クリスマス映画と言えば・・・
ホームアローン!
いやいや 「戦場のメリークリスマス」だよ!
私の好きなビートたけしも出演していたし!
「戦場のメリークリスマス」ってどんな映画?
そんな疑問にお答えします。
1983年に公開された「戦場のメリークリスマス」は、
デヴィッド・ボウイや坂本龍一が出演した作品。
たけしは同作でハラ・ゲンゴ軍曹を演じ、「第7回 日本アカデミー賞」の
優秀助演男優賞を獲得しました。
そこで今回の記事は、ビートたけしさんが出演した映画「戦場のメリークリスマス」を紹介します。
戦闘のない戦争映画『戦場のメリークリスマス』はなぜ名作なのか?
戦争映画でありながら戦闘を一切描かず、男性同士の性愛を高雅なものに昇華して描いた異色の作品で、それらがキャストたちによる味のある演技や坂本による抒情的な音楽によって美しく彩られています。
『戦場のメリークリスマス』のあらすじ
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1983年製作/123分/日本・イギリス・ニュージーランド合作
原題:Merry Christmas Mr. Lawrence
配給:アンプラグド
日本初公開:1983年5月28日
・デヴィッド・ボウイ
・坂本龍一
・ビートたけし
・内田裕也 など
第7回 日本アカデミー賞(1984年)
942年、ジャワ島における日本軍俘虜収容所において、ヨノイ日本軍大尉は絶対的な権力を持っていました。ある日、朝鮮人軍属であるカネモトが、オランダ人の軍人ヨンを犯しました。
ハラ軍曹は独断でカネモトを切腹させようとしますが、ヨノイ大尉が現れて、
刑罰を軽いものにします。
収容所に新たにイギリスの陸軍少佐であるセリアズがやってきました。
ヨノイ大尉はセリアズの容姿に魅せられ、愛のような感情を持ってしまいます。
収容所の捕虜のリーダー的存在となったセリアズは、その反抗的な態度でヨノイ大尉を困らせます。
収容所には日本語を理解し、話すことのできるロレンス英軍中佐がいました。
ロレンスは収容所の捕虜たちの兄貴分の存在で、日本軍人たちからも一目を置かれていました。
セリアズとロレンスは無線機を無断で所持し、ヨノイ大尉に独房入りを命じられます。
その日はクリスマスで、セリアズとロレンスはハラに呼ばれました。
ハラは大変酔っぱらっていて、「ファーゼル・クリスマス」と叫び、
セリアズとロレンスを釈放します。
ハラは自分をサンタクロースだと言い、これはプレゼントだと言います。
ハラの対応に怒りを覚えたヨノイ大尉は、捕虜の全員集合を命じます。
そこには病棟の捕虜も含まれていて、これはジュネーブ条約に違反していました。
捕虜が1人倒れ、亡くなりました。
捕虜を庇おうとする捕虜長を、ヨノイ大尉は刀で斬ろうとしました。
そこへ、セリアズが歩み寄り、ヨノイ大尉にキスをしました。
予想外の展開に、ヨノイ大尉は倒れこんでしまいます。
ヨノイ大尉は更迭され、新しい大尉はセリアズを首だけだして生き埋めの刑罰に処しました。
セリアズは過去のことを思い出しながら、亡くなりました。
大戦は終わりました。日本軍は負け、ヨノイ大尉は処刑されてしまいます。
1946年のクリスマス、処刑前日を迎えたハラの元へロレンスがやってきます。
4年前のクリスマスのことを思い出し、2人は笑い話に花を咲かせます。
ロレンスが立ち去ろうとしたとき、ハラはロレンスを呼び止め、
「メリークリスマス。メリークリスマス。ミスターロレンス」と叫びました。
以上が、映画戦場のメリークリスマスのあらすじと結末でした。
「Merry Christmas Mr.Lawrence」は、ヨノイ大尉を演じた坂本龍一が手がけています。
ビートたけしの「戦場のクリスマス」出演への過程
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「戦場のメリークリスマス」では、当初、出演することになっていた、緒形拳さん(ハラ軍曹役)、滝田栄さん(ヨノイ役)が共に降板し、新たなヨノイ役にと沢田研二さんにオファーするも、
お互いのスケジュールの都合がつかず、物別れに終わったという、大島渚(おおしま なぎさ)さんは、その後、手当り次第ともいえる出演者探しの中・・・
ふと、テレビ番組で共演した、ビートたけしさんを思い出したといいます。
大島さんは、その後、ヨノイ役には、沢田研二さんのほか、三浦友和さん、沖雅也さん、友川カズキさん、ハラ軍曹役には、若山富三郎さん、勝新太郎さん、石坂浩二さん、菅原文太さんなど大物俳優たちへ、次々とオファーしたましたが、いずれも話しがまとまらず、キャスティングは難航したそうです。
ビートたけしにハラ軍曹役をオファー
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そんな中、大島さんは、全員、素人でいこうというアイディアが浮かんだそうで、
1981年にテレビ番組で半年間共演したビートたけしさんのことを、ふと思い出し、1982年の初め、たけしさんに脚本を送ったのだそうです。
ビートたけしは出演を決意
すると、たけしさんは、すぐに、マネージャーにスケジュールを空けるよう伝えたそうですが、その一方で、演技には自信が持てなかったことから迷いがあり、その直後、作家の小林信彦さんと雑誌で対談した際、大島さんからオファーが来ていることを明かすと、
小林さんからは、即座に、
そりゃ出たほうがいい、すべて、すっぽかしても出るべきですよ
と、背中を押されたそうで、
たけしさんは、その言葉に勇気づけられ、出演を決意したのだそうです。
(小林さんは、以前から、たけしさんに演技の才能があることを見抜いていたそうですが、それだけではなく、かつて、大島さんから、自分がプロデュースするから監督をやってみないか、と声をかけられたことがあるほか、大島さんの映画「白昼の通り魔」では、俳優として出演するなど、大島さんの映画スタイルを熟知していたことから、たけしさんの起用が成功すると確信していたのだそうです)
ちなみに、たけしさんは、大島さんとテレビ番組で共演していた際、映画に興味がある旨を伝えると、大島さんから、
出る時は必ず主役でなきゃいけませんよ、脇役はだめですよ、自分で監督なさい、あなたは日本のチャップリンになれる、『殺人狂時代』(47)みたいなのがいいんじゃないですか
と、アドバイスされたことがあったそうです。
ビートたけしは絶対に必要なキャスト
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ただ、たけしさんは、当時、テレビ8本、ラジオ1本のレギュラー番組を持つ売れっ子だったことから、スケジュール調整が難しく、何とか2週間を捻出したものの、ニュージーランドのラロトンガ島との往復時間を差し引くと、たけしさんの出番を実質10日で撮りきらなければならなかったそうで、
周囲からは、この日数ではとても無理だと、たけしさんの起用を反対されたそうですが、大島さんは、自らが撮影スケジュールを切って、撮りきってみせると宣言したのだそうです。
本作をきっかけにたけしは映画界で活躍し始め、今では「世界のキタノ」と呼ばれるまでになりました。そんなビートたけしは、大島監督が亡くなった時に本作を振り返り「龍一さんが海外で賞をとって、私も映画で賞をとってね。きっかけは、その辺だったと思う。ありがたい」と語っています。
戦闘のない戦争映画『戦場のメリークリスマス』はなぜ名作なのか?
戦争映画でありながら戦闘を一切描かず、男性同士の性愛を高雅なものに昇華して描いた異色の作品で、それらがキャストたちによる味のある演技や坂本による抒情的な音楽によって美しく彩られています。
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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