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織田信長は天下統一を目指した武将であり上司にしたい人物1位

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戦国武将の織田信長、Z世代が選ぶ「上司にしたい歴史上の人物」
ランキングで1位をとったけど、
この織田信長って何かすごいの?」

 

こういった疑問に答えます。

 

上司にしたい歴史上の人物1位は、織田信長

 

中国インターネット検索の「百度」(バイドゥ)の日本法人は、
「Z世代が選ぶ!!上司にしたい歴史上の人物トップ10」を発表しました。
圧倒的なカリスマ性をもつ戦国武将、織田信長が1位となりました。

日本人ならほとんどの方が知っている戦国武将の織田信長ですが、何が凄いのか?
「日本の天下統一果たしたした人」「戦いにめちゃくちゃ強かった人でしょ」
と思っていませんか?

NO! どちらも答えは正しくありません。

確かに天下統一の直前まで登りつめましたが、直前に本能寺の変で討ち取られてしまいます。
負けた合戦も多く、戦国時代の中でずば抜けて強かったわけではありません。

今回の記事では、戦国時代の織田信長の「何がすごかったのか」をまとめてみました。

 

■この記事を読んでわかること

織田信長の子供時代は大のうつけ者

・織田信長は、裏切られやすい人物だった

織田信長の性格と優れた点

・上司にしたい歴史上人物第1位:織田信長

 

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織田信長の子供時代は大の”うつけ者”

子供の頃は、家臣から冷ややかな目でみられていた織田信長。

うつけ者とは、からっぽという意味。転じてぼんやりとした人物や暗愚な人物、常識にはずれた人物を意味します。(尾張は、現在の愛知県西側の旧地名です。)

武士にふさわしくない服装や、人目を気にせずに物を食べながら歩くなど、礼儀作法に欠けていた行動から後継者としてふさわしくないと判断する家臣も多かったようです。

将来一国の後継者が無能だと、家臣の生活にも大きく影響を与えるので、世継ぎ問題には大変シビアに考えていたでしょうね。

現代なら勤めている会社が倒産しても転職できますが、戦国時代の敗北は土地や財産を奪われてしまいます。対照的に、弟の信勝は真面目で行儀がよく、家臣からの評判がとても良い存在でした。のちに織田信長の有能な家来の一人になる柴田勝家も、当時は弟の信勝を後継者として推していました。

一方、父親の織田信秀と隣国の斎藤道三は、織田信長のことをとても評価しており、有能な人物には認められていました。のちに後継者問題で、織田信長は弟の織田信勝との戦いに勝ったことにより次第に信頼を得るようになりました。

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桶狭間の戦い

織田信長は、桶狭間の戦いで今川義元を奇襲して打ち取ることに成功します。

当時の常識として、今川義元を討ち取った兵が一番評価されますが、織田信長の場合はそうではありませんでした。では、織田信長は桶狭間の戦いの戦いで誰をもっとも評価したのか。

それは、今川義元の状態や居場所についての情報を、正確に連絡した伝令者を最も評価したと言われています。

この時代の情報時代、現代と方法は違えど正確な情報がないと攻撃を仕掛けるタイミングを間違えて敗北につながります。今では当たり前のことでも、当時では伝令者を評価することは画期的なことです。

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織田信長は裏切られやすかった人物

織田信長は、時代の変革者だったため、敵の数がとても多かったのも特徴的です。ざっくり分けると、将軍家(足利義昭)と寺社勢力と他の戦国大名を敵にして戦っています。浅井家・朝倉家や武田家、本願寺の一向一揆衆、など。

出る杭はうたれるという言葉がピッタリで、周囲は敵だらけです。

戦国時代なので敵が多くいるのは当然ですが、他の戦国大名と比較してもずば抜けて敵が多い理由としては

  • 新しい政権を作ろうとしていた
  • 既得権益の仕組みを変えようとした

強者が日本を統治するならまだしも、当時は岐阜県と愛知県の領地を手に入れた時点で、新しい政権を作ろうとしたことがわかっています。

そして戦国時代は、なぜ寺社勢力と争っていたのでしょうか?、それは当時のお寺の存在が危険な組織だったのです。

戦国時代のお寺は武装集団

中世時代以降、有力なお寺は僧兵を組織して、時には武力で自分たちの主張を貫いていました。

現代の感覚では、お寺のイメージは仏にお仕えする神聖な組織ですね。

お寺同士の有名な戦いとしては、天文法華の乱です。

天文法華の乱

天文5 (1536) 年7月に山門延暦寺の衆徒が京都法華宗徒を武力で洛外へ追放した事件。室町時代,京都の武家,商工業者の間に法華宗が広まった。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より

