江戸幕府を開き、戦国時代の世に終止符を打った将軍「徳川家康」。「265年の時代を築き上げた世継ぎへのための子育て方法はどうだったの?」「子育てにおける17条の教訓」ってどういう内容なの?
「神君御文」「17条」ってなに?
こういった疑問に答えます。
「徳川家康の“子育て術”「子は若木のように育てよ」神君御文17条の極意とは?
江戸幕府を開いた天下人・徳川家康の子育ては苦労の連続だった! わがままに育った長男・信康に大いに悩まされた家康は、二代将軍となる秀忠の子育てには、ことのほか慎重だった。
晩年の家康が秀忠夫人・お江に宛てた貴重な手紙に記された「子育てにおける17条の教訓」(神君御文)をひもときながら、家康がどのようなことを大切に考えてわが子を育てたのか、その“子育て方法”は?
今回の記事では、265年続いた徳川幕府の徳川家康の”子育て法”(神君御文17条)をまとめてみました。
・神君御文 徳川家康の遺訓17条
・神君御文の徳川家康の子育て術
・上司にしたい歴史上人物第6位:徳川家康
神君御文 徳川家康の遺訓
徳川家康は、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という言葉が有名です。この言葉から想像できるのは徳川家康はまさに、“忍耐”の人でした。
徳川家康は、幼少時代に織田や今川の人質として過ごし、三河を治める大名となってからも武田信玄や一向一揆に苦しめられ、数々の苦い経験をしています。
しかし、耐え忍ぶ経験から多くのことを学んだからこそ、天下を統一できただけでなく、260年余りも続く江戸幕府の礎を築くことができたといえるでしょう。
「不自由を常と思えば」ならどうでしょうか。現在置かれている状況があたり前なのだと思えれば、今現在起きている問題という呪縛から解放されて、「今の状況でできることは何か」を考えられるようになるはずです。
その理由は、「足りていない」と思うことで、もっと成長しなければならないというモチベーションが生まれ、常に緊張感を持って様々なことに取り組めるからだと考えたからかもしれません。
それだけではなく、組織を構成するメンバーには、めざすべきゴールを示して、各々の役割も明確にすることが肝要だと伝えているようにも思います。自分のすべきことがはっきりしていれば、誰かがやってくれるといった油断は生じにくくなるからです。
この意味は、おおよそ次のようなものです。
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。
神君御文から徳川家康の子育て術
徳川幕府の命運を握るのは2代目・・・にかかっている・・・家康の後継者を「できるやつ」に育てあげることに取り組みます。
「神君御文」(しんくんおふみ)という徳川家康が息子の秀忠の妻 お江に宛てた手紙です。
子育てにおける17条の教訓を家康自らの経験をもとにさとしたとされています。いわゆる徳川家康の教育方針です。
ではいったい子育てをどのように考えていたのでしょうか?
徳川家康の子育て術 その1
若木のうちに添え木をし、悪い枝を切り取れ
徳川信康(長男)の子育てを自由にさせてしまった失敗を通じて反省します。
あまり窮屈な気詰まりなことはさせないで自由に育ててしまったら、わがままに育ってしまった。「親を尊敬することは思いよらず、何度言っても聞き入れずかえって親を憎むようになっていった」
そこから「植木のように育てよ」という方針ができたのです。
「植木の手入れをするときには「悪くなった枝があれば切り落とし、弱くて曲がってしまうようであれば添え木をしてまっすぐ育つようにする」・・・人間もそれと同じだと言います。
徳川家康の子育て術 その2
どんな相手でも聞く姿勢を持て
どんな相手からでも話をちゃんと聞くこと。「神君御文」の第7条に「大名自身は博学となる必要はない、その道の専門家から説明を聞いて良し悪しを判断できる力を養え」。
第8条「賞罰(しょうばつ)を正しく追従をしりぞけ諫言(かんげん)をすすめよ」
家臣(部下)から色々なアドバイスを聞く、そういう姿勢が殿様(上司)としてのあり方です。賞罰をきちんとする、自分に厳しいことを言ってくれるそういう家来の意見も大事にする。
子供と接するときは、子供の意見も聞く、周りの意見も聞く、聞<===>聴。
聴くということが、徳につながる
では聞き上手に育てるためには? 一番良い方法がひとつあります。それはしっかりと話を聞いてあげる親になること。
「どうしたの?」って聞いてあげる。子供はこういう訳で「私はいいと思ってやったらとんでもないことになっちゃったんだよ」というような弁解。
「弁解するんじゃない」というのは間違えです。弁解はすっかりさせる。その中に1パーセントなり3パーセントなり なるほどなと思えることがあるんです。
それに対して「それは大変だったね」と相づちを打つということ、そして「自分が受け入れてもらえた弁解を聞いてくれた」と思うと心が落ち着います。
まず聞く耳を親が持たないといけないということです。
上司にしたい歴史上の人物第6位
1990年代後半から2010年頃までに生まれた若者は近年「Z世代」と呼ばれています。その「Z世代」に第6位として選ばれたのが、徳川家康です。
天下分け目の関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開いた徳川家康。「頭良さそう」「気軽に話せそう」との声がよせられました。戦国時代に終止符をうった将軍が上司だと、大きなプロジェクトも戦略を持って成功させそうですよね!
参考に、
1位:織田信長
2位:卑弥呼
3位:坂本龍馬
4位:福沢諭吉
5位:紫式部
6位:徳川家康
7位:野口英世
8位:渋沢栄一
9位:聖徳太子
10位:与謝野晶子
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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