ミスターナイスガイ!といえば「トム・ハンクス」
その誠実な人柄から「アメリカン・ダッド」と呼ばれています。
トム・ハンクスといえば「いい人」の代名詞のような俳優です。役柄でもプライベートでも、彼のいい人っぷりを明かす話は枚挙にいとまがないですね。
しかし、トム・ハンクスの生い立ちは、恵まれたとはとても言えないものでした。そんな状況のなかで、彼は楽観的に生きる術を身につけたのか?
こういった疑問に答えます。
“いい人”のトム・ハンクスの「壮絶な生い立ち」
ハリウッドを代表する世界的に有名な俳優で、「フィラデルフィア」や「フォレスト・ガンプ/一期一会」、「幸せの教室」・・・等に出演しています。
トム・ハンクスは、一見したところセクシーな雰囲気とか、イケメンでかっこいいという俳優さんという印象は受けませんが、どっちかというと、ごく普通のおじさんという感じですね。
そんな彼ですが、ハリウッドを代表する地位を現在築いています。
今回の記事は、トム・ハンクスがどうして今の地位を築き、成功していったのか。そのわけを紹介します。
トム・ハンクス
トムハンクスは、大統領リンカーンとの関係がある
トム・ハンクスの生い立ち
この投稿をInstagramで見る
トム・ハンクス(TOM HANKS)
1956年 アメリカ・カルフォルニア州コンコード生まれ、4人兄弟でトムは次男。
両親は、三男のジムが生まれて直ぐに離婚してしまいました。
トムが5歳の時に、父親に引き取られネバダ州のリノへ引っ越します。(リノと言えばカジノの街)
(離婚の原因は、母親が父親に対して無関心だったこと、何もしても冷たくされたとのことです)
父親は、ホテルでシェフとして働きます。そして再婚。再婚相手は5人の子供をもつシングルマザーでした。総勢10人の大家族の生活が始まりました。
トムは最年少で、みんなから可愛がられていたそうです。
しかし、この大家族の生活も2年も経たないうちに崩壊します。その原因は宗教問題でした。
トム・ハンクスはTVが友達
この投稿をInstagramで見る
再びシングルファザーとなった父親、次の再婚の2年間住まいを転々とする日々を送ります。
父親は働き詰で、食事は冷凍食品や缶詰でやりくりし、家事、洗濯、掃除も兄弟3人でやっていました。
トムは、ひとりで過ごすことが多く、暇つぶしの相手はテレビでした。
テレビで放送していた野球、伝記モノ、宇宙、映画、サイエンス番組などあらゆるテレビ番組を貪るように見ていました。
また特にそこで得た宇宙の知識は、トムに刺激を与え、幼い頃の夢は宇宙飛行士になることでした。
数学が苦手で、その夢を叶えることができませんでしたが、大人になって映画「アポロ13」に出演することにより別の形で宇宙に関係することができ、アリゾナ大学からはトム・ハンクスの名前にちなんだ小惑星の名前を”12818Tomhanks”とつけてもらいました。
この投稿をInstagramで見る
また、テレビ好きのトムにはこんなエピソードがあります。
トムがドアに指を挟んで「大変だ!」と兄弟が父親に連絡、父親が家に帰ってみるとトムがバナナを食べながらテレビを見ていて「テレビを見ていれば痛いのは忘れるよ!」と言ったそうです。
トム・ハンクス 協会に救われる!?
