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安田隆夫の人生はドンキホーテ、生い立ちは所持金五円のプーさん

どん底からの逆転人生
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ゆず子
ディスカウントショプ「ドンキホーテ」の創業者の
安田隆夫さんの人生は凄いらしいと噂ですが、

人生の生い立ちはどうだったの? どうやって人生を這い上がったの?

こんな疑問にお答えします。

 

所持金ほぼ0のプー太郎!どん底から這い上がった

 

激安の殿堂で有名な日本人のほとんどは知っている中国人ら外国人にも有名なドン・キホーテの創業者安田隆夫さんの人生の生い立ちからサクセスストーリーを紹介します。

 

 

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安田隆夫さんの人生の生い立ち

安田隆夫さんは1949年生まれ、岐阜県大垣市出身。
1973年、慶應義塾大学法学部卒業

しかし大学時代に、「言葉にできないモヤモヤした何か?」これが「モノ」を売ることだと気づくのは長い迷宮を歩んだずっと後のことでした。

安田隆夫さん人生は自堕落した生活だった

 

 

●大学をサボって雀荘に通い麻雀に明け暮れる自堕落な生活を続け、とうとう所持金が5円のプー太郎に。
●また、ボクサーに憧れてジムに入門。子供の頃に事故で左目の視力を失ったことが災いして、ボクサーは断念した。
●大学卒業後に就職した中堅不動産会社に入社もすぐに倒産。

●拾った新聞の求人欄から、日雇いの仕事を始める。港湾労働や新聞の拡張団で日銭を稼ぎながら、無頼の生活を送った。

 

常識に縛られた苦悩

安田さんはもともと人と群れるのが嫌いだったため、大学生時代、通っていたキャンパスには全く馴染めなかった。部活動やサークルなどにも参加しなかった。

学校には殆ど行かずボクシングジムに通う日々。いつしかプロになろうと決意するが視力の関係でプロテストを受けることができなかった。

なんとか大学を卒業した安田さんは、小さな不動産会社に就職します。

しかし、当時のオイルショックで入社してから2年足らずで倒産。続いて安田さんは先輩と別荘地分譲のセールスを始めるが鳴かず飛ばずで4ヶ月で会社を辞めることになります。

それ以降はフリーターとしてブラブラしながら次第に麻雀にのめり込んでいく。

生活サイクルは、徹夜麻雀をして朝帰りし、夕方にやっと起きだして活動するという自堕落なものだったのです。

 

麻雀での負けが大きくなり所持金がわずか5円、困り果てた安田氏はゴミ箱で拾った新聞の求人欄から日雇いの仕事を見つけ働き始めます。

新聞の営業マンをしていた彼はある日、彼と同じ年代と思われる父親を囲んで幸せそうに夕食をとる、ある家族の団らんが目に入り、

自分は一体何をやっているんだろうか。

その日暮らしの無頼な生活に何を見出そうとしているのか。

さすがにこれはまずい。

そう気づき、20代も終わろうとしていた時、彼はまっとうな世界での独立を決めたのです。

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安田隆夫さん人生の転機

独立を決めたはいいが、はて、何をしようか。

 

専門知識もない、資格もない、不器用、愛想もない、料理も下手、気遣いもできなければ、巧みな話術もない、手を貸してくれそうな人との出会いがないのは当たり前。

 

あれこれ考えて、最終的にこれなら自分でもできそうだと考えたのが、雑貨の小売店でした。

その理由は、

雑貨なら誰にもでも身近な商品だし、

さほど専門知識も要らない。

とにかく安けりゃ売れるだろう

といったものだった。

さっそく東京に20坪の店を借りた安田さん、商品は金融処分品。そして、その店の名前を「泥棒市場」としました。

店のコンセプトを雑多で激安・掘り出し物が見つかる、とインパクトのある名前をつけた。

看板に4文字しか入れられないとの理由もある。

安田さん29歳の時である。

常識から非常識なアイデアへ

●29歳で小さな雑貨店を開く。

(なぜ雑貨店なのかと言えば、「専門知識も人脈も必要なさそうだったから」とのこと)

