浅草寺の瓜生岩子の銅像は、日本のナイチンゲールと言われた福祉の天使

浅草寺の瓜生岩子の銅像は、日本のナイチンゲールと言われた福祉の天使教育
ゆず子
ゆず子
昔、日本のナイチンゲール(看護師)と言われた女性がいたの?
TOM
TOM
浅草寺の新奥山に「瓜生岩子」の銅像があり、この人物が日本のナイチンゲールと呼ばれたらしく、日本の福祉を築いた人物なんだよね?

こういった疑問に答えます。

浅草寺の瓜生岩子の銅像は、日本のナイチンゲールと言われた福祉の天使

 

福祉に生涯を捧げた日本のナイチンゲール瓜生岩子

喜多方が生んだ社会慈善家 瓜生岩子。明治時代の初めに社会慈善家として活躍し、今日の日本社会福祉の礎を築きました。その功績により、藍綬褒章を受けています。今回の記事は、日本のナイチンゲールと言われた、瓜生岩子を紹介します。

本記事の要約
・瓜生岩子の生い立ち
・瓜生岩子と戊辰戦争
・瓜生岩子の愛情
瓜生岩子 生い立ち
瓜生岩子(うりゅう いわこ)、文政12年(1829年)2月15日、陸奥国耶麻郡小田付村(現・福島県喜多方市北町)の油商、若狭屋利左衛門の長女として生まれました。
母は熱塩温泉・山形屋の娘りえ・・・会津藩の郷土格の娘でした。岩子はなぜか、この母方の姓である「瓜生」を名乗っています。
9歳のおり父がこの世を去り、14歳になった頃、叔父の医師・山田春瓏(しゅんろう)のもとに行儀見習に預けられました。
いまだ、「福祉」という言葉が日本に定着せず、人間に華族、士族、平民といった、社会的身分差のあった明治の世にあって、大半の日本人が顧みなかった社会慈善事業に、己の生涯を捧げたのは、この瓜生岩子でした。

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瓜生岩子の悲惨な時代

岩子が5歳のおり、天保4年(1833年)8月、会津地方には大雨大風が集中し、農作物は多大な被害に遭っています。

天災はなおも治らず、天保7年にはついに大飢饉(ききん)が押し寄せてきました。この年の大飢饉は全国規模のものとなり、大阪ではもと町奉行所与力の大塩平八郎が、「世直し」をかかげて、武装決起に踏み込んでいました。

この世の地獄が、あちらこちらで繰り広げられていました。行き倒れて、すぐに息絶えた母の乳をすがる赤子、わずかな食べ物をめぐって争う人々・・・

8歳の岩子には、多くのことが理解できなかったのだろう・・・ただ岩子はこれらの惨状をみながら立ち尽くしました。純粋な岩子の心に、この悲惨な状態の記憶は消すことのできない風景として刻まれました。

 

瓜生岩子の夫

この時代、残念なことに自由恋愛などというものは存在しませんでした。身分と格式によって、相応の相手を親同士が定めたのです。

岩子の場合は、若松城下の呉服商・大黒屋七郎左衛門の番頭。佐瀬茂助と婚姻していました。彼女17歳のころです。

夫は「松葉屋」という屋号の店を開いたというので良縁でした。子供は一男三女と恵まれました。

しかし、夫は、病床につき7年間、寝たっきりの生活の末、結核が原因でこの世を去りました。夫の療養生活に、家畜のすべてを使い果たした岩子は、それまでの恵まれた生活から一転して、幼子を四人も抱え、自ら行商に出て、その日その日の食べ物をようやく口にする、一家の生活を支える立場となりました。

夫が亡くなってからも、彼女の苦しい生活は一向に改善されることなく、むしろ肩の荷は増していきましたが、岩子は愚痴もこぼさず、黙々と厳しい現実と対峙しつづけました。

文久3年(1863年)、長女のつね子が会津藩主・松平容保の儀姉・照姫の女中にあがり、長男 祐三が家老・西郷勇左衛門近潔の小姓にあがったのでした。次女も三女もそれぞれ実家に預かってもらえて運気が変わってきました。

