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松下幸之助のなにがすごい?【経営の神様】から学ぶ神次元と自然の法則

ビジネス
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TOM

Panasonicの創業者 松下幸之助。私の人生に影響を与えた方です。

 

突然ですが、このような疑問を感じてはいませんか?

  • 「松下幸之助って何がすごいの? どんな人?」
  • 「松下幸之助って何をした人?」

 

日本にはたくさんの優れた経営者が存在しますが、なかでも群を抜いて高い評価を得ている名経営者が、Panasonicの創業者である松下幸之助氏です。

 

松下幸之助のなにがすごい?【経営の神様】から学ぶ神次元と自然の法則

 

なぜ、松下幸之助氏はこのような偉業を達成できたのでしょうか?
なぜ、松下幸之助は「経営の神様」と呼ばれるほどの経営者になれたのでしょうか?

こんな疑問にお答えします。

日本経済の礎を築き、大企業グループを育てた松下幸之助。

今回の記事ではそんな松下幸之助氏のすごさをまとめました。

 

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松下幸之助 生い立ち

松下幸之助氏は1894年、父・政楠、母・とくの三男(8人兄弟の末っ子)として和歌山市で生まれています。松下氏が生まれたころ松下家は村の旧家で、父親も村会に出たり役場の仕事をしたりと暮らし向きも豊かなほうでした。しかし1899年頃に父親が米相場に失敗、破産したため一家の生活は様変わりすることになったのです。

父親は「手近な収入の道を求めて必死に駆け回り」、兄2人と姉が相次いで病没。松下氏も1904年、尋常小学校の4年で学業を断念し、大阪の火鉢屋に丁稚奉公に出ています。

しかし、火鉢屋が3カ月で店を閉めることになったため、次に自転車店に移り、6年間の奉公を経て1910年に大阪電灯(現・関西電力)に見習工として入社しています。

 

理由はこうでした・・・

 

「(大阪市が計画中の)電車ができたら今に自転車の需要は減るだろう。この反対に電気事業は将来非常に有望だ。ひとつ転業しよう」

 

弱冠16歳ながらしっかりと電気の未来を考えていたのです。
そうして大阪電灯の幸町営業所の内線係として働き始めた松下氏の最初の仕事は、工事担当者のあとから材料を積んだ丁稚車を引いていくというものでした。

松下氏は、それまでは専門家でなければ危険でできなかった電球の取り外しをもっと簡単にしようと、新しい電球ソケットの開発に取り組むようになりました。しかし、そうして完成したソケットは主任から「だめだよこれは」と言われてしまいました。

松下氏はそこで、何とかソケットをものにするために1917年に大阪電灯を退職、独立を決意したのです。

 

 

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松下幸之助の災難を克服する方法

出典:PHP研究所

 

戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は占領政策の一つとして財閥解体を命じ、松下電器(現・Panasonic)も財閥指定を受けました。

当時、松下電器は大企業ではありませんでしたが、事業部制を敷いており、さらにこれを発展させた分社制をとっていたため、GHQには大企業として映ったのです。

GHQは松下家を財閥指定した上で、資産を凍結。松下氏の経営権も剥奪した。

松下氏は追放処分に耐えながら、松下氏の心の中には様々な思いが去来していたでしょう。

 

TOM

この時点までの話から 普通の方でしたら

もう絶望の状態ですよね

何もない、先への不安……

松下幸之助は、この後 松下電器を復活させますが、もうひとつの考えを示します。

これまで順風満帆とまではいかないけれども、売り上げを伸ばし経営を安定させてきた。しかし、親亀がコケたら子亀もこけるように戦争で負けると企業は大打撃を受けます。

世の中がひっくり返ったら会社経営は立ちいかなくなる。だからこそ政治の舵取りはしっかりやらなければならないし、同時に経営者も政治に対し深い関心を持たねばならないそんな思いから 松下氏は政治経済を発展・安定させるために原動力となる組織を構造しました。

それが松下政経塾そしてPHP研究所です。松下幸之助は、自分を深く見つめ、心を磨き、志を立てるという生き様を持っていました。

そこには、小さな欲や私心などは入り込む余地がない。「無欲」こそが生き様の神髄であり、そのような確固とした「大和魂」こそが今の世の中に最も求められているのではないでしょうか?

