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「ぼくんち」西原理恵子マンガから学ぶ人生どん底からの笑い方

どん底からの逆転人生
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TOM

「ぼくんち」

西原理恵子にハマったきっかけになったマンガ。
私、泣きました!

 

2002年には阪本順治監督、観月ありさ主演で映画化もされた名作です。

初めて読んだときは、悲惨な設定、エロ、グロ、にイヤな気持ちになったんだけど、
ある日ちゃんと読んでみたら

汚くて悲惨でみじめなのに、心があたたかくなってやさしい気持ちになって。

なんとも不思議な体験でした。

こんな世界は、西原さんにしか描けない。

好き嫌いは別れると思うけど、私にとって大切な一冊です。

というか、これを読んで泣かない人というのは、哀しみを感じる感性が鈍っている!
とでも説教したくなる西原理恵子の『ぼくんち』です。

そこで今回の記事は、『ぼくんち』がなぜ泣けるのか?
なぜ深く心に染み込むのかをまとめてみました。

結論
どん底にいるときに、いくら泣いてもどうにもならない。
それなら笑って生きていこう

 

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『ぼくんち』のストーリー

一太と二太という兄弟が物語の中心的人物です。
母ちゃんは3年前に買い物に行ったきり帰ってこないという悲しい2人の物語なのです。

彼らの住むのは山と海しかない静かな町で、端に行くほど貧乏になっていきます。
兄弟の家は町の一番端っこにありました。

ある日、母ちゃんが2人の父違いの姉・かのこを連れて帰ってきます。
4人での新しい家族生活が始まった・・・と思ったのも束の間、また母ちゃんが家出していまいます。

2か月後、二太は、母ちゃんが知らない子に「ママ」と呼ばれている現場を目撃します。
「ねえちゃんねえちゃんねえち……」とかのこ姉ちゃんに泣きつく二太。

さあここで、かのこ姉ちゃんはどうしたのでしょうか?

この「かの子姉ちゃん」、ピンサロ勤めだが、母親代わりとして弟たちを大切にする優しい女性です。

落ち込んでいれば「ちちきゅう」といっておっぱいを押しつけてくれたり、一緒に添い寝してくれたりする。

そんなかのこ姉ちゃんの胸に、二太が大泣きしながら飛び込もうとします。
当然、ギュッと抱きしめた……わけじゃあないんですよ。

かのこ姉ちゃん、このときばかりは滅多に見せない顔で怒って張り手一発!で、この一言。

「二太、ええかあ、泣いたら世間がやさしゅうしてくれるかあっ。泣いたらハラがふくれるかあ!!」

 

かの子姉ちゃんは「泣いてるヒマがあったら、笑ええっ!!」っと何度も何度も二太の顔を張る。

 

二太は鼻血をブーブー出しながら、「今日ぼくは鼻血を出しながら笑うことを覚えました。「ひとつ大人になったと思う」と泣き笑いするのです。

 

どん底でも笑う。これは『ぼくんち』に通底するモチーフといえます。

 

『ぼくんち』のどん底生活

このマンガには実際、どん底生活だけが描かれています。

大雨が降れば流される家に住んでいるジジイ。
50歳過ぎてヤクザの使い走りをしているシャブ漬けの男とその娘。
クスリにアルコール、借金でズブズブの風俗嬢……

登場人物はそんなどん底の人たちばかりだ。

例えばこのようなストーリーがあります。

こういちくんというヤクザ者が、生活能力のないホームレスのとろちゃんを車に投げ込みます。
とろちゃんはむち打ちになり、おかげでタダで病院に住めて、タダで食事がとれます。

一太はそれを見て「こういちくんは、やさしいうえに頭のいい人なんだ」と感心します。

そのこういちくんも、笑顔を決して絶やさない。悲しいときでも、人をボコボコにするときでも(!)、いつもニコニコしています。

マンガに出てくるどん底の人たちも皆、悲しいときほど笑っているのです。

これは楽しさや嬉しさを超えた「笑い」で、怖さすら感じるほど。

新渡戸稲造をモデルにした芥川龍之介の短編に「手巾』があります。
大学の先生のところに、教え子の母親が訪ねてくる。その教え子は病気で入院しており、
先生も心配しているところ。

その母親は、自分の子どもの死を報告に来たのでした。
先生は驚きます。母親は涙も流さず、世間話をしているような調子なのです。

しかも「口角には、微笑さへ浮んでゐる」。
西洋人なら国家元首の死に年端の行かぬ子どもまでが涙します。

それなのにこの母親が笑っていることを先生は不思議に思宇野です。

しかし実は、その母親は手を震わせながら、膝の上のハンカチをぎゅっと握っていたのだ。

「顔でこそ笑つてゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐたのである」

 

日本人の微笑は、「謎の笑い」と外国人から不気味がられることがありますが、
文豪・芥川は、この「日本人の微笑」の凄みを描き切ったと言えるのではないでしょうか。

どん底にいるときに、いくら泣いてもどうにもならない。

それなら笑って生きていこう。

 

我が子を亡くした『手巾』の婦人も、『ぼくんち』に出てくる人たちも、
だからこそ笑うのです。

 

 

どん底でも笑う――生きていく力の根源!!

 

最近は「笑い」まで西洋化されてしまったのか、これらの笑いが少なくなりました。
残念なことに、どん底に到達する前に、些細な理由で人生を諦める人も少なくありません。

 

オランダで活躍するサッカー選手・小野伸二の高校時代にこんな逸話があります。
小野選手の清水商業は、ある試合で強豪校に03で負けていました。

サッカーで3点差といえば、逆転は不可能に近いですね。

しかしキャプテンだった小野選手は試合中、「大丈夫、大丈夫」と笑っていたと言います。

その笑顔に相手は呑まれ、結果、逆転勝ちを収めたというのです。

 

 

どん底でも腹の底から笑うというメンタルが勝利を呼び込んだのです

 

後にJリーガーになった相手チームの選手は、「小野には絶対勝てない」と思ったそうです。

 

『ぼくんち』の かのこ姉ちゃんはわかっています。
「最近、一太くん、ちょっとも笑ってないから」と寝ている一太の頰を引っ張って「にこにこの練習」をしたりするのです。

どん底でも笑うメンタリティを技化するには、これに限ります。

 

何か感情が湧き起こったらとにかく笑うのです。
感情に流されるんじゃなく、踏ん張って笑う。
人に癒されたがっている人が多が、笑うと不思議に癒される

 

これぞセルフ癒し法金も全くかからない。

物語の最後、二太は親戚のじいちゃんにもらわれていきます。
もうかのこ姉ちゃんや一太兄ちゃんにいつ会えるかわからないのです。

成長した二太は、自分が何をすべきかわかっている。
船で町を離れながら二太はこういうんです。

 

「じいちゃん。ぼく知ってんで。こうゆう時は笑うんや」

いや~、泣けます!!

 

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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