
遅咲きの人生を送る有名人や偉人には、
なぜ成功者が多いのでしょうか?

そうですね! どうしてでしょうか?
映画『ロッキー』や『ランボー』シリーズなどで知られるシルベスター・スタローンも遅咲き人生なんですね?
こんな疑問にお答えします。
◆ シルベスター・スタローンとは?
「ロッキー」や「ランボー」シリーズで知られるシルベスター・スタローン。
筋肉隆々で無敵なイメージの彼ですが、実はその人生は想像を絶するほど波乱万丈でした。
成功を掴むまでには、障害、極貧、ホームレス、そしてポルノ出演といった、
壮絶な試練がいくつも待ち構えていたのです。
- シルベスター・スタローンの生い立ち
- シルベスター・スタローン ロッキー誕生
- シルベスター・スタローン出演作
◆ 幼少期:医療ミスで障害を負う
筆ペン絵描き
エイドリアアアアアアアアアアアアアン!!!
私のヒーロー♪
シルベスター・スタローンロッキーは本当に好き…No.1😌 pic.twitter.com/yZwjc0aapK
— 如水円清 (@josui_ensei) September 26, 2019
スタローンは1946年、アメリカ・ニューヨークで生まれました。
出産時、医療ミスによって顔の左半分が麻痺し、口元が歪み、
ろれつが回らないという後遺症が残ってしまいます。
その容姿と話し方のため、幼いころからいじめの対象に。
加えて家庭環境も複雑で、11歳のときに両親が離婚。
少年期は孤独で苦しい日々を過ごしました。
鉗子分娩(かんしぶんべん)
鉗子(かんし)という器具は金属製の2枚のへらを組み合わせたはさみのようなもので、これで赤ちゃんの頭を両側からはさんで引き出すものを鉗子分娩(かんしぶんべん)といいます。鉗子(かんし)や吸引を使ってお産(難産)を助ける「鉗子分娩(かんしぶんべん)」と「吸引分娩(きゅういんぶんべん)」の分娩方法があります。鉗子分娩(かんしぶんべん)は吸引分娩(きゅういんぶんべん)より早くから用いられた方法です。日本で現在のように帝王切開が発達していなかった頃に緊急時に対応する分娩法として鉗子分娩(かんしぶんべんが行われていました。
引用:京都産婦人科 身原病院https://www.mihara.com/glossary/detail.php?no=MTE=
シルベスター・スタローン 少年時代からイジメられっ子
そのせいで、特徴的な顔となり、舌足らずな話し方だったスタローンは、
常にイジメられ、内向的な性格になったそうです。
小さい頃のスタローンはスーパーヒーローに憧れており、
学校の制服の下にはスーパーヒーローのコスチュームを着ていたそうです。
またスーパーマンのように空を飛ぼうとして、
自分の部屋の窓から飛び出した逸話もあり、空想することが好きな少年だったそうです。
◆ 演劇との出会い、そしてニューヨークへ
成績も悪く、14の大学から入学を断られたスタローン。
しかし、運よく奨学金でスイスの大学に留学し、そこで演劇と出会います。
演技に没頭した彼は、アメリカへ戻り、マイアミ大学で演劇を専攻。ところが、俳優の夢を追うため大学を中退し、ニューヨークでの下積み生活が始まります。
◆ 拒絶の日々とホームレス生活
ニューヨークではオーディションを何十回も受けますが、
障害や外見のせいでことごとく不採用。演技力があっても、
「見た目がスター向きではない」という理由で門前払いを食らいます。
所持金はわずか200ドルを切り、家賃も払えずアパートを追い出され、
ついにはバスターミナルでホームレス生活。
寒さと空腹に耐えながらも、「演技を諦めない」と決意していました。
◆ 生活のために出演した“あの映画”
生活費に困り果てたスタローンは、1970年、ソフトポルノ映画
『Party at Kitty and Stud’s』に出演します。
ギャラはたった200ドル。
それでも彼は、「ホームレスよりはマシだった」と語っています。
後年、この映画が再販される際に『The Italian Stallion(イタリアの種馬)』
と改題され、話題となりました。
さらに悲しいことに、愛犬のバッカスを50ドルで売るという苦渋の決断まで下しています。
このエピソードは、のちに多くのファンの涙を誘いました。
◆ 転機:「ロッキー」誕生の裏側
1975年、スタローンはテレビで放送されていた
「モハメド・アリ vs チャック・ウェプナー」の試合に衝撃を受けます。
絶対的不利とされていたウェプナーが、15ラウンドまで粘り続けた姿に、
彼はインスピレーションを受けました。
その興奮のまま、わずか3日で書き上げたのが『ロッキー』の脚本です。
この脚本を売り込むも、最初はどの制作会社からも拒否されます。
しかし、あるプロデューサーが脚本を気に入り、75,000ドルでの買い取りを提示。
しかし条件は「主演は別の俳優で」というものでした。
シルベスター・スタローン ロッキー誕生
筆ペン絵描き
エイドリアアアアアアアアアアアアアン!!!
