世界的ベストセラー『ハリー・ポッター』の裏側に隠された、
壮絶な実話とは?

誰もが一度は聞いたことのある名前、J.K.ローリング。
けれど、その輝かしい成功の裏に、
どれほど深い苦しみと闘いがあったか、知っていますか?
ここの記事では、ハリー・ポッターを生んだJ.K.ローリングの知られざる生い立ちと、どん底から這い上がった奇跡のストーリーをお届けします。
彼女の人生を知れば、どんな逆境にいても「自分もまた、前を向いて歩ける」と思えるはずです。
人生の泥沼の底から這い上がった有名人の、実話と名言をご紹介します。
人生いろいろあったけど遅咲きでも成功させた高齢者たちから学ぶ生きる力
幼少期〜放浪の時代:幸せとはほど遠い家庭環境
1965年7月31日、イギリスに生まれたジョアン・ローリング(J.K.ローリング)は、科学技術者の母とエンジニアの父のもとに育ちました。
しかし、母の病と父との不仲により、思春期から心を閉ざすようになります。
大学卒業後の彼女は職を転々とし、ロンドンとマンチェスターを行き来する“放浪生活”を送っていました。
JKローリング、「トランスの思想に疑問を持ち、学校を追い出された少女」を擁護。 https://t.co/mWaARCmcPZ
— 奥田幸雄🏳️⚧️ (@yukiookuda) May 18, 2022
貧困、DV、そしてシングルマザーへ
結婚したものの、夫からのDVや薬物問題に苦しみ、13か月で離婚。
娘ジェシカを抱え、無職・極貧の中で生活保護を受けながら、就職活動と子育てを両立する日々。
住んでいたのは暗くて寒いアパート。生きる気力すら失い、自殺を考えることもあったそうです。
そんな極限状態で彼女を支えていたのは、「書くこと」でした。
『ハリー・ポッター』はどのように生まれたのか?
ある日、マンチェスターからロンドンへの列車の中で、突然ふと現れた“魔法使いの少年”というインスピレーション。
「自分が魔法使いだと知らずに育った男の子」——それがハリー・ポッターの誕生の瞬間でした。
娘が眠っている隙間の時間を見つけ、カフェやアパートの一角で少しずつ原稿を書き進める日々。
しかし、書き上げた原稿は次々と出版社に拒否され、12社から断られたそうです。
自身のTwitterで、『ハリー・ポッター』をひらめいたときのことを回想
突然ハリー・ポッターのイメージが
降りてきたんです。どうしてなのか、
何がきっかけだったのかも分からない。
でもハリーと魔法学校のアイデアが
はっきり見えました。
「自分が一体何者なのかまだ知らない男の子」
「魔法学校からの招待が来るまで、
自分が魔法使いだと知らずにいた男の子」
というハリーの基本的なアイデアが生まれたんです。
本当に興奮しましたよ”(出典:The Scotsman)
奇跡の出版と世界的成功
13社目でようやく、ロンドンの出版社「Bloomsbury」が光を見つけてくれました。
1997年に出版された『ハリー・ポッターと賢者の石』は、瞬く間に世界中の人々を魅了し、シリーズは累計4億5000万冊以上を売り上げるベストセラーに。
J.K.ローリングは、無職・極貧・シングルマザーという状況から、世界一有名な作家へと変貌を遂げたのです。
\#ハリポタ 2夜連続放送/
『#ハリーポッター と死の秘宝』PART1 と PART2 #TBS で5/27~2夜連続で放送🎉
映画の後に舞台『呪いの子』特番も放送✨ 寺島も出演します😅⇒https://t.co/yIM797afz3
★5/27夜7時~死の秘宝 PART1
★5/28夜7時~死の秘宝 PART2
★両日とも放送後 #呪いの子 特番あり pic.twitter.com/M2L3xujlQM
— ポッターマニア (@pottermaniajp) May 18, 2022
心に響くJ.K.ローリングの名言
幸福は、暗闇の中でさえ 見つけることができます。私たちは皆、明るい面と暗い面の両方を持っています。
重要なのは、私たちが行動した部分です。
度胸さえあれば、不可能などありません。
まとめ:人生のどん底から、希望の魔法を
J.K.ローリングの人生は、私たちにこう教えてくれます。
「どんなに苦しくても、あきらめなければ夢は叶う」
「絶望の中でも、希望の火を灯すことはできる」
もし今、あなたが何かに悩んでいたり、人生に迷いを感じていたりするなら。
この物語が、あなたの背中をそっと押してくれることを願っています。
最後までお読みいただきまして
ありがとうございました!
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