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二宮尊徳(二宮金次郎)は農村復興「報徳仕法」を政策した偉人

二宮尊徳(二宮金次郎)は農村復興「報徳仕法」を政策した偉人教育
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ゆず子
ゆず子

薪(柴)を背負って本を読む少年の像で有名な人物って誰だっけ?

 

 

二宮尊徳(金次郎)ですよ。

 

ゆず子
ゆず子

二宮尊徳(二宮金次郎)はどんな人だった?

 

そんな疑問に答えします。

二宮尊徳は、農村復興に懸けた生涯

 

二宮尊徳は、江戸時代後期に道徳と経済の両立を説いた「報徳思想(ほうとくしそう)」を唱えて、荒れてしまった農村の復興を指導した農政家であり思想家です。
通称は金次郎といいます。

常識や慣習にあらがいながら、後半生を荒廃した農村の復興・再建にささげ、1856年(安政3年)に志半ばのままその生涯を閉じました。

しかし明治に入ると、尊徳は勤勉の手本として教科書に載り、神として神社に祭られ、象徴として像が建てられるようになります。

 

結論:
二宮尊徳(金次郎)は、江戸時代に多くの農村を救った農村改革の指導者。

 

今回の記事では、二宮尊徳(にのみやそんとく)とはどのような人物かについて紹介します。

 

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二宮尊徳(にのみやそんとく)とはどのような人物か

1787年(天明7年)7月23日、相模国足柄上郡栢山村(小田原藩領・現在の神奈川県小田原市栢山)で百姓利右衛門の長男として誕生しました。

二宮金次郎の名で知られますが、正しくは金治郎だそうです。通称は「金次郎」。

母はよし。

尊徳が5歳の時の寛政3年(1791)、酒匂川の堤が決壊し、尊徳の住む東栢山一帯は濁流に押し流され、利右衛門の田畑は流失してしまいました。

さらに14歳の時に、父が他界。死ぬ間際、「桝の大きさが不揃いでは農民が困る。しっかり勉強して、桝を統一するよう役人に意見できるようになってほしい」と父は尊徳に遺言しました。

14歳で母と弟2人の一家を支える大黒柱となった尊徳は、朝は暗いうちから山で薪を集めて町に売りに出かけ、昼は田畑を耕し、夜は遅くまでワラジ作りに努めますが、生活は食うや食わずであったといいます。

 

 

 そんな生活でも尊徳は、山から町への往復の間、歩きながら父が残した『大学』などの書物を読み、学問を身につけようとしました。

 

その2年後、16歳の時に母が亡くなると、弟2人は母の実家に引き取られ、尊徳は伯父の家に寄宿します。
寝る間も惜しんで読書する尊徳に、伯父が油の浪費だと文句を言うと、尊徳は荒地に菜種を蒔き、収穫した種を油と交換して勉強を続けました。

昼間は伯父の家で農業に励むかたわら、荒れ地となってしまった農地を復興させ、わずかに残っていた農地を小作に出すなどして、20歳の頃には失われた実家の田畑にあたる分を取り戻すことに成功します。

 

二宮尊徳の武家奉公人

その後、小田原に出て武家奉公をしていた尊徳は、小田原藩家老服部家から、服部家の財政建て直し頼まれます。

当時、財政難に陥っていた服部家では実家を再興した尊徳の手腕に着目し、財政再建を託します。
尊徳はこれに応え、およそ5年で見事に建て直し、藩内で一躍その名を知られることになりました。

続いて文政5年(1822)尊徳、36歳、小田原藩主・大久保忠真の命を受け、その分家で旗本宇津家の知行所であった下野国桜町領(現在の栃木県真岡市)の開発・治水など復興事業を行い桜町領を再建させました。

それまで積み上げた田畑や家財をすべて売り払い、

 「一家を廃して万家を興すなり」という不退転の決意

 

で、一家で桜町に移り住みました。

 

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二宮尊徳の桜町復興活動

「負薪(ふしん)読書」の二宮金次郎少年像。本人の意志・業績とは関係なく、「勤勉、倹約して国家に奉仕する理想的な臣民像」として利用された(写真:PIXTA)

尊徳は文字通り、粉骨砕身の努力で桜町復興に取り組みました。

徹底的に村を廻って実情を把握し、治水を整備、荒地の開墾を奨励し、要領よく立ち回ろうとする者を評価せず、真面目に働く者を表彰して農民たちのやる気を高めます。

ある夏の前に茄子を食べた尊徳が、秋茄子の味がすることから冷夏になることを予測、冷害に強い稗を植えさせていたことで、桜町領からは天保の大飢饉で餓死者が皆無だったこともありました。

 

二宮尊徳の成田山新勝寺で断食水行

祈る男

7年目の文政12年(1829)、事業が行き詰ったところで突如、尊徳は行方不明になります。
村人からの反感もあってトラブルが多発すると、突然行方をくらましてしまいました。

農民たちが慌て、手を尽くして探した結果、成田山新勝寺で21日間の断食をしている尊徳が発見されました。

尊徳は見事に農民たちの心を一つにまとめ上げていました。成就させると村人からの反感もなくなり、仕法も順調に進んでいいったのです。

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二宮尊徳の尊徳の教え「報徳思想」

この「報徳思想」を実践するのが「報徳仕法」です。 二宮尊徳は報徳思想を広め、実践することにより、ききんや災害などで困っていた多くの藩や村を復興しました。

1830年代、天保(てんぽう)のききんと呼ばれる凶作が、2度にわたって全国をおそいました。
尊徳はこの大凶作を前もって予想し、村民を救ったという話は有名です。

『報徳記(ほうとくき)』によると天保4年(1833年)、初夏に口にしたなすが秋なすの味だったのでききんを予測したということが伝えられています。

しかし、実際には尊徳は、ききんの数年前から凶作への備えを考え、ききんが起こる前年の天保3年(1832年)、畑の年貢を免除する代わりに、貯えのために畑のほぼ4分の1に稗(ひえ)を栽培することを命じています。

さらに翌年には、現在貯えてある穀物を他へ売り払うことを禁じ、1人につき雑穀5俵を貯えることを村民に約束させました。

こうして桜町領(さくらまちりょう)は天保のききんを乗り切り、尊徳は村民の信頼を集め他のです。

 

至誠・・・
うそいつわりのない真心のこと。尊徳の生き方すべてをつらぬいている精神。

 

勤労・・・
自分や地域の向上のために自分にできる仕事に励むこと。

 

分度・・・
自分の置かれた状況や立場にふさわしい生活をおくること。

 

推譲・・・
分度によって生まれた力やお金を自分の将来や社会に譲ること。

自然の恵みを大切にし、共生することを考えた二宮尊徳。

まとめ

江戸時代後期の困窮した農村を救うために、農村復興の方法を実施して、東北地方から九州地方にまで影響与えました。

尊徳の思想の特色は、自分の利益や幸福を追求するだけの生活ではなく、
この世のものすべてに感謝し、これに報いる行動をとることが大切で、
それが社会と自分のためになるというものです。

尊徳は、農民の生活の安定のために、様々な復興策を実施しました。
それらは「報徳仕法(ほうとくしほう)」と呼ばれ、それを参考に多くの農村で復興策が実施されました。

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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