ビートたけしさんの前ので世代で有名な芸能人は、
欽ちゃんこと「萩本欽一」さん
この方も若い頃はかなりの苦労人でした。
欽ちゃんのエピソードを知りたい!聞きたい!
そんな要望にお答えします!
欽ちゃんこと「萩本欽一」さん、漫才コンビ「コント55号」で爆発的なブレイクを果たすと、
その後も「視聴率100%男」と称されるなど、一躍、時代の寵児となりました。
今回の記事は、そんな萩本欽一さんこと「欽ちゃん」の幼少期の苦労話をご紹介します。
それまで裕福だった家庭が、一転、小学4年生の時、お父さんの事業失敗で
借金取りに追われるようになった欽ちゃん!
その後は、住居を転々とし、ついには夜逃げまでします・・・
萩本欽一こと「欽ちゃん」のプロフィール
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欽ちゃんは、1941年5月7日生まれ。
東京府東京市下谷区稲荷町(現・東京都台東区東上野3丁目)出身。
身長164センチ
体重65キロ
血液型はA型
学歴は、
さいたま市立高砂小学校
⇒台東区立西町小学校
⇒台東区立御徒町中学校
⇒駒込高等学校
⇒駒沢大学仏教学部中退
趣味は、
絵画(墨絵)、園芸、麻雀、競馬、野球観戦、
特技は、将棋 、
ちなみに、「萩本欽一」は本名で、愛称は「欽ちゃん」「大将」です。
お父さんがカメラの仕事で大成功を収め、大金持ちとなったことから、裕福な家庭で何不自由なく育たれた、欽ちゃんですが、小学4年生の時、人生が一変してしまいます!
欽ちゃんパパが事業に失敗して失踪?!
しかし、欽ちゃんが、小学校4年生になった頃、
お父さんが、
これからは大きなカメラを首からぶら下げる時代ではない。手に持てるような小さいカメラに取って代わるぞ!
といい工場を建設、小さいカメラ事業に勝負を賭けますが・・・これが大失敗!
お父さんは、最後には、借金で首が回らなくなり、いくつか回していた店もどんどん閉鎖せざるを得なくなり、最後の砦だった上野の駅前の店を長男(欽ちゃんのお兄さん)に任せると、姿を消してしまったのです。
当然、急に店を任されたお兄さんだけでうまくいくはずもなく、そのうち家賃が払えなくなり、借金取りが家にまでくるようになると、
欽ちゃんは、
今、両親はいません
と、伝えるよう、お母さんに言われて出ていくのですが、
いるのに、いないって嘘つくんじゃねぇよ!
と、借金取りは激昂。
それは、まるで地獄のような光景だったそうで、
欽ちゃんは、
借金取りの催促があまりにもしつこいものだから、最後は根負けした母親が玄関まで出ていくんだよね。それで何を話すかっていうと、「申し訳ございません……。申し訳ございません……」ってこれだけ。
実際、それしか言うことがないのよ。正座の体勢で「申し訳ございません」って言うたびに母親は頭を下げるものだから、額が床につく音がコツンとするわけ。その「コツン、コツン……」という音に合わせるようにして、僕の目からは涙が「ポロリ、ポロリ……」とこぼれましてね。
と、語っています。
欽ちゃんは借金苦で住まいを転々とし最後は夜逃げ
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お父さんの事業失敗後、萩本さん一家は、埼玉県浦和の一軒家から、再び東京の稲荷町に引っ越しすると、欽ちゃんが中学入学後には、今度は小石川のアパートに引っ越しします。
そして、小石川ではさらに生活が苦しくなり、家賃も払えなくなると、ついには夜逃げして、渋谷の六畳一間のアパートに逃げ込む形で転居されます。
萩本家「解散」
ただ、渋谷での生活は、大学を卒業してすぐ働き始めたお兄さんの毎月のお給料(1~2万円)で、一家が生活をしていたそうです。
ある時、お兄さんが、
僕には青春がない!
みんな、それぞれの力で生きていくことはできないの?
と、これまでの不満を爆発。
すると、もっともだと思った欽ちゃんは、
わかったよ、兄ちゃん。今までありがとうね。これからは自分の力でやっていくからさ
と、答えたそうです。
萩本家は、本当に家族みんながバラバラになってしまい、どこで誰が何をしているのか、本当に分からない状態で、久しぶりにあったのは、欽ちゃんが有名になった後だったそうです。
欽ちゃんは、借金苦の母親に家を建てるため芸能人を目指した
そんな欽ちゃんは、借金取りに責め立てられるお母さんを見て、
わが家は大変なことになっている。貧乏というのは、ここまで人を追い詰めるものか。こうなったら僕は10年で家を建てる。そして母ちゃんに気分よく過ごしてもらうことにしよう。
と決心しました。
じゃあ10年で家が建てられる仕事って何だろう?
と、考え始めると、思いついたのが、プロ野球選手か芸能人。
そして、ある時、学校で、女子生徒が持っていたアイドル雑誌「週刊明星」を借り、パラパラとめくっていると、「中村錦之助が新築の家を建てた」という記事が載っていたそうで、欽ちゃんは、
家を建てるんだったら芸能人
と、考えるようになったのです。
欽ちゃんは、中学2年の先生との出会いがコメディアンへの扉を開く
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芸能界では、1 か月もやってれば,才能の片鱗がち らっとは見えるものですが、欽ちゃんの場合,3 か月やってもちらりとも見えなかったらしいでした。
ある日,演出家の先生に突然呼ばれて、「向いてないから止めた方がいい。」と宣告されました。
それですっかり落ち込んでいたら,師匠が察して,演出家の方に欽ちゃんをクビにしないよう話をしてくれたようです。
その後,演出家の方が欽ちゃんの所に来て,
そして,君を応援してくれる人がいる。
これは将来ものになるかもしれないってことだ。生涯 止めないで頑張りなさい。」と言われたそうです。
伝説の「欽ちゃん走り」
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「欽ちゃん走り」はどのようにして生まれたのか?
欽ちゃんはもともとすごく上がり症だったので,肩にグ ッと力が入りすぎます。
舞台の上で走ってるときもコチコチ。
それを小堺一機がおもしろ可笑しくまねてるのをテレビで見ていたので、欽ちゃんがそうやってる自覚が全くなかったんだけど,おもしろかったから,小堺の動きをテレビで研究したのです。
まとめ
失敗を重ねて作品を作ってきた欽ちゃん。
芸能界のお仕事には正解というものがない、
何度も失敗を重ねて作っていける。
と語っています。
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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