テレビドラマ「3年B組金八先生」 放送は終了していますが、金八先生を演じた武田鉄矢さんはどういう人物?
そんな疑問にお答えます。
武田鉄矢さんが、俳優でも成功したのは、母親・武田イクさん励ましたがあったこそらしい・・・
1979年10月に第1シリーズがスタートして足掛け32年。
『金八先生』では多くの社会問題を取り上げ、中学3年生という多感な世代をさまざまな角度から描いてきました。
「15歳の母」「腐ったミカン」というフレーズが世の中に衝撃を与え、「いじめ」「学級崩壊」「性同一性障害」などのセンセーショナルなテーマに、自らの思春期の思い出を重ねる視聴者も多いはずです。
一方で、金八先生は最終第8シリーズ(2007年10月~08年3月)までに約240人の卒業生を送り出してきました。
その金八先生を演じた「武田鉄矢さん」ですが、元々は歌手で海援隊というグループで歌手デビューしています。
武田鉄矢さんの「母に捧(ささ)げるバラード」の歌詞にこんなくだりがあります。
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「僕に故郷なんかなくなってしまったんじゃないかと/そしてひとつ残っている故郷があるとすれば/お母さんそれはあなた自身です」。
金八先生 武田鉄矢の生い立ち
今日の名言
ムラムラを金銭化するな
武田鉄矢#ワイドナショー#武田鉄矢#パパ活 pic.twitter.com/7KrjTQoIpa— 加宮豆 (@alvtky) June 19, 2022
1949年4月11日生まれ、福岡県福岡市博多区の出身。
「武田鉄矢(たけだ てつや)」は本名なのですが、武田さんは、両親から「鉄也」だと教えられており、大学生になるまで、「鉄也」だと思いこんでいたそうです。
身長165センチ、体重69キロ、血液型はO型。
福岡県立筑紫中央高等学校卒業後、福岡教育大学教育学部障害児教育教員養成課程中退(7年在籍した後中退)
趣味は、読書、柔道、ゴルフ。
武田さんの母方は、武田氏(平安時代末から戦国時代の武家)を祖先に持ち、第56代清和天皇(850-881年)の流れをくむ清和源氏武田氏族の一族です。
武田鉄矢の海援隊
「結婚式の加害性」ってこの歌のことだろ? 海援隊『JODAN JODAN』https://t.co/UOPVNxvxrN
あとシュガーの「♪くたばっちまえ、アーメン」の曲とか。https://t.co/Y2QKMMLipm pic.twitter.com/kEbbdUhSyl— 唐沢俊一 (@karasawananboku) June 27, 2022
1969年、教師を志して、福岡教育大学に入学されるのですが、高校時代の同級生たちに誘われて、フォークグループ「ヤング・ラディーズ」を結成。
その後、アマチュアサークル「ヴィレッジ・ボイス」に入会されるのですが、その際、会長の山本良樹さんにグループ名を聞かれて、とっさに「海援隊」と答えてしまったそうです。それ以来、グループ名は「海援隊」となったのでした。
(「海援隊」とは、幕末に坂本龍馬が中心となって結成した日本発の会社組織の名前で、武田さんが、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読んで感動したことから名付けました。)
1970年の冬からライブ喫茶「照和」に活動の場を移し、ブルース、ハードロックなどを演奏するようになります。(武田さんは店員のアルバイトも兼ねていたそうです)
次第に「海援隊」は人気を博し、当時、「照和」で一番人気だった財津和夫さん率いる「チューリップ」と1位、2位を争うほどの人気ブループとなっていったのでした。
そして・・・「母に捧げるバラード」が大ヒット!「NHK紅白歌合戦」にも出場を果たし、一躍スターダムに駆け上った、武田さんでしたが、翌年には早くも低迷。
コンサートはさっぱりお客が入らずガラガラで、仕方なく、キャバレーで酔っ払い相手に歌う日々を送るも、ついに、設立した事務所は社員に支払う給料さえ出せなくなって倒産。
やがて、「母に捧げるバラード」で得た印税による蓄えも底をつくと、1975年の大晦日には、テレビから流れる「NHK紅白歌合戦」を横目で見ながら、奥さんと居酒屋で皿洗いのバイトをします。
母親・武田イクさんからの洗礼
