江戸時代のファーストフードがやけに気になる・・・!!
あなたもゆず子と同じ疑問を持っていませんか?
そんな疑問にお答えします。
江戸の若い女性たちから侍までが、とりこになったファーストフードとは?
毎年のように、新しいファーストフードやスイーツが出てきてブームになっていますが、江戸時代に今のような人気のファーストフードやスイーツはあったのでしょうか?
ハンバーガーや牛丼、フライドチキンなど、現代の日本にはファーストフードがあふれています。忙しい時でもさっと食べられる手軽さは魅力です。
そんなファーストフードの中でも注目されているスイーツ。実は、砂糖を使った菓子が一般に広まったのは江戸時代だったので、当然スイーツはあったのです。
また、移動式のコンビニとも言える「棒手振」など、現代に通じるありとあらゆる商売が、江戸の町人の努力とアイデアから生まれたのです。
そこで今回の記事は、ファーストフードは江戸時代にもあり、町民をはじめとしてさまざまな人に愛されていました、そんな江戸時代のファーストフードとスイーツについてまとめました。
結論からお話しします。
☑️江戸時代中期、飢饉対策で全国に普及したサツマイモ。甘味を持つこの素材を使ったおやつ「焼き芋」はまたたくまに江戸の町中を席巻しました。
江戸時代のファーストフードは「すし」「天ぷら」「そば」
江戸時代のファーストフードと言えば「すし」「天ぷら」「そば」の3つ。
江戸の町には、こうした食事を販売する屋台があちこちにあり、繁盛していました。
江戸の物売りなんでも販売
移動して物を売る、明治期の棒手振。
最近私の会社にも話題のヤクルトレディさんが来るようになったのですが、出向いてもらって商品を購入できるのは本当に助かりますね。
当時の棒手振りの便利さが何となく想像できました。 pic.twitter.com/D6BVBM5EPG— 東京歴史倶楽部 (@rekishiclub) May 21, 2022
江戸の町は、実に多種多様な物売りがあふれていたのです。
物売りとは、お客さんの近くへものを運んで売るサービスです。
例えば、石焼きいも屋や移動パン屋のような形態です。江戸時代には当然車も走っていませんので「石焼〜〜きいも〜〜♪」のような謳い文句は、町中に響いたことでしょう。
では江戸時代にはどうやって商品を運んでいたのかというと、天秤を担いだり、背負ったりと、とにかく人力で売り歩いていたようです。これを【棒手振】ぼてふりと言ったのです。
ぼて‐ふり【棒手振】〘名〙 (「ぼて」は、「はりぼて」の略の「ぼて」か。または、「ぼうてふり(棒手振)」の変化した語か) 品物をかついだりさげたりして、呼び声をたてて売り歩くこと。また、その人。江戸では、特に魚市場と料理屋の間に介在して、魚の売買をした人をいった。
引用:コトバンク
さらにはこの物売り、現代のホームセンターやスーパーもびっくりするほど、たくさんの商品をそろえていたようです。
生鮮品や豆腐、飲料水など食料品のほか、漢方薬といった生活用品、金魚や朝顔、風鈴などの娯楽商材、さらには箪笥など家具を販売する者まで出現しました。
当時は長屋で住む人が多く、台所に食料や生活用品を確保できる広いスペースがなかったために、こうした物売りが発展したようです。
屋台の
ファストフードも歩く屋台だった
撤収作業が進む、常設展 江戸ゾーンの体験コーナーでは、棒手振の売り物が大集合していました。カボチャ、ニンジン、マダイ、マアジ…休館前は季節にあわせて棒手振の売り物を替えていたのですが、みなさまお気づきになっていましたか??#江戸博休館中 #江戸東京博物館 #撤収作業実況中 pic.twitter.com/czwuHgZHpz
— 江戸東京博物館 (@edohakugibochan) July 14, 2022
物売りのほかに盛んだったのが、食品の販売業態が屋台です。
現代の屋台と大きく異なるのはそのサイズ。多くがひとりで担いで移動できるようなコンパクトなものでした。
例えば、そばの屋台は、大きな担ぎ棒の両脇に引き出しのついた木箱をつけただけというもの。引き出しの中にはそば玉やどんぶり、箸のほか、つゆを温める七輪や鍋までが収納されており、それだけで店を営業できるようになっていました。
どうやらファストフード店のような感覚で、その場でササッと食べる人もいれば、テイクアウトする人もいたんだとか。
現代では信じられないようなごちそうも、こういった屋台で売られていました。
そして驚くべきは江戸時代にはすでにテイクアウトがありました。
なぜ、こんなにも江戸でテイクアウトやファストフード文化が発展したのでしょう?
