浅草の芸人といえば、
ビートたけしさんと欽ちゃんこと萩本欽一さんですが・・・・
お二人の仲は良くなかったと聞いたけど、実際どうなの?
そんな疑問にお答えします。
浅草から生まれた2人のレジェンド
渥美清、萩本欽一、ビートたけし…国民的スターを数多く生みだした浅草の伝説の劇場
「フランス座」
演芸場として愛されているかつての“フランス座”から、多くの有名芸人が誕生しました。
日本の笑いの歴史を語る上で欠かせない2人の存在――
それが、ビートたけしと萩本欽一(欽ちゃん)です。
彼らはともに「浅草の伝説的劇場」フランス座にルーツを持つ芸人でありながら、
かつては「確執があった」とも言われる関係にありました。
しかし本当に2人の仲は悪かったのでしょうか?
この記事では、彼らの関係の真相に迫りつつ、お笑い界の裏側、
そして師弟関係の系譜までを深掘りしてご紹介します。
深見千三郎の孫弟子に当たるのが萩本欽一であり、
深見千三郎の最後の弟子に当たるのがビートたけしなのだ。
物語は複雑に絡まりながらつながっている。
浅草の名門劇場「フランス座」とは
浅草には戦後、数多くの芸人たちが集い、芸を磨いた劇場が存在しました。
なかでも「フランス座」は、ストリップとコントが融合した
独特の舞台スタイルで知られ、お笑いの登竜門とされていました。
この劇場からは、渥美清、由利徹、そして萩本欽一、ビートたけしなど、
日本のお笑い史に名を刻むスターたちが羽ばたいていきました。
師匠・深見千三郎をめぐる因縁
2人の因縁は、共通の“祖”にあたる人物にまでさかのぼります。
その人物とは浅草の名物芸人・深見千三郎です。
萩本欽一は、深見の「孫弟子」
ビートたけしは、深見の「最後の直弟子」
つまり、同じ系譜の中に存在しながらも、
時代と立場の違いから距離が生まれた関係だったのです。
欽ちゃん天下の時代とたけし軍団の台頭
1970年代〜80年代前半、日本のテレビは萩本欽一の独壇場でした。
「欽ドン!」「欽ちゃんのどこまでやるの!」など数々の
番組が驚異的な視聴率を叩き出し、「視聴率100%男」とまで呼ばれていました。
一方、若手だったビートたけしはその圧倒的存在感に強い対抗心を抱いていました。
たけしは「欽ちゃんを倒す」ことを目標に掲げ、
自らが率いる「たけし軍団」と共に新しい笑いの時代を切り拓こうとしたのです。
この「打倒・欽ちゃん」が、たけし軍団の結束力を強めた
原動力となっていたのは間違いありません。
しかし、そんな人気絶頂だった欽ちゃんに、敵意むき出しで挑んでいたのが、
ビートたけしさんと弟子の「たけし軍団」だったそうです。
この「たけし軍団」は序列が厳しく、また結束が固いことでも有名でした。
それはなぜかと言うと「たけし軍団」には、「打倒!欽ちゃん」
という大きな目標があったからでした。
お笑いの姿勢の違いが生んだ確執?
萩本欽一は「品のある笑い」にこだわり、下ネタを極力避けてきた芸人です。
その姿勢は、師匠・東八郎の教え「下ネタは芸人が疲れている証」に影響されたものでした。
一方、たけしや軍団は、下ネタや毒舌、ブラックユーモアを武器に笑いを取るスタイル。
彼らの笑いは、テレビのお笑いに新風を巻き起こしました。
このスタイルの違いが、2人の間に溝を生んだとも言われています。
1985年、世代交代の象徴的な出来事
1985年、欽ちゃんは突然テレビから姿を消します。
事実上の“充電期間”でした。
そのタイミングで始まったのが、
たけしの伝説的番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」。
この番組の成功は、まさに「欽ちゃん時代の終焉」と
「たけし時代の到来」を象徴するものでした。
たけし軍団と欽ちゃんの初共演
2011年、フジテレビ『テレビを輝かせた100人』で、
たけし軍団の一員であるガダルカナル・タカと萩本欽一が初共演を果たしました。
番組内でタカは、欽ちゃんに思い切ってこう尋ねます。
「たけしさんを含め、我々は下ネタばかりやっていて…
欽ちゃんから嫌われてるのかなと感じていました」
それに対し、萩本はこう語りました。
「いやいや、僕も昔は裸の劇場で下ネタもやってたよ。
ただ、師匠から“下ネタは疲れてるときに出る”って教えがあってね。
それを守ってきただけ。
相手がやることには何の抵抗もないよ」
そして、驚くべき一言が続きます。
「実は、たけしは浅草で弟みたいに思ってた。…
だから、(たけしに)言っといて。“大好き”だって」
たけしへの本音と涙の再会
この言葉を聞いたガダルカナル・タカは、感極まって涙をこぼしました。
「たけし軍団」の一員として、師匠たけしの欽ちゃんへの複雑な
思いを知っていたからこその涙だったのでしょう。
テレビの表側では「敵対関係」として描かれがちだった2人。
しかしその実情は、お互いが互いを認め合い、
尊重し合ってきた「兄弟のような絆」だったのです。
浅草が育てた2つの魂
萩本欽一は、ドラム練習でリズム感と自信を身につけ、
坂上二郎と「コント55号」を結成。
