オニツカタタイガーとアシックスの歴史の違いは?創業者の鬼塚喜八郎の物語

オニツカタタイガーとアシックスの歴史の違いはトレードマークにある?鬼塚喜八郎の物語ビジネス
TOM
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アシックス社の「Onitsuka Tiger(オニツカタイガー)」、スポーツシーンやファッションシーンで欠かせないアイテムとして日本から世界へ販売されていますね。

 

ゆず子
ゆず子

オニツカタイガーというブランド名だけど・・・きっと鬼塚さんという人物が作ったんでしょう?

 

ゆず子
ゆず子

だけど、今はアシックスになっているけど・・「オニツカタイガーとアシックの歴史は?

 

こういった疑問に答えます。

 

2002年、ヨーロッパでレトロシューズが大きなトレンドとなったことを受けて、アシックス社が『オニツカタイガー』ブランドをリバイバル。

2003年にオープンした東京直営店を皮切りに、パリやロンドンなど主要な大都市にショップを展開していきます。東京コレクションにも登場するなどファッションシューズとしてのイメージを強く打ち出し、新生『オニツカタイガー』は広く知られることとなりました。

 

オニツカタタイガーとアシックスの歴史の違いは?創業者の鬼塚喜八郎の物語

 

今回の記事は、「オニツカタイガー」(アシック)の歴史を詳しく解説していきます。また「オニツカタイガー」の木になるモデルを紹介します、ぜひ参考にしてみてください。

 

本記事の要約
  • オニツカタイガーの歴史(鬼塚喜八郎の生い立ち)
  • オニツカタイガーとアベベ(マラソン最強選手)
  • オニツカタイガーの気になるモデルを紹介

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オニツカタイガーの歴史(鬼塚喜八郎の生い立ち)

 

株式会社アシックス 鬼塚 喜八郎

出典:株式会社アシックス 鬼塚 喜八郎 |ニッポンの社長 www.nippon-shacho.com

鬼塚喜八郎は1918年(大正7)年5月29日、鳥取県気高郡明治村(現・鳥取市松上)に3男2女の末っ子として生まれました。

県立鳥取一中(いまの県立鳥取西高)を卒業した喜八郎は姫路の陸軍第十師団に入隊し、喜八郎は少尉となって小隊長を務めていた。戦線が拡大するなか、連隊はビルマ(いまのミャンマー)戦線に派遣されることになります。

出陣3日前、連隊長に呼び出された喜八郎は、事情通だからと「残留」を命じられた。次期連隊長の副官となるためです。

軍の友人の上田から「自分が戻るまで」と、神戸に住む鬼塚清市、福弥夫妻の面倒をみてくれと頼まれました。「わかった、俺に任せろ!」と答えます。

このことが喜八郎の運命を変えます。

聞けば、老夫婦には子どもがなく、上田が面倒をみると約束していたのです。

やがて、終戦を迎え鳥取に戻っていた喜八郎のもとに手紙が届いた。「その日の食べるものがない」と助けを求める鬼塚夫妻からでした。

赤の他人の鬼塚夫妻の借家の2階に同居し、生活を支えます。しかし、友人の上田の戦死します。すると喜八郎は鬼塚夫妻の願いを受け入れて養子になりました。

鬼塚という苗字になった喜八郎は3年間、西井商事という会社で勤務。そして会社を退職し、戦友だった堀公平を訪ねます。

堀は兵庫県教育委員会の体育保健課長をしている。鬼塚は「社会のために役に立つ」事業を考えていました。

堀は重要な言葉を鬼塚に語ります。

『健全なる身体に健全なる精神が宿る』という格言を知っているだろう。人間教育は知識だけではない。徳育、体育、そして知育の3つが総合して完成する。とくに成長期では、スポーツが心身の発達に及ぼす影響は大きい

 

そして鬼塚は堀に尋ねます。

「では、人生をスポーツに捧げ、貢献できるとして、どんな道があるか?」

 

少し考えて、堀は返答しました。

「運動靴を作ってみたらどうか。ほとんどのスポーツをする子どもが靴を欲している。彼らに運動靴を履かせてみないか」

 

オニツカタイガー(鬼塚商会)設立

1949年(昭和24)年3月、30歳の鬼塚は自宅に兵庫県内の学校や官公庁に教材や備品を納入する配給問屋、鬼塚商会を創設します。

靴づくりを一から学ぶため、堀から紹介された長田区の靴メーカー、矢仲ゴム工業に通います。金型や木型のこと、材料の裁断からミシンのかけ方、靴底のゴムの種類など、ほぼ1年かけて工程を学びます。

