藤子・F・不二雄さんの創作に対する発想力が知りたい!
藤子・F・不二雄さんの名言から学びたい!
そんな悩みを解決します!
藤子・F・不二雄さんを知ろうとすればするほど名言に出逢います。
さまざまなテーマで語られる内容は大変興味深く、
彼の残した作品同様に、いまも古びることはありません。
ところが残念なことに、それらの多くはこれまでひとつにまとめられる
こともなく、気軽に読むことができませんでした。
そこで今回の記事は、そうした藤子・F・不二雄さんの名言を拾い集め、さらに彼の創作に対する発想術をご紹介します。
引用:藤子・F・不二雄の発想術 (小学館新書)
藤子・F・不二雄の創造の心構え
まんがに限らず何か創作する人というのは、絵描きさんでも、作家でも、作曲家でも
そうだと思うんですが、自分の中に何か表現したい、自分以外の人に向かって訴えたい
ものを自分の中に持っているかどうかがいちばん大事なことだと思うんです。まんが家は収入がよくてかっこいいというイメージがいつの間にか広がってしまった
そんな動機から目指してもうまくいかないと思うんですね。まんがを描くと
ことが大好きで、なにか一つの世界を創り出して、他の人に見てもらいたいという衝動
が根本にないといけないんではないかと思います。
日頃さまざまな本を読んだり映画を見たりして、「おもしろいなぁ」と思ったら、
そのおもしろさを自分もまんがで描いてみたいと思うのは、ごく自然な衝動です。しかし、見たものそのままをまんがにしては、ただのもの真似になってしまいます。
そのおもしろさを分析し、どこがどうおもしろいのか本質をつかんだうえで、と
新しいまんが世界を再構築しなければいけません。
藤子・F・不二雄「真似は恥じるべき」
真似は恥じるべきものだと思います。まんがで大事なのはリアリティですからね。
まんがを参考にまんがを描いても仕方ないでしょ。
いま、まんが家を目指している若い人たちは、まんがしか読まないことがけっこう多いんです。でも、映画や小説、テレビなどたくさんのメディアがあって、さまざま刺激を受けられるんですから、まんがだけというのはもったいない気がしますし、問題だなとも思っているんです。
僕は、すべてにおいて「好き」であることを優先させてきました。
好きで世界のいろいろな遺跡などを歩いてきましたが、初めからそれをまんがの材料
にするつもりで歩いたわけではないのです。たまたま撮った写真や集めた資料が、まん
がに役立っただけなんですね。
物を作るというのは、その人の個性を百パーセント発揮させないとうまくいかないん
です。いろんな意見を出し合って、足して二で割る、三で割るというようなやり方では
ダメなんです。
自分の中にある子どものころの夢や希望、そして好奇心に素直に生きてきたことが、
すべてにうまく働きかけたのだと思います。
不思議な話が大好きなんだけれど、かといって幻想文学みたいなものにはあんまり夢
中になれない。不思議な世界で不思議なことが起きても、ちっとも不思議じゃないとい
がありましてね。それよりは僕らの日常にピョコッと不思議なことがある。
がたまらなくおもしろいんじゃないか、と。
アイディアとキャラクターの作り方
子どものころに読んだ本、映画、それから古典落語。その三本柱が発想の源になって
いますね。「西遊記』や『アラビアンナイト』などは僕のバイブルみたいなもの。
映画を見るときでも、本を読むときでも、ネタ探しの目的で見たり読んだりすること
ないです。要するに楽しみのために見ます。そして見終わったら忘
て。けど、見ること自体が刺激になって、何かが触発されて、まるっきり関係のない
アイディアがビョコっと出ることもありますしね。
僕らが子どものころは、「今日は映画館に行くぞ」というと、もう前日からワクワク
していました。
劇場に入って、やがて場内がスゥッと暗くなって、音楽が始まって、
幕が開いていく、あのときのドキドキした感覚、ああいうものをやっぱりなくしちゃいけ
ない、なくさないでほしいという気がするんです。いまは手軽に映像文化というものが手に入りすぎるんですよ。
飽食すると食べ物のありがたみがわからなくなるのと同じ。
僕は昔ちょっと収入が増えだして、食うや食わずやの生活から脱却したころ、
レコードのLPなんか買い始めるわけですね。
そのたびにそのレコードをかけながら、一流の楽団が一流の指揮者で、
そのときには僕だけのために演奏してくれているんだという、贅沢しているような感触があった。
いまのビデオだって同じことだと、手間ひまかけて作られた作品を、少なくともその人一人のために、目の前に世界が繰り広げられるわけだから、もっとそのありがたみを感じてほしいと思う。
アイディアのヒント探し
何がアイディアのヒントになるかってことは、もうまったくわからない。
言い換えれば、見るもの聞くものすべてがヒントだと思う。
読んでる本、見た映画、テレビ、あるいは人と話していて何かヒントが浮かぶこともある。
でも、何かをヒントとしてピッと印象に残すには、やっぱりそれなりのアンテナみたいなものは、いつも張っていないとせっかくのおもしろいことをスッと逃がしちゃうことになる。そういうアンテナを張ることだけは、意識的なものじゃないけれど、やっぱりやっているんじゃないかと思います。
僕のアイディアメモには、ちょっとした思いつきが、そのまま書きとめてあります。
僕は、それを「タネ」と呼んでいます。植物のタネは、将来大きく成長するための遺伝
情報をしっかり包みこんで、時の来るのを待っているのです。何年も、何十年も⋯⋯。
僕のメモ帳のタネも同じです。それ自体は、ほんの小さなかたまりにすぎません。育
ってみなければ、どんな木に育つのか、花が咲くのか咲かないのか。それともつまらな
い雑草で、すぐに枯れてしまうのか。僕にもわからないのです。
アイディアのタネが浮かんだとき、そのまま手帳に書きとめておくんです。時と場所
選ばず浮かびますから。そして、実際に描く段階で、手帳からタネを五つか六つ取出して考えるんです。
どうゃって結論にたどりつくのかは、自分でもわからないんですが、
意識の深層の部分で、カチャカチャと働いて、ある組み合わせが浮かぶと、
それが意識の表面にバッと出てくる。どちらかというと、ボーッとして、すべての抑制を解き放した状態のほうが浮かびやすいですね。
あんなことができたらとか、あんなものがあったらなあ⋯⋯と、空想を広げることで
す。みんながどんなことをしたがっているか、細かく気を配り、集めてメモします。それらを組み合わせて、5W1日の物語を作るのです。
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