宮崎駿監督の名言は「めんどくさい」と言われています。
「めんどくさい」という過程を乗り越えて到達できる、見える世界があることを私たちに教えてくれているのです。
NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演した時の密着取材でも宮崎駿監督は「面倒くさい」と言っていました。
しかも1回だけではなく、何回も。
宮崎駿監督のような、影響力のある作品をたくさん作り続けている方でも「面倒くさい」と思いながら作業をされているのですね。
宮崎駿さんの書き下ろす”絵コンテ”は、手書きです。
パソコンではなく、紙と鉛筆を使って”無”から作り出しているとは、ただただすごい、という言葉しか出て来ません。
宮崎駿さんの作品に込めている、おおきな想いがあるからこそ、わたしたちは繰り返し作品を観て、楽しみ、感動して、学ぶのだと感じます。
そこで、今回の記事は、宮崎駿さんの名言とアニメーターになったエピソードを紹介します。
宮崎駿ってどんな人?
宮崎駿を知らない人はいないでしょうが、念のために紹介します。
宮﨑駿(みやざき はやお、1941年〈昭和16年〉1月5日 – )は、日本の映画監督、アニメーター、漫画家。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。映画などのクレジットタイトルでは宮崎駿(みやざき はやお)と表記されることもある。株式会社スタジオジブリ取締役、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事長、三鷹市立アニメーション美術館館主。愛煙家。
代表作は、『風の谷のナウシカ』(原作・脚本・監督)、『となりのトトロ』(原作・脚本・監督)、『千と千尋の神隠し』(原作・脚本・監督)など多数。
宮崎駿が漫画家からアニメーターとなった理由?
高校生の時には、暗い漫画ばかり描くも、東映動画「白蛇伝」を観てから自分のしたいことに気づいた、宮崎駿さんですが、お父さんは、芸術系大学への進学を反対します。
それでも、宮崎さんは、漫画家を志して、大長編漫画を描き続けていたのです。
宮崎駿は学習院大学で漫画を描き続ける
宮崎さんは、漫画家を志していたことから、芸術系の大学へ進学することを希望していたのですが、お父さんからは、「絵では飯が食えない」と言われて反対され、学習院大学政治経済学部に進学。
当時、学習院大学には漫画サークルがなかったため、児童文学サークル(現在の児童文化研究会)に所属して、人形劇を企画しながら、漫画家を志して、大長編漫画を描き続けていきました。
宮崎さんは、学習院大学在学中、中学時代の恩師・佐藤文雄先生から油絵を習っていたそうですが、佐藤先生は、お兄さん以外では、唯一、宮崎さんの悩み事を聞いて、相談に乗ってくれる人だったそうで、宮崎さんは、たびたび佐藤先生を訪ねていたそうです。
児童文学サークルで人形劇の企画をしながら、漫画を描き続けていた宮崎さんでしたが、宮崎さんが大学に入った頃は、まだ安保闘争(1959~1960)の名残がキャンパスにも残っていたことから、それまで、政治活動にそれほど関心がなかった宮崎さんも、次第にその空気に影響されるようになり、
実家が、戦争中、軍用飛行機を作って大儲けしていたことを、強く恥じ、両親に対しても批判的なことを言うようになったそうで、お母さんと政治的な問題を巡って議論することもあったそうです。
そして、その際、お母さんがどうしても宮崎さんの主張を受け入れようとしないと、宮崎さんは、歯がゆさと悔しさのあまり、涙を流したこともあったのだそうです。
宮崎駿は漫画家をあきらめアニメーターを目指す
そんな宮崎さんは、学習院大学時代、様々な出版社に漫画の原稿を持ち込んでいたそうですが、ことごとく不採用だったそうで、次第に、漫画家を職業にする自信がなくなっていったそうです。
ただ、同時に、以前から興味を持っていたアニメーションに魅力を感じるようになっていったそうで、
劇画の世界と、東映の長篇アニメーションの世界と、どちらが表現方法として優れているかというので、ずいぶん自分でも悩み続けて、結局、アニメーションの方が優れているという結論を、自分なりに出してしまったんですね。
劇画はこどものためのものじゃないと思ったから、そうじゃない(こどもたちのためのものとしての)世界として、アニメーションにすごく魅力があったんです
と、ついに、宮崎さんは、アニメーションの道へ進むことを決意します。
宮崎駿の名言
才能とは、情熱を持続させる能力のこと
誰にでも、「才能を持てる」可能性があるのです。
結局あの、本当に思うけど趣味持ってる奴は駄目ですね。全部アニメーションに吸い取られてしまった人間でないと。
アニメーションに全てを捧げてきた宮崎駿さん。
「趣味がある」うちは、宮崎駿さんには認めてもらえないのでしょうね。
アニメーションに関しては、これまで手塚さんが喋った事、主張した事、みんな間違いです。
宮崎駿さんの毒舌名言。
宮崎駿アニメは、手塚治虫を否定することから始まったのかもしれませんね。
ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ。
宮崎駿さんのまさに人生観。
面白いものはこの世界にいっぱいある。キレイなものや、まだ出合ってないかもしれないけれど、いいこともいっぱいある。それを子どもたちに伝えたい。ただそれだけですね。映画の中じゃない。映画の向こうにいっぱいあるんです。
宮崎駿の映画観が垣間見える名言。
宮崎駿さんでもが味わったこの世界の面白さ。
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