頃から、龍馬は北方防衛を兼ねた蝦夷地(現・北海道)開拓を考えていました。国事多忙と若すぎる死により、龍馬自身がその計画を実現することはできませんでしたが、彼の遺志は二人の甥によって継承されていきました。

今回の記事は、坂本龍馬の夢とその遺志を継承した人たちをまとめました。

 

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坂本龍馬 名言

高知 白浜 白砂

豪快かつ気さくで、まっすぐな男「坂本龍馬」です。近代日本の幕開けに大きな功績を残した坂本龍馬。その生涯で遺した名言は数多く語り継がれ、今なお人々を魅了し続けています。

 

世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る

文(ふみ)開く衣の袖は濡れにけり 海より深き君が美心(まごころ)

世界の海援隊でもやりますかな

世の既成概念を破るというのが、真の仕事である。

いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。

時勢に応じて自分を変革しろ

「その時代や状況に応じて、自分を変えられるような柔軟性を持て」

外国に対して日本が遅れていると気づいた時、倒幕に向けて時代が動いている時、龍馬は今までの考え方に固執するのでなく、自分自身が時流を捉えて変わっていかなければならないと感じていたのではないでしょうか。

みなさんも、コロナの影響で生活が大きく変わり、世の中が早いスピードで変化していることを感じているでしょう。これからの世の中を生き抜いていくために、自分の考えや知識に固執するのでなく、変化を受け入れて柔軟に対応していきたいですね。

人の世に失敗ちゅうことは、ありゃせんぞ

「生きている中で、失敗というものはない」

龍馬は、攘夷に傾倒し脱藩、勝海舟に感銘し開国に、そして倒幕の方向へと次々と考え方を変化させています。しかし、それを間違いや失敗とせず目標達成の通過点とすれば、結果は成功しかありません。一見、失敗に見えても、それは貴重な経験で成長の糧になります。目標を諦めない限り、失敗はないのです。

みなさんも、失敗して落ち込むことはあるかもしれません。でもその目標を諦めず、再チャレンジして成功することができれば、上手くいかなかったことは成功への道筋の一部になります。目標を諦めずに、粘り強く挑戦していきたいですね。

 

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坂本龍馬 北海道開拓計画

長崎 坂本龍馬のブーツと錨

坂本龍馬の妻・お龍が残した回想談の中に、このようなものがありました。

「北海道ですか? あれはずっと前から海援隊で開拓すると言っておりました。私も行くつもりで、北海道の言葉をいちいち手紙へ書きつけて毎日稽古しておりました。ある日望月さんが白の陣幕を作って来ましたらから、戦争もないのに陣幕を造ってどうすると聞けば、北海道は義経を尊むからこの陣幕へ笹竜胆(胆)の紋を染め抜いて持っていくと言っておりました。

引用:「千里の駒後日譚」

龍馬の妻・お龍の記憶通り、龍馬はかなり早い時期から蝦夷地(現・北海道)の開拓に心を傾けていました。

海援隊の同志と北海道の地へ渡り、開拓を志す龍馬の視界の中には、北地での防衛活動の実践などもあったようです。龍馬は千葉道場の千葉重太郎から蝦夷地の話を聞き、大いに刺激されたものと思われます。

ですが、その時最高の知識を持っていた、土佐出身の北添佶摩(きつま)が池田屋事件で殺害されてしまい、その後神戸海軍操練所が閉鎖されてしまい、幕府艦での蝦夷地渡航をはじめとする当初の龍馬の蝦夷地開拓計画は、いったん無に帰さざるを得ませんでした。

 

坂本龍馬 継続した情熱

しかしその後、薩長和解などの諸事に奔走する中でも、龍馬の情熱は冷めませんでした。

海援隊約規にも「開拓」の文字が記載されており、その海援隊が発足する直前の頃、龍馬は二人の知人にこんな手紙を送っています。

先年ご同様、かの北門の方へ手始めいたし候を、また思い出したり。このたびはすでに北行の船も借受申し候。その期限は三月中旬より四月一日には多分出帆仕りたしかと心積もりいたし申す・・・

