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エルビス・プレスリーとは?ロックを変えた伝説のスターとその名曲たち【生涯・名言・影響】

ロックを変えた伝説のスターとその名曲たちどん底からの逆転人生
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TOM
TOM

映画「エルヴィス」
その主人公の「エルビス・プレスリー」
は音楽で世界を変えたと言われていますが、
「エルビス・プレスリー」ってどんな人物なの?

 

こんな疑問に答えします。
(この記事ではエルヴィスではなく、エルビスで記載しています)

エルビス・プレスリーとは?
ロック界を揺るがせた伝説の軌跡

 

アメリカのミュージシャンであり俳優でもある
エルビス・プレスリー(Elvis Presley)。

1935年生まれで、1956年にリリースした「Heartbreak Hotel」で大ブレイク。
なんと8週連続で全米ビルボードランキングで1位に君臨し続ける人気曲になりました。

そこからは名曲を数々リリースし、全米チャートで1位を獲得した楽曲は18曲。
エルビス・プレスリーの楽曲はチャートに1位だった合計の週はなんと80週も。

もうこれだけの数字をみていただければ当時どれだけ人気だったかが
容易に想像つくと思うのですが、エルビス・プレスリーのライブの
チケットは発売とほぼ同時に売れていたのだそうです。

 

結論:

当時はロックに対する偏見もあったことから、何度も中傷の対象になった。
ラジオショーのパフォーマンスは、たった一度でクビにされ、「トラックの運転手に戻れ」と言われた。

最も成功したソロアーティストで「キング・オブ・ロックンロール」の称号を持つ歌手。

しかし・・・スター歌手だったのエルビスでしたが、42歳という若さでこの世を去りました。

なんとその原因は便秘・・・信じられません、終わり方があっけなさすぎる。

 

いまだに日本でもCMソングやドラマの楽曲に使用されることのあるエルヴィス・プレスリー。

今回の記事は、そんなエルビス・プレスリーの生い立ちと名曲をまとめましたのでご紹介します!

 

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🎤 ロックの王様「エルビス・プレスリー」

エルビス・プレスリー。
彼の名前を聞けば、多くの人があのセクシーな腰の動きや
白いジャンプスーツ姿、情熱的な歌声を思い浮かべるでしょう。

「キング・オブ・ロックンロール」と称された彼は、ただの歌手ではありませんでした。
1950〜70年代、彼は音楽・ファッション・文化全てに影響を与えた時代の寵児でした。

幼少期は貧しかった?家庭と音楽のはじまり

エルビスプレスリーは1935年1月8日、ミシシッピ州テュペロで生まれました。

父・ヴァーノン・エルビスプレスリーと母グラディス・ラブ・プレスリーの
間の双子として生誕しましたが、もう1人の兄弟は誕生時に亡くなってしまいます。

とても貧乏な幼少期でしたが、両親はエルビスを非常に愛していました。

11歳の誕生日にギターをプレゼントされたことをきっかけに音楽を
練習し始めますが、実はこのギターはライフルの代わりの誕生日プレゼントでした。
(ライフルを欲しがったが両親が反対したため。)

高校卒業後はトラック運転手をしていましたが、1954年にエルビスの「My Happiness」という曲を聞いた音楽会社の関係者が彼を売り出すことを決めたのです。

1956年には「Heartbreak Hotel」がシングルチャートでトップを記録します。

1958年からの2年間の軍役を終えた1960年代は映画俳優としての活動を本格化させていきました。約10年間で30本以上の映画を撮影し、映画俳優としてのキャリアは大成功に終わりました。

1967年にはプリシラ・アン・ボーリューと結婚し、リサ・マリー・プレスリー(マイケルジャクソンの元妻)を設けますが、5年後に離婚しました。

晩年はショーやコンサートを精力的に行うようになりましたが、人気絶頂の1977年8月16日に睡眠薬の多用により、42歳の若さで無くなります。

後年、ビートルズ、ボブディラン、フレディ・マーキュリーなどのそうそうたる面子もエルビスの影響を大きく受けたのでした。

 

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エルビス・プレスリーは「キング・オブ・ロックンロールと呼ばれた男」

Free Hologram Elvis photo and picture

エルビス・プレスリーは
「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれています。

当時ロックンロールの先駆けとして登場したビル・ヘイリー、
チャック・ベリー、ファッツ・ドミノなどらとともに
ロックンロールの一時代を築き上げたのです。

アメリカやイギリスを中心として、今まで音楽に親しみのなかった
多くの若者から支持を集め、エルビスのファッションや髪の毛も
若者たちの間で非常に流行し、若者文化として認識されるようになりました。

