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ビートたけしが下積み時代にいた浅草には、いろいろな伝説の男たちがいた!
ビートたけしが見た、浅草の伝説の男たちってどんな人たち?そんな浅草の伝説話を聞きたいなぁ〜
ビートたけしが見た!浅草ターザンなどの浅草の伝説の名物男たち【浅草キッド時代】
日本を代表するお笑い芸人であり、タレントであり世界で活躍する映画監督でもあるビートたけしこ5年間にわたる浅草での修行時代・・・・
ビートたけしさんは強烈なインパクトを持った人たちを次々に目撃しました。
今回の記事は、そんなたけしさんの下積み時代の浅草で見聞きした伝説の男たち列伝を紹介します。
伝説の男たち列伝
ではビートたけしさんが聞いた「浅草の伝説の男たち」を紹介します!
まず伝説の男 その1
浅草のターザン
ターザンといえば、ツタからツタへと飛び移るアクションが特徴的な”ジャングルの王者”。
だが、今から50年前の浅草、当時浅草フランス座の近所で目の当たりにしたのは・・・
汚れたパンツ一丁で他は裸、雄叫びをあげながら走る男・・その手には・・・どこでも繋がっていないロープ!
浅草のターザン
やがてフランス座の前に飾ってあるストリップの踊り子たちの写真に釘付けになっていたターザン。
ビートたけしは、興味があってこう話しかけてみたという
おい!腹減っているなら何んかおごろうか?
すると・・・
「ターザン、バナナしか食べない!」
なんで服着ていないの? みっともないから何んか服着たほうがいいんじゃね? そうだ このアロハやろうか?
「ターザン 風邪ひかない!」
ターザン 風邪なんかひかない!・・・その場しのぎの同情を拒否する力強い言葉を残し去っていった!
秋になって寒そうだから「浅草フランス座の服あげる」って言ったら「ターザンそういうものいらない」
ビートたけしが浅草に来る前、春頃から突然現れたらしいが、この冬 観音様の裏で肺炎で死んでしまいました。
伝説の男 その2
メリケンの政(銀幕破りのセイちゃん)
故石原裕次郎さんとかジョン・ウェインとかが大好きな人がいました。
古い言葉で映画のスクーリーンを表す言葉「銀幕」。そこ言葉を異名として持つ男として現れたのは映画館でした。
セイちゃんは、当時国民的英雄であった映画スター石原裕次郎さんの大ファンだったのです。
そんなセイちゃんにとんでもない映画シーンが・・・なんと!裕次郎が危険に合うシーンでした。
大の裕次郎ファンのセイちゃんにとって、許しがたいシーン。彼は上映途中で席を立ってしまいました。そして後日・・・
再び同じ映画の上映中に現れたセイちゃん、手にはなんと刀を持っていました。そして裕次郎が拳銃で撃たれそうになるやいなや・・舞台に飛び上がって拳銃を持った相手を日本刀で切りつけた。スクリーンを切っちゃうんです。
「裕次郎 危ない!」スクリーンがバッサリ!
これが銀幕破りのセイちゃん
しかし、その瞬間、画面が変わってスクリーンで身構えてる裕次郎を切ってしまったといいます。セイちゃんは指を詰めて詫びようとしたらしいです。
その男は一匹狼!
デパートの店員の態度が悪いと腹を立て、デパートの7階から地下二階までウンコを撒いて回ったらしいが、もっと有名なのはひとりでヤクザと喧嘩して相手5人ぐらいにボコボコにされむしろのゴザで「すまき」にされて縛られ。隅田川に投げ込まれました。
怖い方々が「お前 調子に乗るんじゃねえぞ!」「まだ懲りないみたいだなぁ!」・・・すると、
ジュウちゃんは”ござ”でグルグル巻きにされ、隅田川へ投げ込まれてしまいました。
ジュウちゃん 絶体絶命のピンチです。ジュウちゃんは隅田川のもくずにと・・思われたその時!
手足が使えない状態で体をくねらして背を泳ぎで泳ぎだしました。隅田川で流されながら泳いで、奇跡的に下流の貸しボート屋まで辿り着いたのです。
そして、翌朝 隅田川にあった貸しボート屋の主人が、ジュウちゃんを発見!ジュウちゃんはロープにかじりついて朝まで耐えていたのです。
貸しボート屋の主人が「どうしました?」と聞くとジュウちゃんは「助けて」の「た」って言ったら
スーツと流れていってしまい、向こうの方で「すけて」が聞こえたとのことでした。
「た〜」「すけて〜」事件でした・・・
これがオペラの重三
最後に、伝説の男 その4
浅草のアトム
浅草のアトムは、どうして午前10:00ごろ歩いて来るのか?