織田信長は一方的に宗教や寺社勢力を弾圧していたイメージがありますが、当時は有力な勢力だったのです。

織田信長の性格

織田信長は世間では、残忍なイメージがあります。その理由として

  • 一向一揆衆を滅ぼす
  • 延暦寺の焼き討ち
  • 裏切った浅井長政の頭蓋骨を盃にする

対立していた一向一揆衆の捕虜、延暦寺にいた女性や子供も処刑したことで残忍なイメージがあります。日本の戦国時代や幕末でも、相手の勢力を根絶やしにする話があまりないので、余計目立ってしまうのかもしれません。このように、現代の感覚だと必要以上に殺りくをしていた印象は否定できません。

一方、人間らしい優しいエピソードとしては

  • 秀吉の正室、ねねに優しい手紙を送っていた
  • 勘違いで処刑を命じたけど、間違っていて後から部下に詫びる

ことが挙げられます。

豊富秀吉の正室、ねねが秀吉に対する愚痴を織田信長に言ったところ、

織田信長は「あなたは間違っていない。秀吉が悪い。言いたいことはあるだろうが頑張っていくように」と、ねねに寄り添った手紙を送っています。

また、荒木村重という武将のもとに交渉にいった黒田官兵衛が戻って来ない時のエピソードですが、織田信長は、黒田官兵衛が裏切ったと思いこみ、黒田官兵衛の息子の処刑の命令を秀吉に下します。織田信長は、一度言い出したら聞かないことを知っていた秀吉。

そんな時、竹中半兵衛がとりあえず身代わりをたてて、死んだことにしようとして密かに息子をかくまいます。結果的には、黒田官兵衛は、幽閉されていたので裏切っていないことがわかってから信長が後悔している時に、実は息子は処刑していないことを打ち明け、結果的に信長から評価されました。

織田信長が優れた点

織田信長が他の戦国武将と違い優れていたことは、いくつかあります。

一言で表現するなら、戦いに勝つことだけを重視せず、総合的に見ていたことだと思います。

何が違うのか、いくつかまとめてみました。

安土城の活用方法

戦国時代、城は攻められても守りやすいように作られています。安土城の場合は、守るためだけでなく権威の象徴として作られたと考えられています。

「信長ってすごい武将だ!」「天下統一する力はありそうだ!」と畏怖させることで、他の戦国大名や、公家、寺社勢力、民衆が協力する可能性があります。今は安土城は現存していないので、見ることはできませんが。

経済優先の楽市楽座

先ほど寺社勢力の部分でも話した通り、織田信長は経済を活性化させることに重視していました。

楽市楽座などを領地内で実施します。

具体的には

  • 既存の独占販売権を排除
  • 新しい業者を受け入れる体制作り
  • 通行税を排除
  • 特定の業者の税の免除を排除
  • 種々の特権を有した商工業者のグループをなくす

ことに取り組みます。初めて楽市楽座をしたわけではありませんが、今までの慣習を打ち破ったさきがけの一人です。戦いは合戦だけでなく権利関係に対しても立ち向かい、部分的には成功しています。だからこそ、他の戦国大名よりも敵が多かったかもしれませんね。

新しいことへの挑戦

鉄砲をいち早く戦争に導入する先見の明や、フロイスなどの外国人の意見に積極的に耳を傾ける好奇心が信長にはありました。当時、鉄砲の値段はとても高価、独自に築いたルートで鉄砲を大量に手に入れることに成功します。

他の戦国大名も鉄砲は大事と考えていたと思いますが、早くから興味を持つことや挑戦心があることで鉄砲の保有に成功します。他にも、フロイスから見せられた地球儀によって、地球は丸いことを聞いたときにスッと理解したエピソードも残っています。

好奇心が旺盛だからこそ、新しいことに適合できる考えができるんでしょうね。

 

本能寺の変で織田信長死す

織田信長は、最後に明智光秀によって討ち取られてしまいます。ただ、今でもなぜ家臣の明智光秀によって討ち取られたのか、疑問が多いようです。

織田信長と性格が合わなかった、あるいは領地を召し取られたから、などいくつか要因があるようですが、後日その辺に関しては別の記事でまとめたいと思います。

上司にしたい歴史上の人物第1位

「皆を引っ張ってくれそう」

1990年代後半から2010年頃までに生まれた若者は近年「Z世代」と呼ばれています。その「Z世代」に第1位として選ばれたのが、織田信長です。

1位の織田信長は「短期で怖い人物」というイメージがありますが、一方で常識に囚われないユニークな性格に「考え方が素敵」「奇抜な考えで皆を引っ張ってくれそう」といった声も多く、強気な姿勢がZ世代には、カリスマ性として映っているようです。

参考に、

上司にしたい歴史上の人物ランキング

1位:織田信長

2位:卑弥呼

3位:坂本龍馬

4位:福沢諭吉

5位:紫式部

6位:徳川家康

7位:野口英世

8位:渋沢栄一

9位:聖徳太子

10位:与謝野晶子

 

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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