●ところが、ほとんどお客さんが来ず、開業3ヶ月で 雑貨店は廃業寸前に。

 

開店当初はさっぱり売れないものの、手を変え、品を変えでなんとか店を続けていく。

倉庫を借りる余裕などはなく、仕入れた商品はすべて店内に押し込んでいました。

天井に付きそうになるぐらい商品が入っているダンボールを積み上げ、まるで店は迷路状態。こんな状態は普通の店では考えられないことである。

さらにはダンボールだけでは中の商品がわからないので、そのままダンボールに窓をあけ、手描きのPOPを貼りつけた。

これがドン・キホーテ名物の圧縮陳列とPOP洪水の始まりです。

安田隆夫(やすだ たかお)氏の、その後は…↓ ↓ ↓

「20代の頃にバカな人生を送ったせいで、

人間の本質的な部分をいやおうなしに

学ばせてもらいました」

たどり着いたのが、処分品やサンプル品などを安価で販売するバッタ屋という仕事だった。

1978年、29歳で西荻窪に「泥棒市場」を開店する。

 

ドンキの原型はすべてここにある

 

まだセブン-イレブンが11時で閉店していた時代、深夜遅くまで一人で商品の陳列をしていたところ、営業中と勘違いした客が立ち寄りました。

これがナイトマーケットという鉱脈を掘り当てるきっかけとなったのです。

 

商品棚は「取りにくい、見にくい、探しにくい」という、流通業の教科書をすべて否定する手法をとった。

 

溢れかえる商品を並べるためだ。店は異様な活況を呈す。

1989年、安田はドン・キホーテ一号店を府中に立ち上げました。

「当時、大手のチェーンストアが隆盛を極めていた。

しかし、我々にはそれをオペレーションする

資本も人材もない。すべてにおいて

勝てる要素がありませんでした」

ならばとことん逆を行こう、と安田さんは考えました。

ただし、店のキャラだけ立てても、お客様は商品を買ってくれません。

「人の心を掴むのはどうすればいいか。

心のひだに触れて、分け入っていくこと。

これを商売の“座標軸”にしないと、

受け入れられない」

 

「深夜営業」「隙間なく商品を並べる」「POP貼り」といった、当時の商店としては、常識外れの戦略を打ち出し、雑貨店の業績を劇的に改善させました。

 

そして、「驚安の殿堂」がキャッチフレーズの店舗を東京に開店。
その後、店舗は全国へと進出していきます。これは、年商6000億円を超える総合ディスカウントストア「ドン・キホーテ」の誕生秘話です。所持金5円のプー太郎は、今では個人資産2500億円以上の大富豪になったとさ♪
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安田隆夫の名言・格言

「道理は通じる、努力すればうまくいく」と思っているから、ストレスがたまるんですよ。「うまくいかないのが当たり前」と思えば、そうした気苦労はなくなります。

 

どんな人でも、周囲が気づいていない誇りを持っている。日頃から相手を気にかけてそれを見つけ出し、「おまえ、スゴイな、大したもんだな」と伝える。誇りの大小に関係なく、「よくぞ気づいてくれた!」と相手はすごく喜びますよ。見え透いたお世辞では、こうはいきません。

 

 

多くの経験をしたからこそ、

今の成長につながった。

振り返ってみると、大きな危機に陥るほど、

その後大きく成長した。

だから危機はいわば、

「成長痛」のようなものだったのかもしれない。

常に忘れてはいけないのは、

不都合な真実を含めて客観的に見つめ、

咀嚼したうえで自らが変わらなくては

いけないということだ。

そうでなくては、限界は壁にしかならないだろう。

まとめ

どん底から這い上がった安田さんの、不屈の精神を真似しなくては!!

「人生は配られたカードで勝負するしかない」という話もありますが、それはどうやら間違いのようですね。

カードゲームとは違い、人生では「配られたカードが気に食わない場合は、幾らでも新しいカードを作りだすことができる」。

それが人生の醍醐味なのかもしれません。

皆さんの心に、何らかの “情熱の火” を灯すことができましたら幸いです ^^)

 

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