始まりはバスケットボールシューズ。「一番難しい」と言われたから挑戦しました。滑らないシューズ開発です。

ある日、夕食のおかずのキュウリとタコの入った「タコ酢」がでました。鬼塚はそのタコを見て「これだ!これなら床に吸い付く」。さっそく工場で試行錯誤、吸盤型シューズを完成させて神戸高校に持ち込みます。

確かに滑らなくなりますが、吸引力が効き過ぎて勢いにのった選手たちはみんな転倒。「これではネンザしてしまう」と学校に先生に叱られます。

吸盤の底を浅く、ほどよく止まるバッシュを開発しますが、また難題が起きます。バスケットボール30秒ルールの導入です。クイックターンなどの早い動きに対応するためにまた工夫を続けます。

今回は乗っていたタクシーのアクシデントがヒントになります。急に横道から子どもが飛び出し、運転手があわてて急ブレーキを踏む。鬼塚は前の座席に思いっきり頭を打ち付けた。そのとき、タイヤのきしむ音にヒントを得ます。

「あの音はなんだ。自動車のストップの原理はどうなんだ?」

鬼塚は調べます、それは「煉瓦積みブロックの原理」である。

自動車のタイヤは、摩擦抵抗で発生する熱を放射しやすいように煉瓦を積んだような構造になっていて、急な動きに対応しています。その「煉瓦積みブロック」をシューズに応用するのです。

試作品を手に神戸高校に行きと、先生が絶賛します。「ほんとうにいいものができた。ぜひ普及させてほしい」。

「オニツカタイガー」ブランドのバスケットボールシューズが全国シェアの50%を超え、社業が安定したころ、次のターゲットを「マラソン」。

このオニツカタイガーのマラソンシューズを履いた寺沢徹が1963年別府大分毎日マラソンでアベベの記録を破る世界最高記録をマーク、君原健二は1968年メキシコシティー大会の銀メダルに輝きました。

オニツカタイガーとアシックスの違い

1960年代に入ると『ナイキ』の前身会社であるBRS社が米国での代理店となり、西海岸を中心に大ブームを巻き起こします。しかし、オリンピック景気にも徐々に陰りが見え、業績が悪化します。
1977(昭和52)年7月21日、大阪に本拠を置くスポーツウエアメーカー、「ジィティオ」「ジェレンク」と合併し、「アシックス」として新会社を発足、鬼塚が社長となりました。
社名は堀から聞き、会社創業の理念とした『健全なる身体に健全なる精神が宿る』というラテン語「Mens sana in corpore sano」の「Mens」をより躍動的な「Anima」に置き換え、その頭文字から「A・S・I・C・S(アシックス)」としたのである。
このタイミングでブランドは消滅することとなりました。
鬼塚は2007年(平成19)年9月29日、89歳の人生に幕を下ろしたが、鬼塚の意志を継ぐ後継者たちはいまも日々新たな挑戦を続けています。

オニツカタイガーとアベベの物語

1964年東京オリンピックで2位以下に4分以上の差をつけ、オリンピック2連覇をはたしたエチオピアのマラソン走者アベベ・ビキラ。

アベベ・ビキラは「裸足の王者」と呼ばれました。1960年ローマ大会のマラソンコース、アッピア街道の石畳を裸足で走り抜きます。世界に与えた衝撃の大きさから、「裸足の王者」がアベベの代名詞となったのです。

その「裸足の王者」アベベ・ビキラにシューズを履かせた男がいました。鬼塚喜八郎。世界的なスポーツ用品メーカー、オニツカタイガーの創業者(アシックス)です。

1961年6月15日、毎日マラソン出場のために来日したアベベの宿泊先を訪れ、鬼塚は率直に切り出した。

「あなたをサポートしてシューズをご提供するためにおうかがいしました。このシューズを履いてぜひ優勝してください」

しかし、アベベはやんわりと拒否した。

 

「裸足で走って、何度も優勝してきました。シューズは必要ありません」

 

アベベはシューズを履いたことがないわけではなかった。ローマ大会の前も、シューズを履いて練習したことがあった。しかし、10kmほど走ると足が痛んでペースが落ちた。そこで、コーチのオンニ・ニスカネンと相談して裸足で走ったのだった。