そして、ちょうど同時期にレコードプレーヤーが一般市民の手に届くような値段になっていたこともあり、音楽商品の販売を活性化させます。

エルビスプレスリーは1950年代から1970年代にかけて
CDやレコードを6億枚以上売り上げており、史上最も売れた
ソロアーティストと言われています。

 

🎶 名曲「Heartbreak Hotel」から始まった伝説

1956年、エルビスは「Heartbreak Hotel」で一躍スターに。
8週連続で全米チャート1位を獲得し、その勢いは止まりません。

彼の楽曲は18曲も全米1位を獲得し、合計80週間チャートトップを記録。
まさに“音楽を変えた男”でした。

🌍 世界中を魅了したパフォーマンスと映画スターへの道

エルビスのステージは、とにかく過激でした。
腰を激しく揺らすそのダンスは当時のアメリカでは“卑猥”と非難され、
「下半身NG」の放送規制を受けたことも。

また、1958年に軍に入隊し活動を一時停止しますが、
復帰後は映画スターとしても大成功。1960年代には30本以上の映画に出演しました。

💔 結婚と家族、そして早すぎる別れ

1967年、プリシラ・ボーリューと結婚し、娘リサ・マリーが誕生。
しかし5年後に離婚。晩年の彼はステージ活動に力を入れますが、
1977年8月、睡眠薬の過剰摂取により42歳の若さで急死。
死因には便秘など複数の説が残ります。

エルビス・プレスリーが「ビートルズ」を生んだ?

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エルビスはロックンロールの先駆けとして登場し、のちに出てくる有名アーティストに多大な影響を与えています。

 

 1956年に発表した「Heartbreak Hotel」はビートルズ、クイーン、ボブ・ディランなどがミュージシャンを目指すきっかけともなった曲なのです。

 

ビートルズとは1965年に一度だけ会っていますが、内容はあまり芳しいものではありませんでした。エルビスが「ビートルズのレコードは全て買っている。」と言うと、ジョンレノンがジョークのつもりで「僕はエルビスのレコードは一枚も持っていません。」と返しました。

これがエルビスの気に障りました。ジョンレノンは後日謝罪の意を表明しますが、
2人の仲は生涯直らないままでした。

🎵 エルビスが生んだ音楽の波紋〜ビートルズやディランへの影響〜

エルビスの音楽は後世のアーティストたちに計り知れない影響を与えました。
「Heartbreak Hotel」に衝撃を受けて音楽の道へ進んだのが、
ビートルズやクイーン、ボブ・ディランです。

実はビートルズとの対面もありますが、ジョン・レノンのジョークが
原因でエルビスの機嫌を損ね、関係は険悪になってしまったそうです。

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エルビス・プレスリーの伝説

店の前に立つ人々

ロックの時代を築き上げ、世界中を虜にした伝説のアーティスト”エルビス・プレスリー”。

彼の音楽無くして、今のロックンロールは無いと言われるほど、
その影響は世界各国、現代にまで及んでいます。
そんなエルビスが残した、今でも語り継がれる伝説をご紹介いたします。

称賛と非難を浴びた過激なパフォーマンス

ゆず子
ゆず子

あなたはエルヴィスのパフォーマンスを
見たことがあるでしょうか?

見ているものをくぎ付けにするその歌唱姿で、特に印象に残るのが身体の動きです。
激しく腰を揺らしながら歌うその姿は、観客を興奮の渦に包み、
時に大きな称賛を浴び、また時には卑猥だとして非難も浴びました。

アメリカ・CBSで放送されていたバラエティ番組『エド・サリヴァン・ショー』
に出演した際には、そのダンスが過激とみなされ、下半身をカットし放送する
という異例の対応がなされたほどでした。

 

 

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エルビス・プレスリーの派手な衣装、実は・・・

 

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ゆず子
ゆず子

エルヴィスのステージ衣装というと
どのような姿が思い浮かびますか?

おそらく多くの方が思い浮かべるのが、
袖に多数のひらひらとした紐が付いている白のジャンプスーツに、
サングラスをかけた姿ではないでしょうか?

