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松本零士の漫画は父親の戦争体験から生まれた!平和主義者の表現方法 

どん底からの逆転人生
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漫画家の松本零士さんが13日、85歳で亡くなりました。松本さんのご冥福をお祈り申し上げます。

 

1954年、高校1年生で漫画家としてデビューされ、1974年には、「宇宙戦艦ヤマト」のアニメ制作を手掛け大ヒットさせた、松本零士(まつもと れいじ)さん。1978年には、ご自身の作品をアニメ化した「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」が立て続けに大ヒットし、1970年代後半~1980年にかけて、松本アニメブームを巻き起こしました。

 

松本零士の描く世界には奇妙なリアリティがあります。
名作「銀河鉄道999」の永遠のヒロイン、メーテルの実物大像を玄関に飾る東京・練馬区大泉学園の自宅兼アトリエ「零時社」。

この「零時社」の零時とは、松本の名前と共に、1日24時間深夜まで絶えず誰かが作業していて、それが途絶えることのない会社という意味なのです。

そこで今回の記事は、故 松本零士さんの追悼として、松本零士の生涯とマンガに込めた思いを紹介します。

 

壮大な宇宙を舞台にSF漫画の傑作を生み出してきた松本零士さん。
松本さんの原点は、敗戦を経験した少年時代にあったのです。「おやじの影響はかなり強いですね」
父親は陸軍少佐、航空隊のパイロットでした。

 

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松本零士 プロフィール

松本零士さんは、福岡県小倉(現・北九州)1938年1月25日生まれ。
血液型はB型。
地元の高校1年の時に「蜜蜂の冒険」が「漫画少年」(学童社)で新人王を獲得し、雑誌デビューしました。

それ以来、高校在学中に「毎日小学生新聞」西部本社でマンガを連載しました。
卒業後も北九州在住のまま、少女マンガ誌「少女」(光文社)等で連載をしていました。

松本零士 漫画家としての歴史

同人グループ「九州漫画研究会」を結成し、同人誌「九州漫画展」の主宰者として活動。

また、高校卒業後の1957年には、毎日新聞西部本社版で連載を持つ予定が、急に担当者が替わったことで、この話は取り消されてしまうのですが、月刊少女雑誌での連載が決定し状況します。

1960年前後からは、念願の、少年誌・青年誌にも進出。

しかし、松本さんは、SF漫画を好んで描いており、これが読者にウケず、打ち切りの連続だったのでした。

少年マンガに転進後、実体験を綴った「男おいどん」で講談社出版文化賞を受賞しました。

松本零士の「男おいどん」

1971年、「週刊少年マガジン」で連載された、「男おいどん」が、初の大ヒットを記録。

主人公の大山昇太が学生下宿で汚れたパンツを押入れに溜め込み、その名もサルマタケというキノコを生やしながらも、時にはそれを食して飢えをしのぎながら、アルバイトを続ける不器用な青春時代の悪戦苦闘の物語です。

「男おいどん」の世界は、松本さんだけの実体験ではありません。当時、本郷の学生下宿にいた全員の生活を綴ったものなのです。

皆、当時は金のない似たような状況で、松本さんも8ヶ月風呂に入らなかったことがあり、「友人には1年8ヶ月入らなかった奴もいますよ」と語っていました。

その結果、みんなが悩まされたのがインキンタムシ(白鮮菌)でした。

「これは水虫そのモノみたいなもので、学生時代に運動部に入ると感染性ですから皆にウツる。
下宿でもドアノブやトイレの取っ手、水道の蛇口をひねると確実にウツる強力な存在です。
その痒さといったら相当なもの。インキンタムシは、次々と円を描くように広がり、円の外側の皮膚は健康なのに、逆に内側は死んだようになる!」と松本さんは流石に詳しいのです。

そこで松本さんは自らの体験を元に「男おいどん」の中でインキンタムシに効くマセトローションという薬を紹介し、読者に伝えようとしました。

このヒットで、以降、「四畳半もの」という、独自のジャンルも開拓されたのでした。

 

父親に収入の99%を仕送り

松本さんの父親は陸軍のパイロットで陸軍将校でした。
しかし、公職追放となり、小学校3年の時に福岡県の小倉で青果商をはじめました。

だが、慣れぬ仕事と9人家族のどん底、難民よりひどい飢餓体験をしました。
父親と同じく大学で機械工学を学びたかったが、父親から大学をあきらめてくれと言われました。
その代わりに、弟だけは松本さんが働くから大学へ行かせてくれと頼んだのでした。

 

どうすれば稼げるか? 何とかなりそうなのはマンガだけでした。小学生からマンガを描き始めていた松本さんは「漫画少年」で新人王を獲得し、雑誌デビューを果たしたのです。