アベベに断られましたが、鬼塚はねばり続けます。当時の整備されていない日本の道路事情を話し、「危険だ」とも言います、アベベはそれでも裸足にこだわりましたが、コーチのニスカネンが間に入って履いてみることに。

鬼塚は「白いオニツカタイガー」をアベベの足に合わせた。オニツカタイガーとは、鬼塚創設のシューズのブランドである。

しかし残念ながら、アベベは毎日マラソンで鬼塚のシューズを履いていませんでした。

また、アベベは1964年東京大会でも鬼塚のシューズは履いていません。

アベベこそ取り逃したが、

鬼塚は1964年東京大会で初めて選手村にサービスショップを出し、各種競技シューズを展示。日本人選手だけではなく、外国人選手の相談にも応じ、ときにシューズを無料提供。

破格の資金をかけた結果、「オニツカタイガー」のシューズを履いた選手たちは金メダル18個、銀16個、銅10個のメダルを獲得。愛用者を増やし、国際的なメーカーへと育っていくのである。

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日本から世界へ。オニツカタイガーの人気スニーカー5選

ナイキ、アディダス、ニューバランスなどなどハイテクスニーカーが隆盛するなかでも、レトロスニーカー人気は衰えていません。特に大人に推奨したいのが、海外でも人気爆発中の復刻ブランド『オニツカタイガー』です。

オニツカタイガーの気になるモデルを紹介しますね。

オニツカタイガーについて理解したところで、ここからは『オニツカタイガー』のクラシックかつ洗練されたスニーカーを紹介します。あなたの足元を輝かせますよ!

メキシコ 66 パラティ

「メキシコ66」がベースとなるモデル。着脱の容易なスリッポンスタイルにアレンジされたリラクシングな作りゆえに、ワンマイルシーンの良き相棒となってくれます。かかとを踏んで着用できる2WAY仕様も魅力的な要素です。アッパーにはふわふわ感としたボアが用いられ、冬らしいムードも演出です。

 

定番作 メキシコ 66

創業者である鬼塚喜八郎氏の生誕100周年を記念し、ブランドの定番作「メキシコ 66」をアップデート。1962年誕生のトレーニング靴をルーツに持つ同作ならではのクラシック感は踏襲しつつ、ヒールウェッジに衝撃吸収性に長けたアンプリフォームを採用することで、機能性を高めています。グリップ性&耐久性に優れるタフなラバーソールも見逃せないポイント。旬なレトロスポーツムードも実用性も、合理的に両得できる1足です。

 

セラーノ

1970年代に誕生した陸上スパイクシューズをベースにした「セラーノ」。薄底の軽快なスタイルが印象的で、前足部分が少し巻き上がったソールの形状も特徴の1つ。また、クッション性に優れた作りとなっており長時間の着用にも向いています。

 

オーボリEX

日本国内での人気はもちろん、欧州や米国での支持率も高い『オニツカタイガー』。先程述べたようにヨーロッパでのレトロスニーカー人気の再燃も海外で売れている大きな理由ですが、世界的なブレイクにもっとも貢献したのはやはり2003年公開の映画『キル・ビル』でしょう。日本を舞台とした同作において、主人公であるユマ・サーマン氏演じるザ・ブライドが『オニツカタイガー』のシューズを着用したことで話題を集めました。

 

デレゲーションEX

1964年に行われた世界的なスポーツの祭典にて、日本代表選手が着用していたモデルからインスパイア。これぞ“ザ・レトラン”といった趣です。見た目こそオールドスクールですが、ミッドソールにはクッション性と反発性を兼ね備えるフライトフォームプロペル、アウトソールには軽量なラバースポンジを用いており、その快適性は抜群!

カリフォルニア 78 EX

レトロなルックスと、現代的な快適な履き心地をMIXさせた大人にうってつけの1足。クラシカルなシャークソールをアップデートして履き心地を向上させつつ、中敷にはオーソライトを採用してクッション性も高めています。

EDR78

1978年に発表されたトレイルランニングスニーカーを基盤とする今作。トゥ&ヒールのダメージをカバーする、巻き上げ式のアウトソールが最大の特徴となっています。また、70’sテイスト満点のオーセンティックな配色も見どころで、着こなしにこなれ感を与えるうえでも効果的。

 

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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