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夏目漱石の妻・夏目鏡子の素顔|愛妻か悪妻か?文豪を支えた波乱の生涯

【夏目漱石の妻】夏目鏡子は悪妻?愛妻?文豪を支えた波乱万丈の生涯と真実教育
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「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「こころ」など……。数多くの傑作を生み出し、明治・大正時代に活躍した作家・夏目漱石。あなたもご存知かと思います。

 

TOM
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その「夏目漱石」には内助の功があったみたい? 「夏目鏡子さん」っていう奥さんがいたみたい。その奥さんはどんな方だったんですか?

 

こういった疑問に答えます。

 

夏目漱石とその妻・夏目鏡子

「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「こころ」など、
数々の名作を残した夏目漱石。

しかし、その人生の陰には、一人の女性の存在がありました。
彼の妻・夏目鏡子です。
鏡子は愛妻だったのか、それとも悪妻だったのか——。

今回はその波乱の生涯に迫ります。

 

本記事を読んでわかること
  • 夏目漱石とは?
  • 夏目漱石の妻 夏目鏡子
  • 夏目鏡子は悪妻?

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文豪・夏目漱石とは

夏目漱石(なつめそうせき) は、江戸時代末期の1867年江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区牛込喜久井町)に生まれ、明治〜大正時代にかけて活躍した日本を代表する作家の一人です。小説家・英文学者で、本名は金之助です。

漱石は「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」という四字熟語をもじったペンネームで、「失敗を認めず、負け惜しみする人」という意味があるんです。

漱石は教科書にも採用される作品を多く残し、千円札の肖像にもなりました。
しかし、漱石は若くして神経衰弱に悩まされ、精神的に不安定な時期が続きます。

夏目漱石の脳は東大に保存されている

夏目漱石の脳は、東大の医学部にホルマリン漬けで保存されています。日本人の男性の脳の平均は大体1,350gですが、夏目漱石はそれよりも若干重く1,425gありました。

ということで、今回の記事は、夏目漱石の奥さん、「夏目鏡子」のお話なので、漱石のお話はまた今度の機会にしますね。

 

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夏目鏡子との出会いと結婚

1895年、松山中学校での勤務を経て熊本の第五高等学校に赴任中、
漱石は貴族院書記官長・中根重一の長女、鏡子と見合い結婚します。

当時、漱石29歳、鏡子19歳。結婚早々、
漱石は「学者である自分は勉強に集中するので、妻には構わない」
と宣言しました。

夏目鏡子は、当時のことをこう言います。

とにかく想像以上に想像を重ねてしまい、ひとつの立派な事実・・・それは自分だけにわかって他人にはわからないことを作ってしまう、こうした病的な頭を持っていました。

 

漱石の神経衰弱の症状が頻繁に現れるようになるのは28歳頃からでした。
漱石は何もかもが嫌いになったようです。

そして愛媛県の現・県立松山東高等学校の嘱託教員となります。

明治28年12月28日、上京して貴族院書記官長の中根重一の長女、鏡子と見合い婚約となりました。漱石29歳、鏡子19歳でした。

二人の結婚生活は翌年6月、熊本でした。すでに漱石は松山中学校をやめ、熊本の官立第5高等学校(現・熊本大学)の講師となっていました。7月には教授に昇任。しかし二人の新婚生活は周りからはあまり幸せなものには見えなかったようです。

漱石は、新婚早々ひとつの宣告をくだします。

「俺は学者で勉強しなければならないのだから、おまえなんかかまっていられない。それは承知してもらいたい」

と言ったのです。

 

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新婚生活のギャップ

結婚して漱石は初めて知ります。鏡子が朝寝坊ぐせがあると。
また、加えて家事が不得意で学校に出勤する漱石に、
朝食も出さないことは珍しくなかったのです。

のちに漱石は日記で、

「妻は朝寝坊である。小言をいうとなお起きない、どうかすると9時でも10時でも寝ておる」

とぼやいています。

ところがここのもうひとつ困ったことがありました。鏡子は昔から朝寝坊で、夜はいくら遅くても問題ないが、朝早く起こされると頭痛が痛くて一日中ぼおっとしているという困った質(たち)でした。

漱石は、鏡子に何んとか努力して早起きをさせようとしますが、なにしろ小さい頃からの習慣と体質で、その早起きが辛いのでした。

そこでこれではいけないというので、枕元の柱に八角時計を持って来させ、チンと30分毎にアラームをかけ、それに驚いて起き上がったりする滑稽を演じるなどして、結局眠り不足と気疲れでしばらくの間ぼんやりしていました。