 

「そっくりさんコンテスト」でもこの衣装を身にまとった参加者ばかりで、
エルヴィスの衣装と言ったらこれの印象が強いのでしょうね。

しかし、エルヴィスがこの袖にひらひらが付いた衣装で
ステージに立ったのはたった1回だけ。

しかも歌っているときはサングラスを付けていなかったそうです。
たった1回のステージ衣装で多くの人の頭に残っているとは、
それほど印象深い姿だったのでしょう。

⭐ エルビスの伝説と誤解

1回だけ着た白いジャンプスーツ姿がなぜか定番に?
実際にエルビスが“あの衣装”を着たのは1度だけ。
しかもサングラスは歌っているときにはかけていなかったのです。

また、エルビスは実は一度も海外での公演をしていません。
その理由はマネージャーのパーカー大佐が不法移民で海外に行けなかったからとも言われています。

エルビス・プレスリーは海外公演をしなかった

その人気はアメリカ国内にとどまらず、全世界にまで広まっていたエルビス。
そんなアーティストならば、世界中を飛び回り、多くのファンに
その歌唱姿を届けに行っているのでは!と思われがちですが、
エルヴィスが国外で公演を行ったのは、カナダ1国のみ。

実は彼のマネージャーを勤めていたトム・パーカーはアメリカへの不法入国者だったのです。
国外に出ることで、マネージャーが再入国が出来なくなることを恐れ、
海外公演は実現しませんでしたが、当時パスポートが必要なかった
カナダにだけは入国できたとのこと。

絶大な人気を誇っていたエルヴィスが世界各地に渡り、
その姿を見せていたら今よりさらに人気に火がついていたことでしょう。

🌟 エルビスの遺産と今も生きる音楽

彼が亡くなった後も、エルビスの音楽はCM、ドラマ、映画などで使われ、
色褪せることはありません。
彼のステージング、音楽、存在そのものが今も世界中の
アーティストにインスピレーションを与え続けています。

ロックの日「エルビス・プレスリーの日」

日本ではその語呂合わせから6月9日はロックの日として印象深いかもしれません。

しかし世界的には1月8日がロックの日として認知されています。
それはエルヴィスとイングランド出身のロックミュージシャン、
デヴィッド・ボウイが生まれた日
だからです。

ロックミュージックで世界的に名声を得た2人の英雄の誕生日が同じとは、
何か運命があるようにも感じますね。

 

エルヴィス・プレスリーのおすすめ曲

 

「ラヴ・ミー・テンダー」や「監獄ロック」、「ハウンド・ドッグ」など、彼がステージの上で魂を削りながら歌い上げた名曲の裏では、エルビスが歩んだ色濃いストーリーがあります。

ここでは、そんな人生の中で生まれたエルヴィスの音楽を、存分に味わえる名曲をご紹介いたします。

No.1 Can’t Help Falling In Love

1961年リリース。
日本語タイトルは「好きにならずにいられない」。

Elvis Presley – Can't Help Falling In Love (Official Audio)

 

No.2 Suspicious Minds

1969年リリース。
日本語タイトルは「サスピシャス・マインド」。

Elvis Presley – Suspicious Minds (Official Audio)

 

No.3 Love Me Tender

1956年リリース。
日本語タイトルは「ラヴ・ミー・テンダー」。
言わずもがな名曲ですね。
全米チャートで5週連続1位になった楽曲。

Elvis Presley – Love Me Tender (1956)

 

エルヴィス・プレスリーのおすすめアルバムは?

多くのアルバムをリリースしてきており、全部聴くのはあまりにも大変すぎます。

個人的には、ちゃんと過去の名曲をベスト版にまとめてくれているので、SUPER BEST 3枚組 90曲入一択ですね。

もちろん上記でおすすめ曲として紹介してきた楽曲は全て収録されていますし、エルヴィス・プレスリーを好きになった人、もっと聴きたい人は持っておいて損はないアルバムですね。

 

エルビス・プレスリーの映画「エルヴィス」

「キング・オブ・ロックンロール」と称される、エルヴィス・プレスリーの半生を描く伝記ドラマ。

あらすじ

1950年代、エルヴィス・プレスリー(オースティン・バトラー)は歌手としてデビューする。
彼の個性的なパフォーマンスは若者たちに熱狂的な支持を受ける一方で、批判や中傷にもさらされる。やがてエルヴィスは警察の監視下に置かれた会場でライブを行うことになり、マネージャーのトム・パーカー(トム・ハンクス)が彼に忠告を与える・・・・

伝説を誰が殺したのか?映画『エルヴィス』日本版予告 2022年7月1日(金)公開

関連記事:映画「エルヴィス」に出演の「トム・ハンクス」

📝 まとめ:エルビスは“音楽の革命家”だった

エルビス・プレスリーは単なるアイドルや歌手ではなく、音楽、文化、
価値観すらも塗り替えた革命的な存在でした。

今なお彼の魂は多くのアーティスト、そしてファンの心の中で生き続けています。

彼の存在がなければ、今のロックは存在しなかったかもしれません。
まさに「ロックの王様」だったのです。

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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