
安田隆夫さんの人生の生い立ち
安田隆夫さん人生は自堕落した生活だった
●大学をサボって雀荘に通い
麻雀に明け暮れる自堕落な生活を続け、
とうとう所持金が5円のプー太郎に。
●また、ボクサーに憧れてジムに入門。
子供の頃に事故で左目の視力を
失ったことが災いして、ボクサーは断念した。
●大学卒業後に就職した中堅不動産会社に
入社もすぐに倒産。
●拾った新聞の求人欄から、
日雇いの仕事を始める。
港湾労働や新聞の拡張団で
日銭を稼ぎながら、無頼の生活を送った。
安田隆夫さん人生の転機
●29歳で小さな雑貨店を開く。
(なぜ雑貨店なのかと言えば、
「専門知識も人脈も必要なさそうだったから」
とのこと)
●ところが、ほとんどお客さんが来ず、
開業3ヶ月で 雑貨店は廃業寸前に。
安田隆夫(やすだ たかお)氏の、その後は…
↓ ↓ ↓
「20代の頃にバカな人生を送ったせいで、
人間の本質的な部分をいやおうなしに
学ばせてもらいました」
たどり着いたのが、処分品やサンプル品などを
安価で販売するバッタ屋という仕事だった。
1978年、29歳で西荻窪に
「泥棒市場」を開店する。
ドンキの原型はすべてここにある。
まだセブン-イレブンが11時で
閉店していた時代、深夜遅くまで一人で
商品の陳列をしていたところ、
営業中と勘違いした客が立ち寄った。
これがナイトマーケットという鉱脈を
掘り当てるきっかけとなった。
商品棚は「取りにくい、見にくい、探しにくい」
という、流通業の教科書を
すべて否定する手法をとった。
溢れかえる商品を並べるためだ。
店は異様な活況を呈す。
1989年、安田はドン・キホーテ一号店を府中に立ち上げた。
「当時、大手のチェーンストアが隆盛を極めていた。
しかし、我々にはそれをオペレーションする
資本も人材もない。すべてにおいて
勝てる要素がありませんでした」
ならばとことん逆を行こう、と安田は考えた。
ただし、店のキャラだけ立てても、お客様は商品を買ってくれない。
「人の心を掴むのはどうすればいいか。
心のひだに触れて、分け入っていくこと。
これを商売の“座標軸”にしないと、
受け入れられない」
「深夜営業」「隙間なく商品を並べる」
「POP貼り」といった、当時の商店としては
常識外れの戦略を打ち出し、
雑貨店の業績を劇的に改善させました。
安田隆夫の人生の中の名言
多くの経験をしたからこそ、
今の成長につながった。
振り返ってみると、大きな危機に陥るほど、
その後大きく成長した。
だから危機はいわば、
「成長痛」のようなものだったのかもしれない。
常に忘れてはいけないのは、
不都合な真実を含めて客観的に見つめ、
咀嚼したうえで自らが変わらなくては
いけないということだ。
そうでなくては、限界は壁にしかならないだろう。
まとめ
どん底から這い上がった安田さんの、不屈の精神を真似しなくては!!
「人生は配られたカードで勝負するしかない」という話もありますが、それはどうやら間違いのようですね。
カードゲームとは違い、人生では「配られたカードが気に食わない場合は、幾らでも新しいカードを作りだすことができる」。
それが人生の醍醐味なのかもしれません。
皆さんの心に、何らかの “情熱の火” を灯すことができましたら幸いです ^^)
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