こういった疑問に答えます。
チャンスを掴む。
簡単に言葉にできるが、一体何がチャンスなのか判断する、そしてこれがチャンスだと信じて即座に行動するのはなかなか難しい。
なぜならチャンスだと思っているものが大きなリスクかもしれないという可能性も少なからず考えてしまうからだ。
しかし、常にチャンスを探し続け、これがチャンスだと感じるとすぐさま行動に移す一人の男がいた。
マクドナルドを世界中に広めた男、
レイ・クロック。
今のマクドナルドの繁栄はチャンスを掴もうとする彼のたった一言から始まった。
マクドナルドの創業者「レイクロック」に学ぶビジネス成功への道
成功者の一人として語り継がれてきた「マクドナルド」の創業者レイ・クロック。2017年1月、マクドナルドの創業者レイ・クロックを描いた映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』が、米国で劇場公開されました。
彼のダークサイドが浮き彫りになった形での映画化、公開と同時に各国のメディアに大きく取り上げられ、物議を醸した。果たしてレイ・クロックはマクドナルド兄弟からマクドナルドを奪ったのか??
今回の記事は「マクドナルド」の創業者というか「ハンバーガー帝国」築いたレイ・クロックさんのさまざまな困難や逆境を乗り越えてきたお話をまとめました。
・マクドナルド兄弟のハンバーガーショップ
・再現性のないフランチャイズ
・レイ・クロックの決断と行動
1902年、レイ・クロックはシカゴ郊外の町オークパークで、チェコ系移民の家庭に生まれた。米国が第一次世界大戦に参戦すると、15歳の彼は高校を中退して年齢を偽り、赤十字に志願。負傷者用救急車の運転手になってヨーロッパへ行こうとする。
しかし、研修終了間際に第一次世界大戦が終わりを告げる。その後は、ピアノ奏者や紙コップのセールスマン、ミキサーのセールスマンとして働いました。
レイは自伝で当時をこう告白している。
安定した、収入の良い仕事を辞めて独立するのは、リスクの大きい決断だった。
妻はショックを受け、その事実をなかなか受け入れようとせず、しばらくは
いさかいが絶えなかった。
しかし、次第に事業が軌道に乗り始めます。レイの営業活動も全国各地に広げていました。
そんな時も彼は常にビジネスチャンスを逃さないように注意を払っていたといいます。
ちなみに映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』は、そのカルフォニアのマクドナルド兄弟のいる、サンバーナーディノの店まで行くところから始まります。
当時のハンバーガーショップ
マクドナルド以外の当時のハンバーガーショップは、とにかく店員さんがローラースケートを履いた女の子がドライブインレストランみたいなところなので、車が止まっていてそこに行って注文を取ってきます。
ローラースケートの女の子は、「おぼん」みたいなテーブルを手に乗せて、このテーブルの上にハンバーガーやドリンクを乗せて提供します。この「おぼん」は車の窓部分にガチャっと取り付けるとそのままテーブルとして使用できる優れモノでした。
ところが、ここまで読んで頂くと、カッコいいと思われますが、実際はオーダーしてからハンバーガーが届くまで30分ぐらいかかるし、間違えられるのはしょっちゅう。店員の女性たちはチップで生活しているので、チップ代を要求されるあまり楽しくない場所だったのです。
当時のアメリカ人は、車で移動する時はそういうドライブインを利用するしかないのです。そんなドライブインには年がら年中ヤンキーたちの兄ちゃんたちもタムロしていて、タバコを吸ったりお酒を飲んだり、店員の女性を口説いたり、時には非合法なドラッグをしたりしていて、ドライブインを不潔な若者が店の周りを囲むような場所でした。
家族連れたちは必要に応じて仕方ないから行ってました。長い長い時間を待って待って、やっとオーダーできても30分ぐらいかかり、しまいにはパサパサのハンバーガーを食べるという本当にそういう場所だったのです。
マクドナルド兄弟のハンバーガーショップ
ある日、ある店で使っているのと同じマルチミキサーが欲しいといった内容の注文が全米から殺到します。
注文者は決まってこう言ったそうだ。
「カリフォルニアのサンバーナーディノでマクドナルド兄弟が使っているのと同じマルチミキサーを一台売ってくれよ。」
マクドナルド兄弟とは一体?
