「ビートたけしの師匠を教えて! どんな人物だったの?」「ビートたけしは師匠から何を学んだの?」
そんな疑問にお答えます。
深見千三郎は、ストリップ劇場「ロック座」では座長格の立場で、芸人たちと幕間コントを演じ、人気を博した。渥美清や萩本欽一などかつての仲間や後輩が続々とテレビに進出したが、その流れに背を向けた。1971年にはフランス座に移り、裏方を取り仕切りながら舞台に立ち続けました。
深見千三郎はビートたけしを育てた浅草フランス座の苦労人
ビートたけしの師匠 深見千三郎プロフィール
深見千三郎の本名は久保七十二(なそじ)。大正13年3月31日(1923年)に北海道の浜頓別町で生まれ、樺太(サハリン)で育つ。
高等小学校卒業後、「あゝそれなのに」「うちの女房にゃ髭がある」などのヒット曲を持つ“歌う浅草芸者”美ち奴として映画や舞台で活躍していた姉の美ち奴(みちやっこ)を頼って上京。
浅草にある姉の芸者屋に住み込み、問屋に奉公に行くが日本一の盛り場で劇場街だった浅草六区に通い続ける。レヴュー喜劇の劇場の楽屋に出入りし、映画館で見たフレッド・アステアのミュージカル映画に憧れてタップダンスを習いました。
やがて姉に時代劇映画の大スターであった片岡千恵蔵を紹介され、日活京都撮影所で斬られ役の日々を過ごす。その際に片岡千恵蔵の「千」の字を貰い、芸名を深見千三郎とした。
1年ほど京都で修行した後に浅草に戻った。その後は順調に舞台をこなしていたが、戦時中に徴用された軍需工場で機械に左手を巻き込まれ、親指以外の指を切断する大ケガを負う。
深見本人は帰郷して1945年に『深見千三郎一座』を旗揚げする。座長として全国各地を回った後、1959年頃に浅草へ再進出、ストリップ劇場『浅草ロック座』に入った。
萩本欽一、ツービート、長門勇や東八郎などの師匠
深見千三郎の「最後の弟子」ビートたけし
1972年フランス座にエレベーターボーイとして入ったのが、25歳の北野武青年であった。
たけしが朝、エレベーターの前で立っていると、コメディアン志望の若者だと思ったのか「お前、なんて名前だ?」と会って一週間くらいしてからやっと口を聞いてくれた。
「北野武です」と緊張気味に答えるたけし、「コメディアンは何でも出来なきゃしょうがねいぞ、お前も暇な時はタップダンスとかギター、それから本ぐらい読んでろ、これからタケでいいや!」と勝手にエレベーターに乗り、中でタップダンスを始めました。
多くの芸人を育てた深見だが、晴れてエレベーターボーイから進行係兼コメディアン見習いに昇格した北野武(たけし)を「たけしは長いからタケだ」と言って息子のように非常に可愛がった、タップダンスや10本ほどのコントや演技などを次々と教えていった。
午前11時頃になると深見が現れ、「おいタケ! ちゃんとタップダンスやってるか?」えれべーたーの前で、ジーン・ケリーのように口笛を吹きながら踊流が、細かく教えてくれないので、たけしはジッと足下を見て覚えるしかなかった。
深見はたけしに「芸人は芸以外の事で金をもらっちゃダメだ!」と芸人たる姿勢を教え込みました。
そんなたけしのコントは、オカマになって現れるという役目があったが、深見からメイクが下手だとよく怒られた。
深見千三郎の定番コント
たけしは師匠の深見のコントを見ながら芸の勉強をしてきます。
田舎の男を浅草のポン引きが騙すという定番コント。
深見演じる農協の副組合長、「おお、忙しい、忙しい、農協の副組合長ってのは大変だ!」と言いながら舞台を行き来していると、袖から浅草のポン引きが現れてます。
「旦那、旦那!」と声を掛ける。ここから二人の掛け合いです。
「なんだ、さっきから旦那!、旦那って」「どうですか、これ!」ポン引きが小指を立てます。
「これって、小指どうすんだ、舐めんなよ春日部を!」浅草は東武伊勢崎線が通っており、何故か春日部という駅名が語呂なのかリズムなのか、コントによく使われる場所の名前です。
「いや、春日部の旦那、指じゃなくて女です、どうですか?」「おい、俺は只の春日部じゃないぞ、春日部農協の副組合長だ」
「え!副組合長?じゃ特別に色々用意させますんで、何でもやります」
「舐めるんじゃねぇ、だてに春日部から来たわけじゃねぇ、今回は世界副組合長会議、俺が代表で春日部から出て来たんだ!」
こんな感じで見事な掛け合いコントでした。フランス座ではよくやるネタですが、このネタを後でたけしと深見でやることになります。
たけしは二人の舞台を見終わった後考えます。深見のアドリブなど見れば間抜けな知識人なんかより優れている。色々な知識をえなきゃ売れるわけない!自分のあらゆる未熟さを思い知らされました。
深見千三郎コントでたけしへのOJT
舞台でもう深見が「おお、忙しい、忙しい・・・」とたけしのポン引きの声を待ています。たけしは夢中で「旦那、旦那」と大きな声で呼びかけます。