その後も、なかなかヒット曲が出なかった武田さんは、上京から3年半後、ついに、今後の身の振り方を相談するため、実家に帰郷しますが、
母親武田イクさんは、黙って武田さんの目の前にコップ酒を差し出し、
鉄矢の顔に貧乏神がついている。それをだますために乾杯をしよう。
人生は思い通りにはいかん、でもあきらめたらばそこでおしまいばい。
その言葉から武田さんは、まだ芸能界で頑張ってみようと決意します。
武田鉄矢 歌手から俳優へ
演技経験がなく、撮影のプレッシャーなどからNGの連発しますが、主演の高倉健さんに励まされながら、なんとか演じ切ります。そしてその演技が高い評価を受け、この年の「日本アカデミー賞最優秀助演男優賞」を受賞します。
武田さんは、この映画「幸福の黄色いハンカチ」で、俳優に活路を見い出したのです。
武田鉄矢【母に捧げるバラード】
”語り”
お母さん 僕は今思っています。
僕に故郷なんかなくなってしまったんじゃないかと
そしてひとつ残っている故郷があるとすれば
お母さんそれはあなた自身です。
あなたは何から何まで故郷そのものです
今ここでこうして静かに目を閉じていると
お母さんあなたの声が聞こえてくるんです
お母さんの声が聞こえてくるんです
今の聞こえるあのおふくろの声
僕に人生を教えてくれた優しいおふくろ
武田イクさん 名言
武田鉄矢さんを勇気付けた母イクさんの名言です。
もしよろしければ、武田イクさんの名言を思いだしながら、「母に捧げるバラード」を聞いてみると深みが変わりますから 試してみてください!
「目の前にいる人 目の前にいるお客様 一人一人を大事にするから商売でも人生でもうまくいく!」
「おまえどこば見て商売しとるんや、お客様が座っとらん座席見て歌ったり 商売せんと」
「歌、タバコ、豆腐 商売をする
お客様から目をそらして、人気やお金を見始めるからおかしくなる」
「1000人の会場で10人しか入っていなかったら、その10人の為に全力をつくして歌をうたうんばい」
3年B組 金八先生シリーズ 名言
立派な人にならなくてもいいの。どうか、感じの良い人になって下さい。
友達がいるからこそ、春も楽しい、夏も楽しい、秋も、いやぁー厳しい冬だって。友達がいれば、楽しい思い出になるんですよ。
命だけは大切にしてくれ。自分の命、家族の命、友達の命、そしてまわりにある命。この中でなくなってもいい命なんて1つもねぇから。
夢見る力、これがこの国のたった一つの資源です。大いに夢を語り合って下さい。
風をよけてたら、羽が強くならずに飛べなくなってしまうんだ。幸せになろうと思わないで下さい。幸せをつかみに行って、幸せをつかんだ人は1人もいません。幸せは感じるものです。
努力をせずに欲望を満たそうとする。そんな人間にはどうかならないでください。いや、そういう人間をどうか憎んでください。努力する人間を心からどうか、愛しいと思ってください。そして不正を許すな。苦しむことをどうか愛してください。
棚からぼたもち、楽して生きる。そんな人生は、世の中に転がっていません。頭も使って耳も使って、目も使って、口も使って、手も足も全部使って人間は毎日毎日生きていくんです。
貴重な第1シリーズのDVD版です。
1)第1シリーズ(1979年10月26日~1980年3月28日/全23回)
世田谷の中学から足立区の桜中学に転勤になった国語教師・坂本金八。非行・不登校・いじめ・親子の絶縁など、学校が抱える様々な問題を真っ正面から受け止め、生徒と一緒に涙を流しながら奮闘します。生徒の非行、親子の断絶、内申書など学校が抱える問題を真っ正面から取り上げ、当時話題を集めた。なかでも、6話にわたった「十五歳の母」では生徒の妊娠、出産を描き、また、東大をめざす高校生の自殺を取り上げ、反響を呼んだ。
2)第2シリーズ(1980年10月3日~1981年3月27日/全25回)
「非行」「校内暴力」に真正面からぶつかり、「腐ったミカンの方程式」は社会に大きな衝撃を与えた。
3年B組に転校してきた手のつけられない不良少年・加藤優(直江喜一)の登場から新たな展開をみせる。加藤が警察に連行され、それを救うため、教師や保護者の前で金八が涙ながらに訴える「われわれは、ミカンや機械を作っているんじゃないんです、われわれは人間を作っているんです!」という名台詞や、金八先生に助けられた加藤が、卒業式で感動の卒業生代表の挨拶をするシーンなど、涙なくしては見られない感動シーンが満載。
