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植木等は無責任な男ではなく、笑いからサラリーマンや人々を幸せにしていた!【前編】

植木等は無責任な男ではなく、笑いからサラリーマンや人々を幸せにしていた!どん底からの逆転人生
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TOM
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わかっちゃいるけどやめられない!戦後ニッポンを笑い飛ばした奇跡のコミックソング「スーダラ節」それを歌った”植木等”さん。

 

植木等さんってどんな人物だったの?

こういった疑問に答えます。

植木等の「スーダラ伝説』「わかっちゃいるけど やめられない!」

 

日本戦後の高度成長期、病気もありながら働いているという、先進諸国の中では突出して働く日本の労働者。昭和は激動の時代でした。

今日の記事は 日本人の記憶に刻まれたある歌の物語。 前編です。

♬「チョイと一杯のつもりで飲んで」

♬「いつの間にやらハシゴ酒」

高度経済成長に沸く 昭和36年に発表。売上は 記録に残るだけでも 80万枚以上でした。

自堕落な生活を送るサラリーマンの姿を風刺しました。

歌ったのは 植木 等
クレイジーキャッツのメンバーです。

一体 なぜ この歌が昭和の時代の人々の心を捉えたのでしょうか?

♬「分っちゃいるけど やめられねぇ」

♬~

 

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植木等のスーダラ伝説

植木等は大正15年(1926)12月25日に愛知県名古屋市で生まれます。
(親父さんが等の弟に頼んだが、暮れの忙しさにかまけて届けをうっかり忘れたため、正月になり親父が気づき、やっと届けたのが1927年2月25日戸籍上です)

イエス・キリストの誕生日と同じ日に生まれというのも凄いが、その日に大正天皇が48歳で逝去したというのもなんだか凄いです。大正天皇が死んだから、翌日から昭和元年になりました。しかし昭和元年は31日まで六日間しかなく、年が明けたら昭和2年。植木等の実際の生年と戸籍上のそれとの間に2年のズレが生じてしまったのです。

 

つまり、昭和という時代は植木等の誕生日と共に始まったのですが、生まれた時から、等の人生の調子は狂ってしまったわけです。

 

「生まれた時、泣かなかったらいしいね。で、看護婦さんが両足持って振り回して、お尻をピタピタ叩いたりなんかしてやっと泣いたんだって。 ー植木等ー

 

 植木等の名前の由来

父・鉄誠、30峠を越してから生まれた三男を「等」と命名。

 

差別はしていけない、人は皆「平等」であらねばならないという想いを籠めた名前は、結果として植木等という人間の本質をよく表すことになります。

名前が人の性格を作るのか、人の方が名前ににじりよっていくのか? 強者に媚びたりおもねることなく、誰とでも等しく対そうとする植木等の生き方は、その名をつけられた時から決まっていたのかもしれませんね。

 

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植木等の父母、鉄誠といさほ

等の父、鉄誠は若い頃キリスト教の洗礼を受け、神の下僕になりました。
ところがキリストとの関係が清算されたのかされないのか、はっきりしないまま、僧籍に入り、仏弟子となったのです。

大正9年(1920年)25歳の鉄誠は、18歳のいさほと結婚します。いさほは、三重県度会郡小俣町(現・伊勢市)にある浄土真宗大谷派、西光寺の住職、小幡徳月の長女。

植木等はお坊さん子

 

等が3歳の時に父親が浄土真宗大谷派の常念寺の住職になったのに伴い、三重県度会郡小俣町(現・伊勢市)に転がり込みます。

等はそこで僧侶になるべく育てられ、父親が部落解放運動に参加して投獄された時などは、等少年が父親に代わって僧衣をまとい檀家を回ったといいます。

等の父・鉄誠はキリスト教にのめり込んでいた男が、後々浄土真宗の坊主になった、一体どうなっているんだって訊いたら鉄之助は・・・・

 「世の中は弾みだ!」「坊主になれば食いパグれがない!」

と言ったそうです。

そんな父・鉄誠から等は、小学校に入る前からお経を教わっていました。小学1、2年になると親父の檀家回りにも連れていかれるようになります。

昭和12年(1937)7月7日、日中戦争が勃発。目の前に大きな戦争が迫る日本、その時、等は小学6年生だでした。

父・鉄誠は部落解放運動などの思想家として特高に検挙され名古屋の刑務所に収監されます。
逮捕された時、等は小学6年生でした。

等が、檀家の人に訊いてみた、「僕のお父さんが刑務所に入ること知っている?」「なんで入ったのか知っていますか?」

「戦争反対したからだよ」「戦争はやっちゃいけない」とお父さんが言ったんだ、それで捕まった。

「戦争は集団殺人だ、卑怯だ何だと言われても、絶対に死んじゃ駄目だ。それからなるべく相手も殺すな」と説いたらしいと。

 