「何だ、そんなデカい声出して、皆にバレるだろう。ポン引きか?そんなデカい声のポン引きがいるか?馬鹿野郎」すかさず深見がたけしの芝居を直しながらネタを引っ張っていきます。
「どうです旦那、コレ!」と言ってたけしが近づくと、「寄るんじゃねぇ、ここは広いんだ、近づくな、距離を取って話せ」・・・とまた芝居をしながら立ち位置を教えます。
もう全部が実践コント教室でした。
また、深見はチャンバラコントを教えます。刀を持ったことがなかったたけしですが、深見のお陰でどうにか斬られ役ぐらいには形ができるようになります。
その後、たけしは深見の指示で、何回もこの「田舎の男を浅草のポン引きが騙すという定番コント」を反復練習をします。師匠の深見はやっとたけしを褒めてくれます。
たけしはコントで大事なのは場の雰囲気を作ること、自分が乗ること。少し分かってきました。
出たり入ったりが忙しいないフランス座でまた芸人がいなくなったある日、深見が「おいタケ、俺が昔やってたネタ教えてやる」とコントのメイクを始めました。深見は舞台に出るとき必ずドーランで化粧をします。しないたけしはいつも怒られます。
コントの大筋は、モテない二人がどうにかして女のパンツを覗こうとするストリップ劇場の定番コント。たけしははじめてのコントを何とかアドリブでこなします。深見はたけしの芝居は気に入ったようでした。それから二人のコントが暫く続きました。
たけしはこの時期、芸人の基本を教えてもらった一番重要な時間だったと振り返っています。
この頃からたけしは深見に飲みに連れて行ってもらうようになります。最初は寿司屋。
「おいタケ、何か頼め!」と言われ「ゲソお願いします!」と注文したら「おいタケ、いつもお笑いのことを考えとけ!俺が何を食う?と聞いたら!お前は何で人の懐考えるんだ、恥ずかしいだろう。トロと言え!俺がすぐゲソと言って『コノやろう、俺より良いもの頼むな!』と笑いを取ろうと思ったんだから」凄く叱られます。コレはコメディアンの生き方の基本、いつも笑わセルことを考えろ!と。
たけしは、こういうところは色々な場で教え込まれます。
深見とたけしのコントは、乞食、天丼、犯人違い、とか色々こなしていきました。
深見はたけしに言います「皆、焦って売れないんだよ。芸もないのにすぐにテレビやラジオに出たがる。ちゃんと修行しないと、売れてもすぐに人気なくなるぞ!タケ!」
やがてたけしは兼子二郎(ビートきよし)と組んで漫才を始める。深見は漫才という芸を認めず、彼らがフランス座を飛び出すと、怒って出入り禁止にした。
たけしは映画の原作である「浅草キッド」(新潮文庫)の中で次のように書いている。
〈「笑われてやるんじゃなくて、笑わしてやるんだ」という深見千三郎の芸人としての生きザマは、オイラの生理と感性に合っていて大いに感化させられた。
(略)自分で突っ込んでおいて、相手が受けられなければ自分でボケてしまうという芸風。舞台のすべてを自分一人で仕切って譲らない、師匠の独壇場の芸が好きだった。〉
その後の深見千三郎
フランス座のほうは、ストリップもコントも芸を見せるものだという深見の考えが上手く時代にマッチせずに経営が悪化しはじめ、深見の持ち出しが増えていった。
昭和56年(1981年)6月いっぱいで深見はフランス座を離れ、浅草のスナックを借りきって行われた「深見千三郎を励ます会」には東八郎、萩本欽一、ツービートが顔を揃えた。
昭和58年(1983年)1月3日にフジテレビの日本放送演芸大賞を受賞したたけしは浅草の深見のもとへ。たけしの著書「ギャグ狂殺人事件」(作品社)によれば、深見は次のような言葉でたけしを出迎えたという。
「観たぞ…タケ! おめえが演芸大賞かい? アハハ、世も末だナ」
2人で5軒はしごをし、たけしは賞金の一部を師匠への小遣いとして置いていった。
そして同年2月2日の早朝、深見は寝たばこが原因と見られる火事によって59歳で世を去った。
深見の芸人としての思いを受け継いだビートたけし。そのたけしに憧れ、今回の映画を監督した劇団ひとり。映画を観た若い人たちにも何かが伝わったに違いない。
さいごに 北野たけし「名言」
というわけで、今回は以上です。
最後に北野たけし名言で締めたいと思います。
人生で楽しいことばかりじゃない。苦しいと思うことも生きている証だと思えば楽しめる。
必死にやってもうまくいくとは限らなくてどうにもならないこともある。それが普通で当たり前だってことの方を教えるのが教育だろう。
努力ってのは宝くじみたいなものだよ。買っても当たるかどうかはわからないけど、買わなきゃ当たらない。
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