その答えのひとつが、江戸の町の人口比率にありました。
江戸時代中期の江戸の町は、人口に占める男性の比率が高く、一部の上層階級の男性が女性と結婚するために、一般庶民の独身男性の比率が高い傾向にありました。
さらに、既婚家庭も男女共働きの世帯が多く、外食やテイクアウトの需要が高かったそうです。
江戸っ子に愛されたファーストフードのスイーツは?
砂糖を使った菓子が一般に広まったのは江戸時代でした。当然スイーツはあったのです。
砂糖は、古くから中国から入ってきましたが、当時は調味料としてではなく、長い間身分の高い人だけが口にできる薬として扱われていたのです。
戦国時代、ヨーロッパの文化とともに金平糖(こんぺいとう)やカステラなど砂糖を使用したお菓子が日本に伝わると、織田信長など当時の権力者たちはその甘美な味に魅了されたようなのです。
関連記事:
その後、薩摩(現・鹿児島県)が大坂で国産の黒砂糖を販売するようになって、これを使用した菓子が一般に広まっていきます。
江戸時代の中期になると、砂糖の代金として金、銀、銅が国外に流出することが問題となりました。そして、8代将軍徳川吉宗が砂糖の国産化に向けて動き出し、讃岐で和三盆と呼ばれている国産の砂糖が誕生したのです。
江戸の人気スイーツは焼き芋だったのだ
今日はサツマイモを収穫しました
今年はまあまあかなぁ pic.twitter.com/vPSTjB05bx— かづお (@kazu32428) September 15, 2022
さつまいものシーズンには朝6時ごろから焼き始めて午後10時ぐらいまで客が途切れることがないほどだったといいます。
サツマイモは17世紀ごろ日本に伝わったとされていますが、なかなか広まらなかったそうです。
しかし、享保の飢饉の時、青木昆陽(あおきこんよう)という学者がやせた土地でも栽培可能なサツマイモのすばらしさを世に広め、8代将軍徳川吉宗が、幕府の小石川御薬園(現小石川植物園)内で栽培させたのでした。
その後、種芋が全国に徳川幕府から配布され、寛政年間(1789~1801)ころに庶民のおやつとして人気が高まったとされています。
最初は蒸かしイモだったのが、江戸神田の甚兵衛橋で「原の焼き芋」として売り出したのが焼き芋の始まりです。
[明日発売] ハーゲンダッツの新作ミニカップ「甘熟 紅はるか」焼き芋の味わいを表現した濃厚サツマイモアイス https://t.co/RZDK6LCDHb
— Fashion Press (@fashionpressnet) September 11, 2022
全国各地のお取り寄せグルメ・スイーツの通販サイト【DELISH MALL】
全国各地のお取り寄せグルメ・スイーツの通販サイト【DELISH MALL】
全国各地のお取り寄せグルメ・スイーツの通販サイト【DELISH MALL
SNSフォロワー数No.1のお取り寄せ通販サイトです。
1日1000個も売れた販売実績があるバターサンドやインパクトある映えスイーツ、 トレンドスイーツなど、近所では買えない地域の名店のスイーツやグルメが数多く揃っていますよ。
お洒落で美味しいプレゼントをしたい方へ! 全国各地の様々なジャンルのお取り寄せグルメ・スイーツが数多く揃っていますので、 自分へのご褒美や母の日、父の日、お中元、お歳暮、クリスマス、バレンタイン、ホワイトデーなど、 ギフトシーンやイベントでのお買い物がこのサイトだけで可能です!
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
関連記事
伊能忠敬がすごいのは地図の測量を大義名分に天体測定をした天文学者だった
神君御文17条の徳川家康 の性格 はがまん強い性格から子育ては厳しい
ブログランキング参加しています、応援お願いします。
コメント