その後、等少年は特異な日常の中で逞しく育っていきます。等はこの頃の話を振り返っています。

 もうレコードなんか聴いててね。股旅者が好きだったなぁー。
♪惚れていながら惚れない素振り、それがヤクザのぉー”なんてね。こいつは檀家の人が来ると具合悪いから、押入れに入って聴いたりしてたよ。

 

親父は刑務所で兄貴は名古屋の学校。だから檀家を回るのは等しかいない。まだ小学生なのに、ほとんど毎日、檀家を回ってお経をあげていました。

知らないうちから檀家を回ってお経なんかあげていた、そういうのが身について、度胸というか、人前で何かをやっても何とも思わない風になったかもしれません。

 

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植木等、小学6年生での上京

 

寺の住職である父親の収監が長くなればなるほど、植木家の暮らしは困難を極めていきました。
このままでは等を進学させることもできないと考えた母のいさほは、東京の寺に我が子を預ける決心をします。

小僧として住み込み働く代わりに学校に通わせてもらおうという心積もりだったのです。

等の預けらる先は、東京、本郷の真浄寺。等は僧侶として一層の修行を積むために昭和14年(1939)に上京し、白山にある京北実業学校(現在の京北学園白山高等学校)を経て47年に東洋大学文学部に入学します。

小僧、等の修行は、それから5年続くことになります。

これはあまり知られていないことですが、等は足も速かった。
100メートルを11.4秒で走る俊足で、高校大学を通じて陸上競技部に所属しており、大学時代には関東インカレにも出場したといいますから、かなり本筋のアスリートだったわけです。
この並外れた運動神経が、彼のコメディアンとしての動きのよさに繋がっているのは、間違いの無いところでしょう。

天は二物を与える。等の武器は速い足だけではなかったのです。等には、人を楽しませることで自分も楽しむといった、芸能の世界で最も必要とされるメンタリティが生まれつき備わっていました。

 

芸は身を助ける。速い足を使っていじめのお返しをするだけで飽き足らない等は、ピアノやアコーディオンのメンバーを集めて軽音楽同好会を作り、自分のパートはヴァーカル。

レパートリーは、ラジオ歌謡に軍歌、シャンソンにタンゴ等々何でもござれ。

 

植木等 ジャズとの出会いが運命を変えた

しかし大学時代にジャズに出会ったことが、彼の運命を大きく変えることになりました。

50年に大学卒業後は、ギタリストとしていくつかのジャズ・バンドに所属しますが、その間にオペラ歌手の平山美智子からクラシックの発声レッスンを受けたことが、のちの大飛躍を生むことになります。

 

20代の後半、まだ売れていない等はジャズ喫茶やクラブで演奏をしたり、ジャズやシャンソンを歌ったりしていましたが、当時を知る人達は、口を揃えて「植木は凄味のある二枚目だった」と証言しています。

植木等は鼻筋の通った容貌のうえに声量のある甘い美声でしたから、よく『色悪』とたとえられました。

色悪とは歌舞伎の世界の言葉ですが、普通は色男はいい役なのが普通なのに、色悪の場合は色男でありながら悪事を働くという役どころで、ただの二枚目にはとても勤まりません。

植木等が、当時から二枚目の範疇を越えた存在感を持っていたことがよく分かります。

次回に続きます。【後半】にご期待ください。

 

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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コメント

  1. 夢遊人 より:

    いつも拝読しています。
    TOMさんの記事は勉強になります。
    12月25日についてですが、僕が教会で教わったのは、イエス・キリストの生誕を祝う日で、誕生した日ではないらしいという事です。では生まれたのはいつかというと、知りません。すみません。今後とも宜しくお願い致します。🙏

  2. いつもありがとうございます。 そうですね 一般的には12月25日と言われていますが、実際はよくわからないのではないでしょうか? 

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