戦国武将のひとりの徳川家康の子育て術はわかったけど、
「織田信長の子育ての方法ってどうなの?」
こういった疑問に答えます。
織田信長の性格は短気でせっかち?
子孫への育て方はどうだった?
織田信長の“子育て法”は、刺激を与え成長を促す
戦国武将の名前と合戦の歴史はみんな覚えていると思いますが、
そのような話ではなくて、彼らがどんな親でどんなふうに子育てをしていたのか?、
こんな身近な話題が参考になりますよね。
戦国武将の織田信長、徳川家康や豊臣秀吉、それぞれ性格や子育て方法も違います。
今回の記事では、戦国時代の織田信長の「子育て術」についてまとめてみました。
・織田信長の性格
・織田信長のOJT教育
・上司にしたい歴史上人物第1位:織田信長
織田信長の性格
織田信長の名言といえば、「泣かないホトトギスは殺してしまう」という、
自分に敵対するのなら寺院でも女・子供がいようとも焼き討ちにするような
残忍で冷酷なイメージがあります。
冷酷無比だと言われている織田信長の本当の性格はどんなものだったのでしょう。
今回はフロイスの記述を基に織田信長の性格を探りながら、「子育ての方法」について考えていきます。
まず織田信長の性格を探るには、イエズス会の宣教師で織田信長とも会見し、
畿内での布教活動を認められて後、信長についても記述のある
「日本史」を残したルイス・フロイス。
ルイス・フロイスによれば、織田信長は「長身、痩躯で、髭は少なく、声は甲高い。
常に武技を好み粗野。酒をほとんど嗜まない」と記されています。
以下はフロイスが岐阜城で信長とはじめて面会したときの様子です。
- 信長が手でちょっと合図をするだけでも、家臣らはきわめて凶暴な獅子の前から
逃れるように、重なりあうようにしてただちに消え去ったといい、
そして信長が内から誰か1人を呼んだだけでも、外で100名がきわめて
抑揚のある声で返事をした。- 信長の報告を伝達するものは、それが徒歩であろうと馬であろうと、
飛ぶか火花が散るように行かねばならない、と言っても差し支えがない。- 家中や被官たちは、信長の顔を見て話す者はおらず、
話をするものは顔を地につけて対応した。
信長の命令は絶対的で即対応しなければならなかったのでしょう。
家臣たちは信長の前では恐怖に支配されていたのでしょうか…。
織田信長はわがままな性格
甲高い声というキーワードから性格を探ると、普段から声のトーンが高い人間は、
基本的にわがままで自己主張が強く、興奮しやすい性格だそうです。
興奮しやすく、自分の考え方をいつも正しいと思うようで、
人にも自分の考え方を押し付けようとする傾向があるようです。
さらにフロイスは信長をこのように評しています。
「正義感と慈悲に関係あることは喜んで実行する男である。」
ちょっと性格が良さそうなことが書かれています。
それに加え、多くの文献の中に信長が庶民や武士などの身分に関わらず
交流があったことも書かれています。
元々、信長は母親が弟ばかりを溺愛したせいか「尾張の大うつけ」と呼ばれるほどで、
幼いころから奇行や奇抜な行動が多く、町の若者と遊んでいたようです。
身分にはこだわらない性格だったのでしょう。
織田信長は他人の意見を聞かない性格
フロイスはさらにこう記しています。
「傲慢で神をも恐れぬ人物で、名誉を重んじることこの上なし。
決断を内に秘め、軽々しく外に表すことがなく、戦術も巧みである。
戦術を立てる際に部下の進言を聞き入れることは滅多にない」
信長さんは、他人の意見は聞かないようです。
あまりにも人の話を聞かな過ぎたことが原因なのか、
教育係の平手政秀は信長の行動を諌めるために切腹したと言われています。
切腹とは過激な説教ですね…..政秀の死は息子と確執があったためとも言われていますが、
とにかく政秀の死を受けて信長は深く悲しみ、菩提を弔うために政秀寺を建立しました。
他にも「すばらしい理解力と明晰な判断力を持ち、神仏やその偶像を軽視し、
卜占など全く意に介さない。他人と語る場合は、その相手が回りくどい説明などすると、
すぐに嫌な顔を見せる」とフロイスは書いています。
神をも恐れず、神仏を軽視していた信長は、自分の意見と合わないものや約束や
規則を破る人が嫌いだったようで、その憎悪は執拗でとても執念深かったようです。
織田信長は優しい性格の持ち主
信長は周囲の人に第六天魔王とは思えないほどの気遣いと、優しさを見せる時があったようです。
フロイスがポルトガルから来たことを告げると年齢やポルトガルと日本の距離、
いつ来たのかなど多くの質問していく中で、「お主の両親は心配していないのか」と
フロイスの両親を気遣う一面も見せています。
信長は楽しいことも大好きだったようで、相撲の大会を開いたり、
安土城をライトアップさせて城下町の人々を楽しませたりと信長自らが主宰・参加して
楽しんでいたようです。
庶民と分け隔てなく戯れ、城下町の人を楽しませ、国籍も問わず家臣に登用し、
好奇心が旺盛でお茶目な一面も持ち合わせているのです。
それでは織田信長の子育て術のお話をします。
織田信長のOJTによる子育て
ご存知の通りOJTは、On -The -Job-Trainingの略です。
すなわち実地訓練・現場教育、実践を通じて多くを学ぶことです。
子育ての対象は、嫡男の信忠です。16歳から武将への育てを開始しました。
現場の積み重ねこそ成長への近道
全体的なことを学ばせるという形を取りました。
間近で見ることができました。
浅井長政の妻・お市は信長の妹と
”肉親の命がかかっていても兵は引けない”ことでした。
しかし明知城は山の中のため、移動中に明知城は武田の手に落ちてしまいました。
しかし、またしても移動中に武田勢に先を越されてしまいました。
信忠にとってもこのような負け戦も学ぶことができました。自分の失敗を見せて育てる。
長島城の一揆軍の攻略。
それは勝って油断したことです。
大きい立場を与え向上心を刺激しろ
レジェンドの丹羽長秀、明智光秀、羽柴秀吉、佐久間信盛、細川藤孝でした。
「ひとまわり大きな立場や責任を与えれば、人はそれを満たすよう育つものだ。
現にわしがそうであったし、わしの部下たちも」
任せたら本当に危ないと思う場面でも任せておくことです。
彼らがそういうふうに新人に対してサポートするのかいう視点です。
上司にしたい歴史上の人物第1位
「皆を引っ張ってくれそう」
1990年代後半から2010年頃までに生まれた若者は近年「Z世代」と呼ばれています。その「Z世代」に第1位として選ばれたのが、織田信長です。
1位の織田信長は「短期で怖い人物」というイメージがありますが、一方で常識に囚われないユニークな性格に「考え方が素敵」「奇抜な考えで皆を引っ張ってくれそう」といった声も多く、強気な姿勢がZ世代には、カリスマ性として映っているようです。
参考に、
1位:織田信長
2位:卑弥呼
3位:坂本龍馬
4位:福沢諭吉
5位:紫式部
6位:徳川家康
7位:野口英世
8位:渋沢栄一
9位:聖徳太子
10位:与謝野晶子
少しでも参考になれば嬉しいです。
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