 

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松下幸之助の龍神は白龍大明神で先祖代々受け継がれている神様

松下家(松下幸之助)は龍神信仰が厚く、松下家、Panasonic本社および関連会社でもそれぞれ龍神を祀っています。

天皇の勅命で雨乞い祈祷をした弘法大師空海は、インド北部の決して水が涸れない池に住む龍神にお出でいただき、3日間、国中に雨を降らせることに成功します。この伝説の龍神こそ「善女龍王(ぜんにょりゅうおう)」です。

大昔は、国家が雨を降らせる力にすがったのは豊作のため。善女龍王の本質的なご利益は「五穀豊穣」で、物質的に豊かな暮らしを支援します。

善女龍王を信仰した人物といえば、松下幸之助翁で、「光雲荘(こううんそう)」に祭られました。 西宮市にあった光雲荘は、枚方市に移築され、パナソニックの研修施設です。

Panasonicの守護神は本社の白龍大明神を中心にして、青・黄・赤・黒の各龍神と下天龍王とが祀られています。

各地の各事業所に百三十余の分社があります。

 

 

松下幸之助の根源の社

 

本社創業の森(他2箇所)に「根源の社」(こんげんのやしろ)があります。

この根源の社を話す前に、さらに松下幸之助の本質にせまっていきたいと思います。

みなさんの中に この本を読んだ方がいるかもしれませんが、「人間を考える 新しい人間観の提唱、真の人間道を求めて」(19752PHP研究所より刊行された)

この著書の序章〜第4章までの内容が、あの大企業を生み出した松下幸之助の本質の一部分ではないかと思います。

事業経営を考える前に、その源流をだとっていきます。

事業人間自然地球宇宙

また、 私も愛読している「実践経営哲学」19786PHP研究所より刊行された)においても松下幸之助翁は、こう述べています。

 

「正しい経営理念というものは、単に経営者個人の主観的なものではなく、その根底には自然の理法、社会の理法といったものがなくてはいけない。。。。。。。この大自然、大宇宙は無限の過去から無限の未来に渡って絶えざる生成発展を続けていけるのであり その中にあって、人間社会、人間の共同生活も物心両面にわたって限りなく発展してくのもだと思う。そういう生成発展という理法が、この宇宙この社会の中に働いている、その中でわれわれは事業経営を行っている、こういう考えを基礎に置いて私自身の経営理念を生み出してきているわけである」。

松下幸之助翁:「わしのような なんも恵まれておらんかった者が、一応成功をしたということは不思議やろ!」。。。「正直言うと、なぜこうなったのは 本当のところ わしにもわからんのや???」

 

松下幸之助はあるとき、これは自分を存在させてくれたものに感謝しなければいけないと考えました。

誰が自分を存在させてくれたのか? 生んでくれた両親、 そのしてその両親 そのまた両親。。。。どんどん考えていくと。。。。。始祖。。。。。。自然。。。。地球。。。。。宇宙。宇宙への感謝となっていったのです。

松下幸之助翁:「ずいぶん あれやこれやと思いをめぐらした結果、人間は宇宙の根源から、その力によって生み出されたんやと。 うん 突然そうひらいめいた」

「その根源をたどれば、初めての人間を通り越して宇宙の根源までいける。そうすると「ここに存在できていること」への感謝の想いは、実はこの宇宙の根源に対してでなければいけないということになる」

 

そこで、昭和37(1962)418日 根源社(こんげんのやしろ) 自らヒノキの板に「根源」と墨書きし、自分自身の神様をつくりだしました。

 

「宇宙根源の力は、万物を存在せしめ それらが生成発展する根源となるものがあります」

 

と述べています。

 

松下幸之助は「感謝」が基本姿勢

松下幸之助氏:「感謝の念ということは、これは人間にとって非常に大切なものですね」「見方によれば 全て人間の幸福なり喜びを生み出す根源とも言えるのが、感謝の心だと言えるでしょうかね。 したがって感謝のないところからは、決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は人間は不幸になるということですな!」

「感謝の心が高まれば高まるほどそれに正比例して幸福感が高まっていく」

「根源に対する祈念は 同時に祖先への祈念になる」「常にその存在を忘れず感謝と祈念のまことを捧げるための象徴としてここにこの社を設ける」と述べています。

松下幸之助は、時折この根源様の前で、瞑想し、祈りを捧げることが多かったといいます。

では 彼は この根源様の前で何を思い考えていたのでしょうか!!?

 

<ここからは私の考察です>

 

瞑想する・・・目に見えない世界の「大なる存在」とつながり 自身の「内なる存在」と調和していた。調和することで、事業あらゆることに対して、直感・インスピレーションを受け取っていたのではないでしょか。

ある物事に対する判断をしていた。根源に立ち返りそれは正しいのか?自身の感情をも確認していた。そこから判断して実行していけば間違えることはない。

すべて自分自身に起こる事、周りに起きている現象は、宇宙の根源という理法に沿っていればいい。抵抗せず 受け入れ 身をまかせる。

個人として、落ち込んだ時 迷った時、悩んだ時、怒った時など 自身の羅針盤として 根源様と向かい合い 本当の自分(内なる存在)と調和していたのでしょう。

感謝の祈念、素直な心・・・

松下幸之助は「その根源の力にひとつの決まりがある。それが自然の理法というもんや。そしてその力には宇宙万物すべてを生成発展せしめる力がある」と話しています。

 