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瓜生岩子と戊辰戦争

ところが、今度はそこへ、戊辰戦争の戦禍が襲いかかってきました。岩子はこの時、すでに40歳になっていましたが、臆することなく、戦火の中を負傷者の手当や吹き出しに奔走しました。

戊辰戦争後、疲れ切って喜多方に戻った彼女は、焦土と化した若松からこの地へ逃れてきた、多くの婦女子・難民と出会います。誰もが飢えと寒さにふるえていました。

岩子にとっては、これが他人事には映らなかったのでしょう・・・これまでの苦しい生活を思い出したのでしょう。

岩子は、近隣近所に働きかけて、被災者の衣食住の準備を懸命におこないました。病気の人への手当も、老人へのなぐさめの言葉をかけることも、我が身の寝食を忘れて奉仕しました。

特に岩子が胸を痛めていたのが、戦争で両親や兄弟を失った子供たちでした。「このままでは、この子たちの将来が案じられる」・・・。岩子は喜多方に設置された「北方民政局」に幼学校の新設を嘆願しました。

しかし、新政府軍は、「賊軍の子弟に教育はいらぬ」と突っぱねられました。それでも岩子は、諦めず、連日の陳情を繰り返しました。「この子らも、皇国の御民ではありませんか!」

どうにか明治2年(1869年)6月に幼学校の許可がおりました。しかしこの幼学校は明治4年に全国的な学制が創設されることが公示され、閉鎖となりました。

岩子はすでに、44歳。彼女はなおも、社会福祉事業を実務を学ぶべく、単身で東京に出て、救貧施設の「救養会所」を訪ね、捨児、孤児、老病者などの面倒をみながら、実地に仕事内容を学びました。

瓜生岩子 愛情深く平等に接する

明治6年3月、郷里に戻った岩子は、会津地方で昔から行われていた堕胎を阻止する活動にも従事します。闇で葬られようとする子どもの存在を知ると、まず養子話をでっち上げ、祝儀のカツオ節、産衣などをもってその家を訪ね「是非産んでください」と説得しました。

養子に行けるならばと、堕胎をせず出産します。実際に生まれてきた我が子をみて、可愛くない親はいないはずです、結局は手離せなくなり「自分たちで育てます」と言い出せるように、岩子はしむけてまわったのです。

また、幼学校跡地に「裁縫教授所」を開き、裁縫の教授料をとる一方で、貧しい家の娘たちを居候同様に引き取り、ついでに孤児や身体に障害のある人々も受け入れました。

瓜生岩子の日本国の救養所

福祉には膨大な資金が必要で、県レベルでは限界というものがあります。明治24年、岩子は、窮民や不幸な児童を収容するための、国の「救養所」の設立を帝国議会に嘆願しました。

岩子の運動をみていた、東京市養育院幹事事務取扱の安達憲忠は、院長でもあり、財界の大立者である、渋沢栄一と相談して「瓜生岩子でならば・・・」と同院の幼童世話係長に招聘しました。岩子63歳のときでした。

養育院の児童数百人のほとんどが、無表情でおとなしく、子供らしいハツラツさや明るさが無い、笑うことができないのでした。

岩子が、養育院にやってきて1ヶ月後、子どもたちは笑うようになったのです。彼女は、どの子も分け隔てなく接し、孤児たちを心からいつくしみ、深い愛情の心でつつみ、しきりと面白そうな話を子どもたちに聞かせました。

その後、地元に戻った岩子は、念願の「若松育児会」(のちの福島育児院)、さらに「福島愛児園」の設立を実現させました。

明治30年4月19日、69歳でこの世を去りました。半生を福祉に生きた岩子の遺志は、その没後「瓜生会」となり、「四恩瓜生会」となって受け継がれています。

 

まとめ

明治期に活躍した会津の人には激動の人生を生きた人物がたくさんいます。悩んだり、壁にぶつかったり。そんな皆さんに大きなヒントをくれるのが、歴史上の人物。

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。
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