アメリカ人が最も好きな現代の俳優は、
ハリウッドの俳優で伝説的なナレーションでも知られる
モーガン・フリーマンです。
モーガン・フリーマンを知りたい!
どんな代表作品があるの?
こんな疑問にお答えします。
モーガンフリーマンの諦めない心、「ショーシャンクの空に(映画)」演技力
モーガン・フリーマンは、俳優になるまでアメリカ空軍のパイロットでした。
しかし彼は、「この仕事は自分に向いていないと感じていました。
仕事を少しも好きになれませんでした」と話しています。
俳優になった後も、映画に出演するまで長い月日があり、映画俳優として知られるようになったのは「NYストリート・スマート」でアカデミー助演男優賞にノミネートされた50歳の頃です。
2年後には「ドライビングMissデイジー」でゴールデン・グローブ賞を受賞し、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされました。
今回の記事は、遅咲きの人、、モーガン・フリーマンの人物を紹介します。
・モーガン・フリーマンのプロフィール
・モーガン・フリーマンのショーシャンクの空に
・モーガン・フリーマンの主な作品
モーガン・フリーマンのプロフィール
1937年6月1日、テネシー州メンフィスに出生。父モーガン・ポーターフィールド・フリーマン。
モーガンには3人兄弟。モーガンは9歳の時小学校の演劇で主役を務めている。
12歳の時には州の演劇コンクールで優勝し、高校時代にはテネシー州ナッシュヴィルで
ラジオ演劇に出演していた。
1955年、ジャクソン州立大学の演劇奨学金を断り合衆国空軍の機械工となりました。
1960年代前半、モーガンはロサンゼルスへと移住。クリント・イーストウッドなどが
通っていたロサンゼルス・シティー・カレッジに事務員として勤務した。
モーガン・フリーマンの映画俳優
30歳の頃に、「やっぱり俺、役者になりたい」と思い俳優を目指しました。
初めはロスアンゼルスへ行ったのですが、ハリウッドの売り込みに失敗して30歳前に、
ニューヨークへ行き、ブロードウェイといっても小さなブロードウェイ、
小さめの劇場の舞台に立てるようになりました。
しかし、このニューヨークの小さな劇場の舞台に立った後、50歳になるまでずーっと本当にブロードウェイでの小さい役をもらうのと、テレビシリーズでときどきお金のために小さい役をやっていました。
まったく売れず、子供向けの番組とかにも良い解決をするおじいちゃんの役で出ていたのです。
30歳から50歳まで本当に売れない役者だったのです。
50歳過ぎてもパッとしない役者のままでしたが、モーガンは1980年代前半から知的で温かみのあるキャラクターで助演男優として頭角を現します。
有名になったのは、運転手役の黒人を演じたブルース・ベレスフォード監督の『ドライビング Missデイジー』(1989年)やエドワード・ズウィック監督の『グローリー』(1989年)など次第に主役級の役柄を演じるようになりました。
1994年、フランク・ダラボン監督の『ショーシャンクの空に』ではティム・ロビンスと共に主役レッドを演じ最高の評価を得ました。
『N.Y.ストリート スマート』(1987年)、『ドライビング Miss デイジー』、『ショーシャンクの空に』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされていたが、遂に2004年にクリント・イーストウッド監督の『ミリオンダラー・ベイビー』で同賞を受賞。
1997年に、映画プロデューサー、ロリー・マクリアリーと共に映画制作会社「リヴェレーションズ・エンターテイメント」を設立。また2人は、これの姉妹会社にあたるオンライン映画配給会社「クリックスター」も立ち上げる。
・ドライビング Missデイジー(1989年)Driving Miss Daisy
・グローリー(1989年)GLORY
ショーシャンクの空に(1994年)The Shawshank Redemption
ミリオンダラー・ベイビー2004年Million Dollar Baby
モーガンフリーマンは宇宙好き
モーガンは宇宙工学や航空工学などの科学分野に関する広く詳しい知識を持ち、
その分野におけるものの見方や考え方に関して深く理解しているのです。
前述のクリックスターでは『私たちの宇宙』というコーナーを持っており、
科学系のビデオクリップを制作配信しています。
テレビにおいても、ディスカバリーチャンネルにてシリーズ番組『モーガン・フリーマンが語る宇宙』のホストを務め、宇宙に関する解説も行っています。
なぜ『ショーシャンクの空に』は感動を呼ぶのか?
モーガンフリーマン ショーシャンクの空に
1994年の『ショーシャンクの空に』で主演を務めたモーガンは以前、
名声を得たことで、個性派俳優でいることの難しさをサンデー・タイムズ紙に明かしています。
「映画界でキャリアをスタートさせたとき、私はカメレオンになりたかった。
初期の頃の(ロバート)デ・ニーロを思い出す。同じ俳優とは思えないようだった」
「そういう機会もあった。でも、この業界で成熟していくと、やがてスターになる」
「そうなると、自分を個性派俳優と呼ぶのはかなり無理がある。
同じような役を演じることが多くなり、『私が求めているのはあなただ』と言われ人々に雇われる。そうやって生きていくんだ」。
スティーブン・キングの中編「刑務所のリタ・ヘイワース」を
ティム・ロビンス&モーガン・フリーマン主演で映画化した人間ドラマ。
長年ショーシャンク刑務所に入っている囚人レッドと無実の罪で収監された
元銀行副頭取アンディの友情を軸に、アンディが巻き起こす数々の奇跡が描かれる。
94年度のアカデミー賞では作品賞を含む7部門でノミネートされたものの無冠に終わったが、
映画ファンに愛される名作として語り継がれています。
1994年製作/142分/G/アメリカ
原題:The Shawshank Redemption
配給:カルチャヴィル
日本初公開:1995年6月3日
ステーブン・キングの原作では、お話全体の語り手である「レッド」という役は、もともとアリルランド系の白人設定でしたが、プロデューサーのリズクロッツアーが「絶対モーガンでやるべきよ」「ドライビング Missデイジー」見た?「凄いわよ!」と猛プッシュしました。
ダラボン監督が、渋々受け入れて、実際にモーガンに会ってみると・・・すごくいい!と原作で白人と書いてあるけど、もう関係ないとモーガンでいこうということになりました。
ラストシーンについてもプロデューサーのリズクロッツアーが、ステーブン・キングスの原作を猛プシュで変えてしまいます。ラストは二人が感動の対面で青空・白い砂浜・二人がガッチリ抱き合うシーン・・・ところまでやらないと絶対にダメと言いました。なので映画が大ヒットしたわけです。
モーガンはこの時すでに57歳。売れない役者のまま57歳という人生。しかし演技が素晴らしい!
少しでも参考になれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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