松本さん曰く、

 

「人生にはいくつもの岐路があるが、あの時はまさに運命の選択だった。その後もし東京に出ずに小倉だけでマンガを描いていたらおそらくダメになっていたでしょう」

 

しかし金がない!
「原稿料を前借りできませんでしょうか?」と手紙に書くと、東京に来たら渡すという返事がありました。かくなるうえは、好きな音楽のために自分で作ったプレヤーからレコードまで全部質屋にぶち込んで上京資金に替えました。

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松本零士の人生の分岐点

スーツケースに画材とわずかな生活用品と参考資料を入れ、質草で手に入れた金で買った切符の残り700円を握りしめて夜行列車に残り込みました。

当時はまだ街と街の間が暗かった日本列島を北上。その時、列車の窓から見た星の光が、のちに「銀河鉄道999」のモチーフとなった、というのは有名な話です。

そして松本さんは本郷の下宿で寝起きしながらマンガを描き、「男おいどん」と同じ生活を送りました。

漫画家として、成功を収められた松本さんは、1974年4月には、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の、
デザインを依頼されるのですが、

「全てを任せてもらえるのでなければ」

と、いったんは断られます。

しかし、同年6月、監督を務める予定だった、山本暎一さんが他の仕事で抜けることになり、松本さんは、監督とデザインを担当することになります。

そこで、松本さんは、1973年の企画書にあった、キャラクターやメカ設定を一新し、キャラクターや個々のストーリー作りなど、作品に深く関わるようになったのです。

 

松本零士のDNA

松本さんの描くマンガには必ずモデルがいます。

例えば、「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長は、復員後も操縦士用の半長靴を履き、カーキ色のシャツを着ながら青果商を営んでいた父親でした。

「ため息をつくな」、「わしの息子に臆病者はいない」こう言って、東京のマンガ界に船出し
松本さんを、父親はいつも励ましたといいます。

それでは、「銀河鉄道999」を始め、松本のマンガに繰り返し登場する美女・メーテルのモ
デルは誰なのでしょう・・?

松本さんは不思議な物語を語りました。

「それはもう、遺伝子のしわざ。DNAのなせるわざとしか思えないんです」

美女メーテルの姿は、松本さんがすでに17歳の頃から繰り返し描いてきた言います。

「最初は『機械化美人の生涯』というタイトルでした。いつも真正面から描いているが、特定のモデルはいなかったのです。
ところが2000(平成12)年に、先祖が入っている寺から連絡があって、先祖が写る古い銀板写真の中に、メーテルにそっくりな人がいると。

松本さんは見て驚きました。直系か親戚か隣人か判然としませんが、その中心に美女がいたのでした。「代でいえば、ひいお婆さんの時代ですよ。その写真を透かして反転させるとマンガの顔に輪郭がピタリと合ったんです」

その美女は、プロシア(現ドイツ)の血筋を引く、クォーターハーフだったという。彼の描くメーテルを始めとする美女のイメージは、DNAによって受け継がれ、松本さんの絵の中で永遠の生命を得ているのでしょうか。

「僕の父はパイロット、母は教師で、弟も工学博士です。自分が何で絵を描くようになったか分
かりません。ただ、遠い先祖が葛飾北斎と接点があったと記録に残っています」

初期のヒット作「光速エスパー」(少年ブック/集英社)の主人公・古代進も、実弟の進から
とったのです。
少年時代の同級生はほとんど何かのモデルになっている、松本さんは言います。

 

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「宇宙戦艦ヤマト」

再放送で「宇宙戦艦ヤマト」が社会現象に!

そして、1974年10月から、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」が放送されると、次第に注目を集めるようになります。

1977年、劇場版アニメ公開時には、中高生から青年層の幅広い支持を得て、
社会現象を巻き起こすほどの大ブレイク!

 

松本さんのヒット作のひとつ、キャプテンハーロックは、ご自身のお父さんをモデルに生み出されたそうで、太平洋戦争中、教育飛行隊の隊長だったお父さんは、終戦後、多くの元軍人パイロットが、
自衛隊入りしたのに対し、

「敵の戦闘機には乗れない」

と、断固拒否。

そのせいで、松本さん一家は、赤貧の生活を強いられ、
周囲の嘲笑の的となってしまったそうですが、

松本さんは、そんなお父さんを、

「本当のサムライ」

と尊敬しておられたそうです。

ただ、そのような流れを組むアニメは、ウケなくなってしまい、ハーロックの過去を描いた「わが青春のアルカディア」「わが青春のアルカディア 無限軌道SSX」が、本編「宇宙海賊キャプテンハーロック」へと続き、さらに、「銀河鉄道999」へと繋がっていく、当初予定していた物語の展開が、実現できずに終わってしまったとのこと。

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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