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「トキワ荘」時代の赤塚不二夫は石ノ森章太郎と漫画家を目指し始めた

「トキワ荘」時代の赤塚不二夫は石ノ森章太郎と漫画家を目指し始めた教育
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ゆず子
ゆず子

「トキワ荘」って何なの?

 

そんな疑問にお答えします。

漫画家の家と聞いて、まず思い浮かべるのは、赤塚不二夫や手塚治虫、
石ノ森章太郎らが若き日を過ごした伝説のアパート「トキワ荘」です。

私たちの心をつかんで離さない作品の背景には必ず、漫画家が仲間やアシスタント、
そして編集者ら、気の置けない仲間たちとつどい、切磋琢磨した特別な空間があるのです。

 

そこで今回の記事は、「天才バカボン」の著者 赤塚不二夫さんが漫画家を
目指していた時代の逸話を紹介します。

 

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トキワ荘 赤塚不二夫と石ノ森章太郎

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仕事と映画に使う以外の時間を、赤塚さんはすべて漫画を描くことに使いました。
1コマ漫画、4コマ漫画を何点か描きためると、気に入ったものを選んで『漫画少年』という雑誌に投稿していました。

手塚治虫の『ジャングル大帝』や『火の鳥』の最初の連載をはじめたのがこの雑誌で、学童社という出版社から出ていました。

この雑誌はアマチュア漫画家たちのために多くのページをさいて投稿欄を設け、入選作選者である手塚治虫の丁寧な批評がつけられていました。

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『漫画少年』はアマチュア漫画家たちにのために多くのページをさいて投稿欄を設け、入選作には選者である手塚治虫の丁寧な批評がつけられていました。

「漫画少年」はタイトル通り漫画家を目指す漫画少年にとってはバイブルでもありプロへの登龍門でもありました。

入選すると漫少バッジがもらえたのです。

赤塚さんは、昭和26年ごろから4コマ漫画を描いて投稿を続けていましたが、1年間ぐらい載せてもらえませんでした。

「おかしいな、どうしてだろう?

と考えました。

入選している作品を子細に検討してみました。
初めて旅に出て、諸国にはる剣豪がいるものだと思い知らされた田舎侍に似た驚きだったのです。

それまで自分こそは日本一だと思っていたのに、世のなかには図抜けて上手いやつがいる。
自信喪失と、こいつらに負けてたまるかというファイトの間で揺れながら、作品を投稿し続けました。

 

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赤塚不二夫の初入選

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昭和274月、日航機が大島の三原山に墜落、漫談家の大辻司郎らが死んだという
惨事が発生しました。飛行機の名前はもく星号といいました。

赤塚さんはこれをヒントに4コマ漫画を考えました。
木で作った自転車に乗ったおじさんが、塀にぶつかってひっくり返ります。
自転車はバラバラに解体してしまい、それを見ながらおじさんが自棄ぎみに嘆きます。

「木製号はダメだなあ!

これが入選しました。初めてです。

ああ、社会風刺もありだな。

とその時、思った、今まで見えなかったとこうが見えてきたような感覚でした、

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赤塚不二夫は努力家

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化学工場で働きながら、梅日、アイディアを考えて日記帳につけました。

少なくともアイデアが一つ出るまでは寝ないことを決意。

毎月、4コマ漫画を10点投稿し、そのなかから1つか2つ、載るようになったのです。

いくらかコツもわかってきました。

毎月新しい「漫画少年」が出ると、ドキドキしながら投補欄のベージを開けた、何回も入選しても、この時は緊張したそうです。

雑誌が発する新しいインクの匂いと、この瞬間の興奮は今も忘れないとの語っていました。

「漫画少年」の入選が重なり常連になると、常連どうしでつながりを持とうということになっ他のです。

石森(石ノ森)章太郎

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このころの入選常連者には、石森(石ノ森)章太郎、高井研一郎、松本零士、石川谷大、本野英子、内山安二、桜井レンタローなど、後にブロの漫画家になった者が多い。

赤塚さんはそのなかで石森章太郎の主宰(東日本漫間研究会)に加わりました。

いささか大げさな名前のこのグルーづを率いる石森章太郎は、赤塚さんより2つ年下の高校生でしたが、すでにその筋くは将来の大好として注目されていました。

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石森は東北の田含にいてグルーブを主宰し、『墨汁一滴』という明治時代の俳向の本みたいな含の同人読を出していました。

今みたいにワーブロやコビーの時代ではない。同人が描いた生の原稿をヒモで綴じ、回覧するのです。

当然、同人間の文通もはじまった。
しかし、赤塚さんは学歴もなく、漫画と映画のほかは何も知らないから、手紙を書くにも常套句なんてまるで知りません。

<今日は。お元気ですか。ぼくも元気です》

くらいしか書く言葉がない。それに対して石森から返事が届く。開けてみると、

<貴兄のお手紙拝見しました……

なんて書いてある。貴兄という言葉すらぼくは知らなかった。こんなもので驚くくらいだから石森が、

《美辞麗句じゃありませんが……

などと書いてくると、外国語を見る思いだった。

赤塚さんは辞書を1冊買って、わからない言葉にぶつかるたびに、
辞書を引いて読み方を覚えることにしました。

それでも彼がなにげなく書いてくる。憂鬱などという言葉は、
辞書を引いても見つけられません。
そんな時は、ユーウツになりました。

赤塚さんの頭のなかの部屋はガラ空きでしたから、
新しく覚える知識や言葉は次々と貯蔵すこができました。

ちょうど赤ん坊が言葉を11つ覚えていくように、
知らない言葉を身につけていきました。

 

映画館で外国映画を見るときも、似たような体験をします。

べつに洋画を見ながら英和辞典を引いたわけではないのですが、
同じ映画を1日に5回も見るわけで、知らないうちに英語がわかってくることがあったのです。

スクリーンから聞こえてくる英語の発音字幕スーパーの日本語を比べているうち、
英語などまるでわからなかった赤塚さんが、いつか

 

あれ、この日本語、役者が言ってる言葉とちょっと違うんじゃないかな。

 

と思うことがあった。これは違う!”という感じにまでなるというのは、
赤ん坊のような知識欲、それに映画を見る頻度と真剣さから、
ということはできるのでしょうね!

 

 

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少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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