松下幸之助:「まぁ わしはそういうようなことをみずから考えならが今日までやってきた。宇宙万物自然というものがわたしの先生でもあったわけやなぁ」

「わしの経営についての考え方は、経営というひとつの枠の中だけで考えたのではない。わしはいつもその枠を越えて、宇宙とか自然とかそういうものに考えを及ぼし、そこで得られたわしなりの結論を経営に応用したんや!」


松下氏は、つねに宇宙の本質とは、自然の本質とはなにか、人間の本質とはなにかを考え続けていました。

 

松下幸之助のほんとうの素直な心とは

松下氏の言う「素直な心」について考えていきたいと思います。

この「素直な心」を間違って解釈しているかもしれませんので、私の考えをお話しします。

彼の言う「素直な心」とは、人の言うことをに何でも「ハイハイ」と聞き 答えということを言っているのではないと思います。

無邪気な心・子供のような心のことでもありません。

松下幸之助氏:「ほんとうの素直さとは 自然の理法に対して すなわち本来の正しさに対して 素直であると そういうことや」

 

・・・・・?わかりにいくと思いますので、

私が考える意味は、「ほんとうの素直な心とは、今の常識・信念・観念にとらわれない、執着しない 自由な心」だと思っています。

 

松下幸之助氏:「自然の理法に従うというたけどな それは自然の理法に従っておけば それだけで ただなにもせんでええということではないんや それ きみ わかるやろ」

 

・・・・わからない?・・・ので私の解釈は、

自然の理法は やるべきことをやっている。お日様は朝には東から出て 夕方に西に沈む。 春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る。土の中から芽が出て、花が咲いて、枯れていく。

人間もやるべきこと なすべきことをきちんとやれるかどうか!

 

 

松下幸之助の自然の理法に従うとは?

人生を日々生きていくなかで色々な出来事が起きます。うれしい出来事 楽しい出来事 悲しい出来事 辛い出来事・・・思い悩む 心が落ち込む 不安・恐れが出た時、宇宙・自然を感じてみることです。

 

松下幸之助氏:「わしは学校を出ていないから、きみたちのように学問や知識を頼りにすることはできんかった。 世間の人たちの言うことも、いったいどれが正しいのか 判断できない場合が多かった。 それでわしはなにをひとつの拠りところにしたかと言うと この宇宙・自然とか つまり万物というか そういうものやったな」

 

目の前に起きた出来事 どんな状況に直面しても すぐに反応せず 思考を鎮め 心をおちつかせ 宇宙・自然に意識して静かに観察していればいい。そうすれば おのずと答えは出ます。

 

松下幸之助氏:「考えてみれば この宇宙に存在する一切のものが 自然の理法に従って おのれにとらわれず、それぞれの行動をしておるんや 人間も宇宙自然の存在ならば同じように自然の理法に従って 自分にとらわれず考え 行動しないといかん」

 

そうなんです。宇宙・自然には「枠」がないのです。また「善悪」もない。よって私たち人間も「枠」はないのです。

そのように生きればいいんです!

 

松下幸之助氏:「自然の理法とはなにかということは、ようわからんけど 万物を万物たらしめている力、あるいは法則といったもんやろうな。水が高いところから低いところへ流れるもの、物が上から下へ落ちるもの、まあ、自然の理法というもんやろう」

「そういう理法が厳然としてこの宇宙万物に働いておる。そういう自然の理法というものの特質とはなにかと言えば、それは生成発展ということだと、わしは思っておるんや」

 

この自然界を見ると、水は川を流れ 海に入り 蒸発して雲になり、雨になって また川を流れる

冬には水は雪になり 山に積もり 春になると雪が溶けて 水になり 川に流れる

植物も種から芽が出て、花が咲き 実になって また種になる。

人間も同じく 生まれ やがて死んでいく・・・という循環によって存在しています。

自然の理法を違う焦点で見れば、「循環の理法」とも言えます。

宇宙万物のすべては 循環によって存在して 動いてる・・・これが「自然の理法」ではないでしょうか!?

 

まとめ

松下氏は、「自然の理法は、いっさいのものを生成発展させる力を持っている」と考えた。だから、素直な心になって自然の理法に従っていれば、うまくいく。

世の中は成功するようになっていると語っています。

自分がそういう宇宙根源から、そして人間の始祖から連綿とつながっていると思えば、おのずと自分の値打ちの重さを感じる。そう感じれば、おのずと自分の人間としての重さを自覚する。そして、感謝の念が湧いてくる。

この感謝の気持ちを持ちながら、日々をすごすことが大切だと思うのである。

松下氏の毎日は感謝の日々であったといっても言い過ぎではない。それでもなお、感謝の思いが足らないと言って反省することが多かったのです。

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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