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長崎の地で幕末期において活躍した偉人 坂本龍馬は海援隊を起業した希望の土地

海援隊を起業した坂本龍馬は希望の土地 長崎で夢の実現を目指したビジネス
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幕末の浪人「坂本龍馬」は日本で最初の会社を設立した人物みたいだけど、その会社はいかにして設立したの? その会社の目的はなんだったの?

こんな疑問にお答えします。

 

長崎の地で幕末期において活躍した偉人 坂本龍馬は海援隊を起業した希望の土地

長崎の地で幕末期に活躍した偉人 坂本龍馬 【海援隊】

 

坂本龍馬像in白浜 高知県

雄飛の夢を羽ばたかせた神戸海軍操練所は、あっけなく消えました。行き場を失った坂本龍馬と同士たちは、本拠を長崎へ移し、スポンサーを取り替えつつ、海軍・商業・教育の理想集団を創ろうとしました。

今回の記事は、坂本龍馬の海援隊はいかにして設立されたか?・・をまとめました。

 

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長崎 亀山社中(海援隊)は経済的自立を目指したユニークさ

海援隊の前身 亀山社中

新撰組・奇兵隊に見られるように、幕末の頃には、多くの浪人による結社、軍事組織がありました。その中で、坂本龍馬の作った亀山社中、海援隊という非常にユニークな存在であったのです。

何がユニークかといいますと、経済的な自立を目指していたことです。

浪人というのは、経済的な基盤が非常に弱いため、浪人結社には常に経済問題がつきまといます。浪人結社の中には、経済的に行き詰って悪行に走る結社も絶えなかったのです。

長州(現・山口県)の奇兵隊は下関の豪商に支援されていました、また、新撰組は徳川幕府から支援を受け設立されました。彼らは基本的に他人に頼ることで経済問題を解決してきました。

しかし海援隊は、経済的問題をビジネスすることで解決しようとしたのです。ただし初めから経済的な自立ができたわけではなく、薩摩藩や土佐藩の支援を受けてきましたが、目標としては経済的自立を目指していて最終的には自立する目前まで行ったのです。

海援隊の全身である亀山社中は、幕臣・勝海舟が作った神戸の海軍操練所にその起源があります。勝の失脚により閉鎖され、龍馬ら脱藩浪人にはよるべき場所がなかったのです。

 

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長崎(日本)で最初の株式会社=亀山社中

長崎 坂本龍馬のブーツと錨

龍馬は、薩摩藩に身元を引き受けてくれるように掛け合いました。薩摩藩では当時、情報収集のため、もしくは戦争が起った場合などを想定して、浪人を多くかくまっていました。

薩摩藩との交渉もうまくいき、龍馬たちは長崎に移住し、亀山社中を旗揚げしました。亀山社中は、長崎の「亀山焼」という焼き物をしていた家を宿舎としていました。当初は「社中」とだけ呼んでいましたが、宿舎にちなんで亀山社中と呼ぶようになったのです。

亀山社中は、薩摩藩が後ろ盾となり、航海などのビジネスを行い、倒幕戦などが起きた場合には私設軍となるという目的をもっていました。

亀山社中は、独立独歩が基本でしたが、最初の資金は薩摩藩から支援を受けていたのです。

 

薩摩藩と亀山社中の関係

亀山社中は日本で最初の株式会社と言われることがあります。亀山社中は株式を発行しているわけではないし、当時の日本で商法が定められていたわけではないので、厳密な意味での株式会社ではありませんが、亀山社中のシステムは株式会社に似たものだったのです。

株式会社と普通の事業者との大きな違いは、資金を出すオーナーと、経営者が分かれているということです。ある事業を行うために出資者を募ります。そしてその事業で生じた利益を出資者に還元します。日本には、亀山社中の前から数多くの事業家は存在していましたが、そのほとんどが資金を自分で用意し自分で事業を行うというものでした。いわば個人商店みたいなもので、資金を他人から提供してもらい、それを使って経営を行うという株式会社形式ではなかったのです。

亀山社中は、薩摩藩から資金の提供を受けているが、経営は亀山社中自身で行っていました。つまりオーナーと経営者は別々なのです。

薩摩藩は、亀山社中に西洋式帆船を提供していましたが、それは亀山社中のビジネスで利益が出れば、薩摩藩へ還元され、いざ戦争になった場合は、薩摩藩の海軍の一員として活躍してもらうことでした。つまり亀山社中は、薩摩藩が株主となった株式会社ということです。

 