小弟は蝦夷に渡らんとせし頃より、新国を開き候は積年の思い、一生の思い出に候間、何卒一人でなりともやり付け申すべくと存じおり申し候。

龍馬の蝦夷地渡航の目的は、「新国を開く」こと、つまり開拓だったことが、ここで改めて明示されています。

 

坂本龍馬の遺志を継ぐものたち

江戸時代の日本地図の測量法は画期的

坂本直(さかもと・なお)(旧名・高松太郎)は、天保13年(1842)11月、土佐郷士・高松順蔵の長男として生まれた。母は龍馬の長姉・千鶴(ちづ)であり、龍馬の甥にあたります。

甥とはいえ7歳しか違わなかったため、龍馬は弟のように思っていたでしょう。

文久元年(1861)9月、土佐勤王党に加盟して尊皇攘夷運動に奔走していたが、文久3年1月、叔父の龍馬に誘われて勝海舟の門下生となり、海軍術を学びました。以後龍馬と共に行動して亀山社中や海援隊の中心人物の1人として活躍。

龍馬の指令により、蝦夷地開拓に向けての調査を行ったり、薩摩藩保護のもとで入手した大極丸の代価借用のための交渉などを担当しました。

慶応3年(1867)に小野淳輔(おの・じゅんすけ)と改名、維新後は新政府に出仕し、かつて龍馬と共に蝦夷地開拓に向けて行動していたこともあり、翌慶応4年には蝦夷地経営に関する建白書を新政府に提出、五稜郭に置かれた箱館(現函館)裁判所(後の箱館府)権判事となりました。

新政府軍の一員としてこの戦いに加わった直は、その戦功により松前候より褒章を受けました。その後、新政府は開拓使を設置して蝦夷地を北海道と改め、本格的な開拓に乗り出しました。
明治4年、朝廷の命により坂本龍馬の跡目を相続し、坂本直と改名。
明治31年11月、直は郷里・高知で病没し、翌年妻の留が息子・直衛を連れて北海道・浦臼に移住した実弟・坂本直寛のもとに身を寄せており、2人の墓は今も浦臼にあります。

 

坂本龍馬の海援隊

海援隊と亀山社中は、基本的にはあまり変わりありません。構成メンバーもほぼそのまま、やっていることもほぼ同じでした。

海援隊と亀山社中の大きな違いは、スポンサーが薩摩藩から土佐藩に代わったことです。またスポンサーの性質も大きく変化しました。

土佐藩は薩摩藩と違い、海援隊を自藩の外郭団体と位置付け、海援隊を支援することを土佐藩の義務としました。

海援隊約規

海援隊の前身 亀山社中
海援隊約規

「脱藩の者(フリーランス)、

海外開拓に志ある者、皆是の隊に入る。

国(企業)に付せず、海援隊に属す。

運船射利、応援出没、海島を拓き

五州の興情(よじょう)を察する等の事を為す」

明らかに商業活動にウエイトが置かれている。

 

海援隊約規によると海援隊の目的は、「運輸、射利、開拓、投機、本藩の応援をなすおいて主とす」となっています。簡単にいえば、海運事業や商取引、開拓などを行い、また軍事面で土佐藩を応援するということでした。

ただ、海援隊は土佐藩配下の組織だったのか? というとそうではありませんでした。

海援隊は、亀山社中と同様に独立独歩を原則としていたので、基本的には自分たちでビジネスをし、その収益で運営されることになっていました。そして不足が生じた場合には土佐藩が支援するという形式になっていました。

海援隊の構成員は土佐藩士だけではありませんでした。海援隊規約では、海援隊士の条件を「土佐藩や他藩を脱藩したもの、海に志があるもの」としています。

海援隊の名称も「海から土佐藩を助ける」という意味です。海援隊は、軍事、ビジネスなどの面で土佐藩を助け、土佐藩は海援隊の経済的な支援を行うという両者は対等の関係でした。

最後までお読みいただきまして

ありがとうございました!

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