舞台直前にしかネタを明かさない即興性は、アドリブを極める
浅草芸人ならではのスタイルでした。
一方のたけしも、浅草フランス座で「浅草キッド」として漫才に励み、
苦労と努力を重ねて独自の芸風を築きました。
どちらも「芸人の原点=浅草」を大切にしていた点では共通しています。
ライバルであり、兄弟であり
表面上はぶつかり合い、違う笑いを追求していたように見える2人。
しかし、その根底には「お笑いに対する情熱」と
「浅草芸人としての誇り」が共通して流れていたのです。
2人の関係は、単なる対立ではなく、同じ芸の道を志す者としての
「敬意と絆」によって支えられていたのかもしれません。
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『浅草芸人』萩本欽一とビートたけし
『浅草芸人』は、演芸の街である浅草の明治以来の
150年史を綴った書である。
萩本欽一の浅草での修業時代についてこう書かれている。
初めはあがり症のためセリフが言えず、演出家から「やめたほうがいい」と諭された萩本だったが、先輩の池信一と東八郎が、「あの子の『はい』という返事だけはいい」と言ってくれたおかげでクビにならずに済んだ。
その後、ドラムの練習を始め、それを習得すると一気にそれを克服したという。
足りなかったのはリズム感と自信だったのだろう。
やがて、坂上二郎とコンビを組んだ萩本は浅草のフランス座で
「火の出るようなアドリブ合戦」で爆発的な人気を得て、テレビに進出して行く。
このコンビ、コント55号の異常性を著者は以下のように解説している。
このコンビが異様なのは、ツッコミの萩本が変人で、
ボケの坂上二郎のほうが常識人というところだ。
萩本は設定だけを考えて、それを舞台の直前で坂上に教えた。
したがって、二人のやりとりは、ほぼアドリブである。萩本は、坂上に何かの行動を強制する。坂上は素直にやってみせる。
萩本は、その行動にいちゃもんをつけ、何度も何度も同じことをやらせる。
かつて萩本が東洋劇場で東八郎から学んだ技術である。本来、理は坂上のほうにあり、萩本が口にしているのは
言いがかりにすぎないのだが、その偏執狂的なしつこさが爆笑を呼んだ。
一方、ビートたけしは新生フランス座の座長に就いた深見千三郎に師事した。
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たけしは、芸風から服装、ものの言い方まで、すべて師匠のまねをしていた。
というより、自然に影響を受けていったのだろう。乾いた砂地が水を吸い取るように、たけしは深見の芸や考え方を吸収していった。
深見とたけしほど濃密な師弟関係はなかった、という。
しかし、たけしは同じフランス座の仲間だった兼子二郎に誘われ漫才を始める。
たけし自身は、まったく漫才に興味を持っていなかったが、
浅草でのぬるま湯のような生活に飽きかけていたのと、
二朗の勧誘があまりにもしつこかったので、その話を了承する。たけしから、フランス座を離れると聞かされた深見は顔色を変えて怒り、
その後しばらく、たけしが訪ねてきても、決して会おうとしなかったという。
やがて、ツービートを結成してテレビ界を席巻していくことになるビートたけし。
彼にとっての「浅草」は複雑な愛憎の思いが渦巻いている。
たけしの浅草への思いには、売れずに浅草でくすぶり続けている芸人たちへの申し訳なさと、もどかしさが入り混じっている。また、師匠である深見千三郎が持つ舞台芸に対する憧れや、自分には追いつけないという劣等感も絡みついている。
萩本欽一とビートたけし
萩本欽一の師は東八郎である。
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実は、東(八郎)がロック座にいたとき、こうした(萩本に教えた)
芝居を一から教え込んだのが深見千三郎だった。
そのため、深見にとって萩本は孫弟子に当たる。
まとめ
『人生はおもしろがった人の勝ち』(萩本欽一著、大和書房)の冒頭で、
著者の萩本欽一さんは「絶対においしいものなんか、世の中にはない」
と断言している。とはいっても否定的な意味ではなく、話はこう続けられるのだ。
「ただし、ものをおいしく食べることはできる。気心の知れた仲間と食べてもおいしいし、
自分ががんばって作った料理を目の前で誰かがおいしそうに食べてくれたら、
それを見ているだけでおいしい気持ちになってくる」と。
そしてそれは、人生についても言えるという。
絶対におもしろいことなんかない。同じことでも、状況によって、
おもしろかったり、おもしろくなかったりする。だけど、どんな状況にあっても、ものごとをおもしろくすることは
できるんじゃないかな。
要は、考え方一つってことだ。
(本書3ページ「はじめに おもしろく生きることに年齢は関係ない」より引用)
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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