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亀山社中、マージンという商習慣の欠落

坂本龍馬と亀山社中 長崎

亀山社中は設立からすぐに華々しい活躍をしました。設立した年から翌2年の初めにかけ亀山社中は大きなビジネスを手がけました。

グラバー商会から長州藩へ武器の斡旋をしました。ミニエール銃4300、ゲーベル銃3000、それに軍艦のユニオン号が亀山社中の仲介で取引されました。合計金額は13万100両(約65億500万円)という巨額なものでした。(一両=5万円相当と本記事では換算します)

亀山社中の存在は、長州藩にとって「神様」みたいな存在でした。亀山社中を通せば外国の商社はつ長州藩と直接取引をしているわけではないので、幕府からとがめられることはありません。長州藩は亀山社中を通すことで、大量の武器を購入することができたのです。

しかし、創業2年目、亀山社中は資金的に行き詰まってしまいました。亀山社中は、長州藩との巨額のビジネスを成立させていましたが、これはあくまでも仲介であり、亀山社中には利益はなかったのです。

通常のビジネスであれば、取引を仲介すれば仲介料、斡旋料としてマージンを受け取るのは当たり前で、総合商社などは、そのマージンを主な収益としています。

しかし、幕末当時は、斡旋報酬をもらうというような商習慣はありませんでした。仲介や斡旋はビジネスとしてまだ認知されていませんでした。そのため長州藩は亀山社中の働きに対して、謝礼程度しか支払っていなかったのです。

もし亀山社中が、長州藩の武器取引において数パーセントのマージンをとっていれば、亀山社中は大きく発展していたでしょう・・・・

海援隊へ衣替え

海援隊と亀山社中は、基本的にはあまり変わりありません。構成メンバーもほぼそのまま、やっていることもほぼ同じでした。

海援隊と亀山社中の大きな違いは、スポンサーが薩摩藩から土佐藩に代わったことです。またスポンサーの性質も大きく変化しました。

土佐藩は薩摩藩と違い、海援隊を自藩の外郭団体と位置付け、海援隊を支援することを土佐藩の義務としました。

海援隊約規

坂本龍馬の海援隊メンバー
海援隊約規

「脱藩の者(フリーランス)、

海外開拓に志ある者、皆是の隊に入る。

国(企業)に付せず、海援隊に属す。

運船射利、応援出没、海島を拓き

五州の興情(よじょう)を察する等の事を為す」

明らかに商業活動にウエイトが置かれている。

 

海援隊約規によると海援隊の目的は、「運輸、射利、開拓、投機、本藩の応援をなすおいて主とす」となっています。簡単にいえば、海運事業や商取引、開拓などを行い、また軍事面で土佐藩を応援するということでした。

ただ、海援隊は土佐藩配下の組織だったのか? というとそうではありませんでした。

海援隊は、亀山社中と同様に独立独歩を原則としていたので、基本的には自分たちでビジネスをし、その収益で運営されることになっていました。そして不足が生じた場合には土佐藩が支援するという形式になっていました。

海援隊の構成員は土佐藩士だけではありませんでした。海援隊規約では、海援隊士の条件を「土佐藩や他藩を脱藩したもの、海に志があるもの」としています。

海援隊の名称も「海から土佐藩を助ける」という意味です。海援隊は、軍事、ビジネスなどの面で土佐藩を助け、土佐藩は海援隊の経済的な支援を行うという両者は対等の関係でした。

海援隊の事業は順調だが貧乏暮らし

土佐藩からは、隊士一人当たり1ヶ月5両の支給がありました。(約25万円)。しかし海援隊は決して裕福ではありませんでした。

龍馬たちは、事あるごとに土佐藩の長崎出張所に出向き、金をせびりました。長崎出張所の会計係は、のちに三菱財閥を作る、かの岩崎弥太郎でした。

龍馬や他の隊士たちもよく、岩崎弥太郎のところへきて金を借りに来たようで、岩崎は日記の中で海援隊のことを「厄介もの」と嘆いていました。

このように経済的には恵まれなかった海援隊ですが、事業がまったく振るわなかったというわけではありませんでした。むしろ事業は順調でもう少しで軌道に乗るというところまで行っていました。

事業というものは、開始してから収益が出るまで時間がかかるもです。龍馬のもとで活動していた期間は半年に過ぎず、あまりにも活動期間が短っったため、十分な収益をあげるまでに至らなかっただけでした。

慶応3年(1867年)11月15日 龍馬は暗殺されてしまいました。

海援隊は龍馬の死後も一応、存続はしていましたが、もし坂本龍馬が生きていれば、海援隊はどうなっていたのか? 龍馬ファンとしての私は興味が尽きぬところです。

 

最後までお読みいただきまして

ありがとうございました!

 

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