と、レイはマクドナルド兄弟に興味を持ち、彼らに会いに行きます。
レイ・クロックさんが初めてマクドナルド兄弟のハンバーガーショップに行ったら、もの凄く清潔で店全体がガラス張りで厨房まで全部見える。またゴミやタバコのひとつも落ちていませんでした。
それまでのハンバーガーショップは、厨房を徹底的に隠していましたが厨房が全部見えて、スタッフ全員がもの凄くダンスしているみたいに美しく動いていて、凄く長い行列ができている店でした。
また、驚いていたら前に並んでいた人が「すぐだよ!」と言われ、「えっ!」と思ったらその長い行列がもの凄い速度で前へ前へ前へ、行ったらレイ・クロックの順番が来て、「何にしましょうか?」と店員に笑顔で聞かれ「ハンバーガーとポテトとコーヒーをください」と言った瞬間に出てきてました。
これまでオーダーしてから30分だったのに、オーダーした瞬間に出てきたから「どうなっているの?」と思い店の奥を見てみたら、凄い勢いでハンバーガーが作られていて、それがストックのところにドーンと来るんだが、来た瞬間からどんどんどんどん取られていくので、本当に出来立てのハンバーガーがオーダーした瞬間に出てくるのです。
ハンバーガーショップの紙ワザ
「えっ!テーブルやナイフ・皿はないの?」店員さんは「ハンバーガーもポテトも紙で包んでいるのでそのまま食べてください!」と。 「どういうこと?」店員さんは「そんな皿はいらないでしょう。紙に包んであるから、そこから食べて 食べ終わったらそこにゴミ箱があるから紙は捨ててください!」
そんな店 誰も想像していなかった時代です。
マクドナルド兄弟の店では当たり前だと思っています。紙の袋には 紙に包まれたハンバーガーが入っていて、ポテトも紙の袋の中。今の時代も同じような形態です。
この画期的なシステムを考え出しのは、マクドナルド兄弟でした。
「これだったら確かにゴミも出ない!凄いわ!」とレイ・クロックは思って「こいつらと一緒に商売したい!」と考えたわけです。
レイ・クロックは「頼むから一度晩御飯を一緒に食べよう!」二人の兄弟を誘って、どんな風に店を作ったのか?というような、この店のメイキングみたいな話を聞くのです。
マクドナルド兄弟の試行錯誤
もともと弟が考えた時、最初は他の商売をしていましたがうまくいかなくてハンバーガーショップを始めたのですが、一番最初にやって上手くいかなかったので、徹底的に作りを変えました。
まずテニスコートを使っていない時に、チョークと全店員でやってきて、テニスコートの上にチョークで厨房の大まかな配置をやると、店員をそれぞれに配置させ、ここでハンバーグを焼くとか、ここでケチャップを乗せるとか……ここで挟むとみたいにしました。(みんなでバーチャルでエアーハンバーガーを作り本物の通りやる)
「はい!みんな! それで動いてくれ!」と言ってハンバーガーを作らせる そうすると交通渋滞が発生するんです。
「違う!違う!違う!」と言ってどんどんどんどん配置を変えてついに店の理想の配置、全員が無駄なく動ける配置を試行錯誤の上見つけだしました。
それ話を聞いて、レイ・クロックは凄く感動して「フランチャイズをやらせてくれ!」と頼みました。しかしマクドナルド兄弟はその話を聞きましたが、すごく気難しいそうな顔をして答えました。
「じつは、もうやったんだ。7店舗をすでにカルフォルニアに出店した」と言われました。
再現性のないフランチャイズ
しかし、マクドナル兄弟は、「どうだったかって?」「全部ダメだった」「もう俺たちが思っているレシピを再現してくれないんだ!」と言い出します。
「俺たち兄弟が毎日出勤して、毎日ゴミを捨てて、毎日ゴミ掃除して うるさいぐらい言っているとようやく品質が守られる。
例えば、マクドナルドのハンバーガーの作り方も正確に決まっている。パンのパテの上にケチャプとマスタードと細く刻んだオニオンしか乗せてはいけない、ピクルスはふた切れというふうに決まっています。これを守らせるという単純なことができないので、7軒あったけど、全部うまくいっていない。この兄弟は気まずそうに話しました。
それを聞いたレイ・クロックは「俺だったらできる!」「俺だったらそれを完全に守らせてみせるよ!」マクドナルド兄弟が全然信用していないけど、ただ「やらせてくれ!やらせてくれ!」と頼みこみました。
レイ・クロックの考えは、ハンバーガーショップをやりたいという気持ちもありますが、同時にこれだったらミルクシェイクが飛ぶように売れ「俺の電動マルチ・ミキサーも売れるわ!」と思っていました。
契約書に縛られて再現性が実現できない
レイ・クロックは、なんと1ヶ月のうちに7軒をオープンしましたが、マクドナルド兄弟のようにま毎日出勤して、毎日ゴミを捨てて、毎日ゴミ掃除して 「違う!違う!」というふうにマクドナルド兄弟の分身のように全部の店を見てまわって、ヘトヘトになりながら働いていました。
ところが、ほんのちょっとでも店のレイアウトなどの変更するとか、現地に合わせて方法を変えるとかしても契約書で縛られ、何にも改善できませんでした。マクドナルド兄弟は自分たちがチェーン店を広げて収入を増やしたかったが、自分たちのやり方を変えるのは非常に嫌がりました。
ここでフランチャイズを広げ売り上げを伸ばすためのキーワードがこの「再現性」です。
関連記事にも書きましたが、吉野家の牛丼の成功の秘訣は再現性「はやい」「うまい」をどんな店舗でも再現できる方法をマニュアル化しました。
レイ・クロックの決断
レイ・クロックは「現場ではこうなんだ」「アメリカは都市によって気候が違うから こうなんだ!」と言ってもマクドナルド兄弟は一切聞いてくれませんでした。
店の建て増しとかやるにせよ、いちいち契約書の通りにやらないといけない。レイ・クロックはそんな状況から倒産に追い込まれました。しかしマクドナルド 兄弟は、レイ・クロックから電話をして「このままでは俺 倒産してしまうよ!」「頼むからちょっとだけ妥協してほしい」と言っても「契約書」「契約書」「契約書」契約書を盾にとって、冷たくあしらいました。
レイ・クロックはブチーんと切れて「じゃあ、お前らが契約書って言うんだったら……」
ということで、マクドナルド商売の全体、店全体、ついてはマクドナルドの名前自体も乗っ取ろうとします!
しかし、レイ・クロックがマクドナルドを乗っ取ったかの判断は読者の判断にお任せします。
まとめ
それをレイ・クロックがたちまちのうちにアメリカ中にやったおかげで、紙で包むハンバーガーのシステムとか、アメリカ中にあったドライブインでみんなパサパサのハンバーガーを30分待ってくるという状況が劇的に改善され、いまでは世界中のどこでもマクドナルドのハンバーガー・ポテトが食べられます。
そういうメリットの部分を見ずに、いやいや純粋な人が騙されたってと言って(じつは騙されていない、マクドナル兄弟はレイ・クロックから135万ドルを受け取っています)
じつはマクドナルの成功は、ポテトの美味しさなんですよ!
最後までお読みいただきありがとうございます。
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