ビートたけしが浅草六区を歩いていると・・通行人たちが「あっ! アトムだ!」「アトムだ!」と逃げていきます。
たけしは「アトムって? 鉄腕アトムのこと?」いったいなんのことだろうと思ったところ、そこにいたのが・・・アトムは頭ツルツルなんだけど、なんと鉄腕アトムを連想させる七・三分けの入れ墨です!髪の毛が全部ない頭に刺青ではなく、「入れ墨」を入れている、ちゃんともみ上げまで入れている綺麗に「入れ墨」されているが、頭が太陽に照らされると漆塗りのように玉虫色に光るヤクザでした。
さらに額に「悪」と墨を入れている。コワモテの顔をあいまって、異様な迫力だったとのことです。
たけしが「オジサン凄いね!」と言うと嬉しそうに「こんな入れ墨、大した事ねぇ、これを見ろ!」
と詰めた小指の先をこっちに向けて見せました。断面に「般若のお面」を彫って「これが一番痛いんだぞ」と言って自慢していました。
そこでたけしが「シャチハタネーム」って言ったら怒って、浅草じゅうを追っかけ回されたエピソードがあります。
そして最後の極めつけは、浅草のアトムが「でもなぁ もっと痛いのあるんだぞ!」自慢げに
「チ●●に蟻を彫るんだ!尿道から出て来たように」「まずチ●●を大きくして針を刺す、痛いからチ●●が縮む、それをまた大きくなるまでまってチ●●に針だ。」
たけしと道の真ん中でチ●●の話を・・・・
これが鉄腕アトム
北野武の下積み時代
ビートたけしプロフィール
ビートたけしこと、北野 武(きたの たけし、1947年〈昭和22年〉1月18日 -)
東京都足立区島根出身。東京都立足立高等学校を卒業し、明治大学工学部(現理工学部)機械工学科を除籍(のちに特別卒業認定)
日本のお笑いタレント・映画監督・俳優。1980年代初頭に起こった漫才ブームで、
漫才コンビ・ツービートとして活躍した。社会風刺を題材としたシニカルな笑いで人気を獲得し、テレビ番組『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』などに出演し、それらも大ヒットした。1980年代後半からは俳優として映画やテレビドラマにも出演し、1990年代からは映画監督としても活動している。1989年の『その男、凶暴につき』で映画監督デビュー。
1972年の夏、高校時代によく遊んでいた浅草に行くと、浅草のストリップ劇場「浅草フランス座」で「エレベーター番募集」の張り紙を見て応募。「浅草フランス座」のエレベーターボーイとして働きはじめた。後に、たけしさんは、
ジャズ喫茶でバイトしているとき、新しい芸術の波が起きていて、仲間が新劇とか映画監督の若松孝二のとこに行ったりして…。それ見て、俺も何かやんなきゃいけないかなって思った。
そのときは映画なんか興味がなかったから、高校時代に遊んでた浅草に行ったんだ。そしたら、演芸場の浅草フランス座を持ってる会社に“エレベーター番募集”って書いてあって、バイトで入っちゃった。
と、芸人を目指すようになった経緯について明かされています。「浅草フランス座」でエレベーターボーイとして働き始めた、ビートたけしさんですが、そこの経営者であり座長でもあった、芸人・深見千三郎さんに気に入られ、いよいよ芸人としての下積みがスタートします。
ビートたけしの著書「フランス座」にこの浅草の伝説の男たちが語られれいますよ!
ビートたけし生い立ちを知ることができ、あなたに元気を与えます!舞台は戦後から高度成長期に沸く東京。たけし少年の初めての記憶から、オリンピックを経て、学生運動の気運高まる時代の中、新宿を彷徨っていた大学時代まで。突き刺さるノスタルジーと青春のモラトリアム…。人間の本質に迫る私小説!
ビートたけしを作って着た浅草の人々でした。
ビートたけしの下積み時代前は漫才志望ではなかった!浅草キッド時代
ビートたけしの相方が飛び降りた!下積み時代の相棒カーキーの自殺未遂
ビートたけしの浅草キッドの原作は?感想は?
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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