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— 如水円清 (@josui_ensei) September 26, 2019
◆ 『ロッキー』の大ヒットと一夜にしての大逆転
1976年に公開された『ロッキー』は、アメリカ中で大ヒット。批評家からも高評価を得て、アカデミー賞作品賞、監督賞、編集賞を受賞。スタローン自身も主演男優賞・脚本賞にノミネートされ、世界中が彼の名を知ることになります。
かつて売った愛犬バッカスも、3,000ドルと出演料で買い戻したそうです。バッカスはその後、続編『ロッキーII』にも出演しています。
◆ ロッキー=スタローンの人生そのもの
「ロッキー」というキャラクターは、スタローン自身の投影です。
– 劣等感
– 見た目へのコンプレックス
– 貧困
– 社会からの拒絶
– それでも諦めない心
これらすべてが詰まったロッキーの物語は、まさにスタローンの実体験そのものでした。
◆ 遅咲きの成功者が教えてくれること
スタローンがスターになったのは30歳を過ぎてから。そこまでの道のりは遠く、苦しいものでした。しかし、どんなに不利な状況でも、彼は「自分を信じ続けた」のです。
「夢を諦めない者に、いつかチャンスは訪れる」
この言葉を証明してくれるのが、シルベスター・スタローンという人物です。
◆ 主演の座にこだわった理由
スタローンは金銭的にどんなに困っていても、主演の座を譲ることはしませんでした。「ロッキーは自分自身。誰にも渡したくない」という強い思いがあったからです。
結局、ギャラは大幅に減額され、制作費も100万ドルに抑えられることになりましたが、スタローンは念願の主演の座を手にしました
『ロッキー』の像の前で記念撮影をしていた学生の前に、S・スタローンが現れた!#シルベスター・スタローン #学生 #像 #ロッキー https://t.co/DiMDh6cVCc pic.twitter.com/YTBkIc0lTW
— switch news/スイッチ・ニュース (@switch_news_ofc) December 20, 2019
シルベスター・スタローン出演作
ロッキー シリーズ 1976年〜 |
ランボー・シリーズ 1982年 |
クリフハンガー 1993年 |
デイライト/デモリションマン 1996年 |
ロッキー・ザ・ファイナル 2006年 |
ランボー/最後の戦場 2008年 |
エクスペンダブルズ・シリーズ 2010年〜 |
クリード 炎の宿敵 2018年 |
ランボー ラスト・ブラッド 2019年 |
🎯まとめ:今がどんな状況でも、夢は実現できる
人生がどん底にあっても、希望を捨てなければ未来は変えられる。
スタローンの人生は、そんな力強いメッセージを私たちに届けてくれます。
・障害があっても
・お金がなくても
・社会から拒絶されても
努力と情熱を持ち続ければ、必ず道は開けるのです。
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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