インターネットで成功したGMOの熊谷正寿の生い立ちを教えて!
噂では奥さんが苦労して泣かせたみたいだけど、
なぜ奥さんを泣かせたの?
こんな疑問にお答えします。
熊谷正寿 生い立ちはお金が無さすぎて奥さんを
泣かせ中卒・極貧・超絶ブラックから這い上がった!
「ビットバレー」で活躍し、勝ち残っている企業は数少ないです。
連結売上高1200億円超の一大グループをなぜ築けたのか?
今回の記事は、そんな熊谷正寿(くまがい・まさとし)さん(58歳)の生い立ちから、挑戦し続け夢を実現したお話をご紹介します。
熊谷正寿さんの生い立ち
中学生のときも全く勉強しないダメな生徒。高校進学では、女の子のいる共学で、華やかな青山あたりにあって、通学が楽な学校を探しました。
「高校は青山学院か国学院に行きたい」といったら、先生から『偏差値が高すぎて無理だ』といわれた。悔しくて猛勉強したら、何を間違ったか入学できてしまったそうです。
『自分はやりゃできるんだ』勘違い!元から勘違いの性格で、本当に勘違いしちゃって1年間、勉強しなかったら成績が落ち、居心地が悪くなってしまいました。
また厳しい校則に反発して、先生から目をつけられるようなり高校2年生の5月ごろ、親に退学届を書いてもらい『どうやって辞めてやろうか』と数ヶ月、退学届を胸ポケットに入れ、『けんかして辞めるのは格好が悪い』と思い、何もないときに担任だった先生の授業で出しました。
しーんとしている教室にいきなり立って、『辞めます』、心のなかで『あばよ』といいながら、一切振り返らずに校舎を出て、学校とはおさらば!でした。
熊谷正寿の生い立ちからの学び
ここからは熊谷正寿さんの生い立ちからどのような行動をしてきたのかみてきましょう!
パチンコ店のオーナー
熊谷正寿さんは高校を中退した後、しばらくはパチンコ店のオーナーとして勤務。
夜中に「長野の店が上手くいっていなくて困っている」と、
隣の部屋で両親が話していたのをたまたま聞いたのがきっかけでした。
父はパチンコ屋をチェーン展開、長野にある母の実家の近くにお店をつくっていた。
郊外型の店舗で、千何百坪の土地があり、車を100台以上停められるような規模の店だった。
●パチンコ店 立て直しを目指す
①「どのように人を動かすか」
というマネジメント。
②「計数管理」
パチンコ屋というのは、確率の世界。
釘を少し動かすと出玉率が変わる。
すべてのパチンコ台の数字を記録して、
確率の中に経営を落とし込んでいくのがパチンコ屋。
③「顧客心理」
どうすればお客様が喜んでくれるか
つまり、あの店は玉が出ると印象づけること。
朝一番から打ち止めになるほど玉が出る
ビックリ台というのをつくってみたり、
宣伝活動で他の店よりも玉が出ると印象づけたりして、
「出るから人がいる」という好循環をつくった。
短期間で地域ナンバーワンの店にした。
パチンコ店で学んだことが今のベースになっている。
パチンコ屋というのは、それぞれの台が一つひとつの店みたいなもの。数百ものチェーン店舗を経営しているような同じものという発想です。
東京の社宅住まい
熊谷正寿さんは、20歳で結婚し、21歳で娘が誕生。
長時間勤務の安月給。風呂なしの傾きかけた住まいで生活。
父親が経営している東京の会社で働くことになり、江戸川橋の寮に住むことになりました。
それがひどい寮。建物全体が傾いていた。使用できる電気の容量が少なく、
電子レンジとドライヤーを一緒に使うとヒューズが飛び、電気が使えなくなっても、
ヒューズボックスが屋上にあって夜中は入れないので、朝までローソクで過ごした経験が多かったのです。
熊谷さんはある日、家に帰ってみると、「妻がお金がないので!明日から働く!」と泣いていました。
奥さんは毎朝、娘を保育園に預けて、ウエートレスのアルバイトをするようになります。すると朝、預けられるのがわかっているので娘も泣いていました。
熊谷さんは、今まで与えられた環境で仕事を真剣にやっていて、
自分の人生について深く考えたことなかったが、家族が泣いている姿を見て初めて、
「これってもしかしたら幸せじゃないな」と気づいたのです。
手帳に「夢」を書いて起業~上場を実現!
熊谷さんは、仕事のほかに放送大学に入学し、通信教育の学習をしていました。
朝から晩まで働いて、家に帰ってから勉強を続けているうちに、
目の前がぱっと明るくなり、トンネルの外に光が見えたような感覚!
それから「こんな勉強をしたい」「こんな家に住みたい」「こういう生活をしたい」と、
将来やりたいことを手帳に全部書き出します・・・
熊谷さんは、目標を可視化したんですね!
次にその目標に優先順位をつけて、自分の将来をこうしたいという年表を作成。
それを後に「未来年表」と呼び、20歳から先の35歳まで「15年計画」を立案しました。
熊谷さんは91年に「ボイスメディア」を創業。
これが後のGMOインターネットとなりました。
95年にインターネット事業に参入し、インターネットのインフラ事業に
軸足を置いて事業を拡大してきました。
99年には独立系インターネットベンチャーとして初の上場を成し遂げ、
その後、ネット広告・メディア、ネット証券、スマートフォンのゲーム事業にも進出。
2016年6月時点で、GMOインターネットグループは、上場企業9社を含む、グループ89社、スタッフ4900人超、15年の連結売上高1263億円、営業利益は148億円と過去最高を記録しています。
34歳のとき、20歳でつくった15年間の年表があと1年で終わると思い、「55カ年計画」を立案。様々なケースを想定してエクセルに入れていくと、90歳までの目標売り上げは10兆円、従業員数は20万人にする目標となる計画を作成し、実行に移しています。
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また、そんな熊谷さんの成功への哲学を語った著書があります!ビジネスを成功させたい方必見の良書です!⇩⇩⇩
熊谷正寿の名言
経営者の最も重要な仕事は、夢を語ること。経営者の描く夢が、多くの笑顔を生む夢であればあるほど、その夢は必ずかなう。
多くの笑顔を生む夢は、賛同する人が集まり、成功の確度が高くなる。利益だけを追求しているビジネスは、必ず限界が訪れる。
夢あるところに行動がある。行動は習慣をつくり、習慣は人格をつくり、人格は運命をつくる。
さいごに
多少なりともIT業界に詳しい人であれば、”GMO” の名前を知らない人は まずいないでしょう。
これは、売上高1000億円・グループ総従業員数4000人を抱えるGMO社の 誕生秘話です。
中卒で “お金が無さすぎて奥さんを泣かせていた男” は、東証一部上場企業を作り上げてしまいました♪
最後までお読みいただきまして
ありがとうございました!
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