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堤真一さんはジャージと2万円の家賃からの貧乏下積み生活エピソード

教育
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ゆず子

「俳優、堤真一さん(57)の若い頃、下積み時代のエピソードって知りたい!」

こんな疑問にお答えします。

 

堤真一さんの“極貧”下積み時代〜カバンとジャージのひつとで上京、家賃は2万円、部屋にキノコ、食事は雑草!友だちはゴキブリ・・・超貧乏時代

 

今回の記事は、堤真一の生い立ちから現在まで。

将来に希望を持てなかった不登校の学生は、いまや映画やドラマ、そして舞台と話題作に欠かせない超人気俳優となりましたねそんな堤真一の若い頃の下積み時代のエピソードから成功した話をまとめました。

 

 

 

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堤真一さん生い立ち

堤真一さんはどんな人?

  • 堤真一(つつみしんいち)は、日本で活動する役者。
  • 兵庫県出身の1964年7月7日生まれ。シス・カンパニー所属。
  • 地元の高校を卒業後、千葉真一主宰の「ジャパンアクションクラブ」に入団。
  • 1984年公演の舞台『ゆかいな海賊大冒険』で役者デビューし、役者・真田広之の付き人も務めた。
  • 以降、舞台を中心に活動。映像作品には端役などで出演しつつ、大河ドラマにも出演していた。
  • 1996年放送のドラマ『ピュア』(フジテレビ)で準主役を演じ、一躍ブレイク。以降、ドラマ『やまとなでしこ』や『恋ノチカラ』、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』や『容疑者Xの献身』など、話題作に多数出演している。
  • 私生活では、2013年3月に一般女性と結婚。同年、第一子が誕生している。

 

野球少年だった

堤真一は、姉が甲子園球場でウグイス嬢をしていたことなどもあり、近所にある甲子園球場へよく遊びに行っていた。

そうした経緯もあり、子供の頃から自身も野球をしていた。

ポジションはショートで、中学の時まで続けていた。

中学時代は、怪我で試合に出られないこともあり悔しさを感じたという。

そのため高校でも野球を続けようと野球部に所属したが、面白くないと感じ1年で退部した。

引きこもり高校時代

高校時代野球部を退部した、目標を失い自暴自棄になってしまい、高校へ行かなり、引きこもり状態に。

そんな堤に対し、無口な父は何かを言ってくることはなかったが、高校を辞める理由として「毎日同じ時間に職場へ行くような、父のようなサラリーマンになりたくない」と発言。

これに対し父は「サラリーマンの苦労を知らない奴は何をやっても同じ」と返答し、堤は自分が負けたような気になったという。

また、気が強くておしゃべりな母が、心労が祟り号泣。

こうした出来事を経て堤は引きこもりから脱し、高校を卒業することができた。

家賃は2万円のアパートでカバンとジャージひとつで上京

家賃は2万円「カバン1つよ、本当に」・・・・・

「東京に出てきたのは夏だった、7月。何も持たずにカバン1つを持ってきて」・・・

「不動産屋に行って『1番安い家賃のところ』と言って、家賃2万円のネズミのふんかもあるようなところで。カバン1つで寝て」と振り返っています。

ともに上京した仲間もいました。「それぞれ携帯電話もない時代だから『何時に(新宿の)アルタ前に集合』と決めていました。

「カバン1つよ、本当に。中はジャージーしか入っていない」と強調していました。

高校卒業後、千葉真一の「ジャパンアクションクラブ」に入団。

1984年公演の舞台『ゆかいな海賊大冒険』で初舞台。

21歳の頃 役者・あの世界的有名な真田広之の付き人を経験。

(堤真一の4歳年上)真田広之の身の回りの世話などをしていた。

ある時、堤真一は真田広之の好きなジュースを

クーラーボックスに詰めて歩いて、

いつでも手渡せるように準備していた。

そのため自身が役者として成功を収めた後でも、

真田広之さんの前では緊張してしまうという。

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堤真一 下積み時代

部屋にキノコが生えていた!極貧の下積み時代

下積み時代の堤の生活はまさに極貧と

呼ぶにふさわしいものでした。

部屋にキノコが生えている、さすがに食べなかったが、一瞬迷う(笑)。

それくらい皆おカネがなくて、いつも腹を空かせていたんです。

家賃2万5000円の風呂なし、共同トイレの木造ボロアパートに暮らし、銭湯に行く金もないから体を洗うのに流しを使ったとか。

日中は稽古に励み、夜は工事現場や飲食店でアルバイト。

だが生活は苦しく食べるだけで精いっぱいだった。のちにこの時を、「真っ暗闇の状態だった」と語った。

生きていくことに不安を感じながらも、生活費のためにやりたくない仕事をやる、自分が許せなかったと言います。

人に歴史あり。今の堤があるのはこの時の苦労を

乗り越えたからだと言えるでしょう。

堤真一の友だちはゴキブリだった?

上京してすぐに住んでいたという笹塚を訪問。

「東京に20歳で出てきて、家賃2万円の四畳半に住んでいた」。

「一番安いアパートを選んで。何カ月かしたら脱出できるだろうと思っていたら、(結局)7年。

(上京したときは)ジャージとカバンひとつ。

4月だったけど心が寒かった。いっぱい着ても寒くて寝られなくて、押入れ開けたら

前の人が使っていた絨毯があって、それに『くるくるくる』っとくるまって寝た」

「1階の角部屋だった。夏場なんか暑いから、開けたまま出かけるじゃない。

それで帰ってきたら野良猫が10匹くらいいて。入った瞬間に逃げたんだけど、片目が潰れた尻尾の太いボス猫だけ、ずっとどかない。こっちが怖くなるくらい。

『(むこうが)なんやねん俺の部屋で』って感じで」ボス猫がいなくなった後、そのベットで寝たのだが、「痒いのよ、ノミ。ノミに2年間も苦しめられた」と思わぬ災難があった。

女性を初めて自宅に呼んだときの話。

同期の女の子が、何人かいるなか一緒に帰る!電気をつけた瞬間、ゴキブリが『ブワーーッ』飛んできて、みんな『ギャー』ってなった

このような過酷な下積み経験があったこそ国民に人気のある名優に成り上がったのです。

成功者は絶対と言っていいほど、若い頃は過酷な生活を経験しているんですね!

堤真一名言

僕の仕事って、まず楽しむという姿勢がない限り、いいものにはならない。
疲れ切っててこなす感じになると絶対にダメです。
ワクワクしそうにない仕事はする必要はない。
ギャラがいいとか、この監督とは知り合っておいた方がいいとか、
世間的に評価が高いからとか、関係ない。

そして

仕事の価値をどうやって、お金に換算していいのか分からないんです。

だから、見合うかどうか答えようがありません。

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さいごに

いまでこそ映画やドラマに引っ張りだこの堤だが、

もともとはジャパンアクションクラブ(JAC)の出身で、

かつては真田広之の付き人を務めていたこともある。

そんな堤が広く認知されるようになったのは、

30代後半で主演した『やまとなでしこ』

(2000年・フジテレビ系)からだ。

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ありがとうございました!

 

 

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