やることなしことへまが多い鏡子に対し、漱石は

「おまえはオタンチンノパレオガスだよ!」と言います。

オタンチンノパレオガス、どうも難しい英語ですが、鏡子は、どうせ”トンマ”だよっといった意味で解釈していたようです。

はっきりしたわけがわからない、漱石は面白がって、何かと言うと「オタンチンノパレオガス」を浴びせます。いずれにせよこの「オタンチンノパレオガス」は、難しい英語に違いないと思い、訪ねてきた友人たちに聞きますが、教えてくれません・・・。この「オタンチンノパレオガス」という言葉は、鏡子には妙な思い出深い言葉となったのでした。

三年後、はじめての子を流産します。鏡子はヒステリー症が激しくなり、自殺を企てる事件を引き起こします。

悪妻説とその誤解

一方の漱石も、神経衰弱ないし鬱病が高じており、
日々楽しむことあまりありませんでした。
夫婦仲はこの時最悪の状態でした。

漱石が鏡子を毛嫌いし、増悪感を募らせたのは、
家事ダメ、浪費ぐせ、芸術に無関心・・・悪妻の像が定着し始めます。

決定的な事件は、明治35年9月 漱石はイギリス留学を命じられ、
横浜を出港してから英国生活の間、漱石がいくら手紙を送っても
返事が一度もなかったことでした。

漱石ファンは、異国で苦労している夫に妻がこのような仕打ちをしていると怒ります。
「とても作家、芸術家の妻とはいえない、内助の功がない!」

しかしこの時、鏡子は、明治32年生まれの長女・筆子(ふでこ)と、生まれたばかりの次女・恒子の子育てで大変な状況でした。加えて、実家の父も失脚して職を失っていました。鏡子は慌ただしい生活を送っていたのです。

留学から帰国した漱石は、ますます神経衰弱がひどく、誰かに監視されているとの妄想がひろがり、時には激しい癇癪の発作を起こしましたが、妊娠中で実家にいた鏡子は、周囲に漱石との離婚を勧められましたが、決してこれに同意しませんでした。

鏡子の決心は、

「私が不貞をしたとか何かというのではなく、いわば私に落ち度はないのです。
なるほど私一人が実家に帰ったら、私一人はそれで安全かもしれません。
しかし子供や主人はどうなるのです。
病気のときまれば、そばにおって及ばすながら看護するのが妻の役目ではありませんか

 

離婚を拒み、夫を看病

漱石が帰国後も神経衰弱や被害妄想に苦しむ中、周囲から離婚を勧められた鏡子。しかし彼女はこう答えます。

「病気のときにそばで看護するのが妻の役目ではありませんか」
彼女は生涯、漱石のそばを離れませんでした。


晩年と死別

漱石は1916年に50歳で死去。鏡子はその後47年生き、1963年に85歳で亡くなります。
彼女は晩年、「いろんな男の人をみてきたけど、あたしゃお父様が一番いいねぇ」と語りました。

 

そういえば、『坊ちゃん』の中に、唯一主人公が愛情を抱く老女中の「キヨ」から、長くて文章の下手な手紙が送られてきて、それを幾度もなく読み返すシーンがあります。

鏡子夫人からの長文を繰り返し読んだ漱石に、重なっただと思います。

漱石は大正5年(1916年)12月9日 50歳でこの世を去りました。

鏡子はその後、47年生きて昭和38年(1963年)4月18日死去。享年85歳でした。

 

夏目鏡子 名言

「いろんな男の人をみてきたけど、あたしゃお父様が一番いいねぇ」

 

見合い相手としてあらわれた夏目金之助(漱石)に一目惚れした鏡子。
「苦労するが大成する」相手だという占い師の言葉を支えに結婚を決めるが、慣れぬ土地での新婚生活に戸惑う。
しかし、それは今後ふりかかる苦難の序章にすぎなかった……!

漱石没後100年に読みたい、山あり谷ありの文豪一家グラフィティ。
文庫書き下ろし作品。引用:amazon

まとめ

夏目鏡子は、決して完璧な妻ではなかったかもしれません。
しかし、病に苦しむ文豪を見捨てず支え続けたその姿は、
単なる「悪妻」では語れない深い愛情に満ちていました。

 

 

 

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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