3)第3シリーズ(1988年10月10日~12月26日/全12回)
舞台は桜中学から、同じ学区内の松ヶ崎中学へ。生徒の無気力に焦点をあてたシリーズ。新任の英語教師(石黒賢)を指導しながら中間管理職の立場となった金八が、心が見えない生徒たちとどう向き合っていくのか。保健室登校を続ける生徒との心のふれあいや、酒乱の父親と2人で暮らす生徒との関わりなど胸に染みるエピソードが満載。
4)第4シリーズ(1995年10月12日~1996年3月28日/全23回)日)
金八は妻の里美に先立たれ教壇を遠ざかっていたが、前任校の桜中学から、戻ってきてほしいと要請が入る。そして3年B組には、かつての教え子、雪乃(杉田かおる)の子ども・歩もいた。
一見平和に見える学校生活に潜むいじめ・不登校の問題や、現在は廃止となっている偏差値と受験の問題を、金八が生徒たちと対話し、高く数多いハードルを乗り越えていく。金八は生徒をいじめる子、いじめられる子に割り振り、いじめのロールプレーを行い、いじめがいかに無意識に行われるのかをわからせる。
5)第5シリーズ(1999年10月14日~2000年3月30日/全23回)
かつては“非行”と“校内暴力”が大きな問題だったが、時代とともに「不登校」や「いじめ」が学校を席巻し、そして今、「学級崩壊」と「突然キレる子ども」が新たな火種となっている。今シリーズでは少子化の波を受け、桜中学の校内に老人介護施設が併設され、“死”と向かい合って生きる高齢者と、時おり死に憧れる中学生が同じ屋根の下で毎日過ごすことになる。子供から大人への重要な15歳という多感な世代を相手に、50歳になった金八は何を思い、何を語りかけるのか。“命”をテーマに、今また、“かけがえのない授業”が始まる!
6)第6シリーズ(2001年10月11日~2002年3月28日/全23回)
3年B組にやって来た2人の転入生、直と政則が新たな波紋を投げかける。直は性同一性障害だったのだ。
そして、桜中学の校長に金八と正反対の教育哲学をもつ人物が赴任。さらに、坂本家では長男・幸作の身に…。教室・職員室・家庭、それぞれで起こった“三重苦”に金八先生はどう立ち向かうのか?
6)第6シリーズ(2001年10月11日~2002年3月28日/全23回)
3年B組にやって来た2人の転入生、直と政則が新たな波紋を投げかける。直は性同一性障害だったのだ。
そして、桜中学の校長に金八と正反対の教育哲学をもつ人物が赴任。さらに、坂本家では長男・幸作の身に…。教室・職員室・家庭、それぞれで起こった“三重苦”に金八先生はどう立ち向かうのか?
7)第7シリーズ(2004年10月15日~2005年3月25日/全22回)
教育理念をめぐり校長と対立した結果、異動を命じられて桜中学を去った金八が、2年の月日を経て桜中学に帰ってくるところから始まる。犯罪の低年齢化がすすむなど、中学生や地域社会を取り巻く環境が急速に変化していく現代、中学生のドラッグ使用という、衝撃的な事件が起こる。子供から大人へと成長するにあたり、最も重要な中学3年生という多感な世代を相手に、金八は何を思い、彼らに何を語りかけるのか?
8)第8シリーズ(2007年10月11日~2008年3月20日/全22回)
受験と進学、家族、教師、友人といった人間関係への期待と失望に揺れ動く中学3年生を取り巻く社会環境は、時代と共に大きく変わってきている。
シリーズを通じて大きな一つのテーマを追うのではなく、一人ひとりの生徒を取り上げていくことにより、現代の15歳を取り巻く問題、悩みを描き出していく。インターネットの普及から「学校裏サイト」という存在を知った金八は、「私」というタイトルで「心のHP」への書き込みノートの提出を試みる。生徒と喜怒哀楽を共にし、親には堂々と説教をする金八が「学校とは何のためにあるのか」を問う。
引用:TBS 3年B組金八先生https://www.tbs.co.jp>kinpachi3年B組金八先生ファイナル~「最後の贈る言葉」4時間SP
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少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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