1996年に父親は、再再婚します。これはトムたちにとっては地獄でした。
今まで自分たちのルールで生活していたのに、あれこれ指図してくるうるさい母親ができたのです。
その母親は、中国系アメリカ人・・・食事や文化が合いません。
上の兄弟は高校を卒業した途端に家を出ました。残されたトムは、さらに孤独感を味わいはじめます。そして、その孤独の救いを教会に求めました。
そして、その頃見ていた、映画の「2001年宇宙の旅」に衝撃を受け、何回も何回も観ました。
でも観るたびに何か新しい発見があって、「それで自分は宇宙の中にいると感じられる」とトムは言います。
トム・ハンクス演劇への目覚め
この投稿をInstagramで見る
トムの演劇への目覚めは、高校時代に見た学園祭での芝居の「ドラキュラ」でした。
友達が出演しているので見に行ってみると・・「どうして自分がこの芝居に出ていないんだ!?」
「めっちゃ楽しそう!僕もやりたい!」と思ったことがきっかけでした。
そして高校2年目でドラマスクールに入り演劇を始めます。
その後、チャボットコミュニティーカレッジに入ってからは、一層芝居にのめり込んでいきました。
シャイクスピア、チェーホフ、ベケット、テネシーウイリアムス、イプセンあらゆる芝居を貪るように観劇していきました。
そして大学の演劇のオーディションを受け、見事 主役に抜擢されます。「ソートン・ワイルダー、わが町」これで学校中トムの演技が絶賛されました。
その後トムは、オニールの「The Iceman Cometh」に出会い衝撃を受けます。「僕は演劇でこういう個人的な内容の話を演じてみたい!」と思うようになります。
グレイト・レイクシアターのトップ、ビンセント・ドーリングに気に入られ制作側のインターンとしても働いていました。
そして1978年、この劇場が主催する演劇で「シャイクスピアのヴェローナの二紳士」の主役で、最優秀男優賞を受賞しました。
トム・ハンクス結婚〜離婚裁判を経て得た幸せ
大学時代に同じ演劇の仲間の女優「スーザン」に出会い結婚します。
そして1977年にトム若干20歳にしてスーザンとの第一子が誕生します。
ボロボロのクソアパートに子供を連れて入居、そして仕事がない日々の連続は、精神的に相当苦しく
マリファナ・コカインなどのドラッグに手を出してしまいました。
夫婦の仲は次第に悪化していき、離婚してしまいます。そして最悪なのは離婚にあたっての離婚裁判が泥沼化してしまったのです。
これに多くの時間とお金をさかれ、孤独と子供に会えないストレスと罪悪感でこの時が一番辛かった時期になってしまいます。
自分が子供の頃、両親がいなくて寂しいという思いをして、そのことがわかっているのに、子供に同じことをしてしまったと思うことが多かったようです。
そんな苦しい時期、インデペンデントフイルムやテレビ映画などの仕事をちょこちょこ入るようになり、「BOSOM BUDDIES」というテレビシリーズのオファがくるようになってきました。
そして映画「BIG」でゴールデン・グローブ賞・主演男優賞を受賞!
ここからトム・ハンクスの時代へと入っていきます。
そして、スティーブン・スピルバーグと出会い、ラブコメの女王のメグ・ライアンとのコンビで一世風靡します。
その後、アカデミー賞主演男優賞を受賞した『フィラデルフィア』(1993年)で方向性の転機を迎えます。
後世に語り継がれることとなった『フォレスト・ガンプ/一期一会』( 1994年)。
それから『アポロ13』(1995年)、『プライベート・ライアン』(1998年)、『グリーンマイル』(1999年)、『キャスト・アウェイ』(2000年)と、トム・ハンクスを名前だけで観客を呼べる「Aリストスター」に押し上げた作品に、立て続けに出演。
この時期をターニングポイントとして、トム・ハンクスは、コメディ俳優だったころの面影を「人情味あふれる側面」として残しつつ、見応えのある演技をするようになりました。
トム・ハンクス“ゼペット”が願う…実写『ピノキオ』初映像公開! 配信は9月8日
トム・ハンクスが主演する実写映画『ピノキオ』の初映像が公開されました。
『ピノキオ』は9月8日(木)よりディズニープラスにて独占配信開始。
関連記事
スティーブンスピルバーグ症候群、世界の映画監督は発達障害だった
トム・ハンクスは「アメリカン・ダッド」”いい人”エピソード
トム・ハンクスが、”いい人”過ぎるであることのエピソードを紹介します。
関連記事:トム・ハンクスVSキアヌ・リーブスの”いい人”対決
キアヌ・リーブスは「いい人」魅力を徹底分析! マトリックス的な人物像
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
関連記事
ショーシャンクの空に(映画)に出演したモーガンフリーマンの諦めない心
サミュエルlジャクソンの代表作映画はなんと130本以上だが42歳まで名も無い俳優だった
ブログランキング参加しています。応援お願いします!
コメント