学ぶのに遅いということはありません。遅咲きの天才(遅咲きの成功者)というのは、歴史を調べてみれば、多く存在していました。
「遅咲きで成功した人の特徴は?失敗の連続から多くのことに挑戦してうまく行った人ってどういう人なの?」
こういった疑問に答えます。
30代、40代、またはもっと年齢を重ねていたとしても、新しいことを始めるために勇気を出して第一歩を踏み出したならば、そこから成功者として名を馳せることは充分に可能です。
もちろん、「何かを極めるのにおいて、学習のスタートが早いほど有利(歳が若いほど有利)」という話はよく耳にします。
さらに、忙しい日々に身も心も疲れ果てているビジネスマンでは、「今さら自分が新しいことを始めるなんて無謀だよな〜」と、挑戦せずして夢を諦めてしまいがち…。
人生いろいろあったけど遅咲きでも成功させた高齢者たちから学ぶ生きる力
過去に成功した偉人や創業者も、全員が最初から成功したわけではありません。
成功者で有名人はたくさんいます、例えば孫正義、スティーブ・ジョブズ、松下幸之助など色んな成功者は現在でも過去でも存在します。
ですが、皆が事業などのアクションを起こして、すぐ成功したのかと言われれば、そうではありません。
今回の記事は、遅咲き成功した偉人・有名人の方をまとめてみました。
日清食品とカップヌードルの生みの親は安藤百福、48歳からの遅咲き人生開花
目標を持ったら、あとは執念だ。
安藤百福 pic.twitter.com/W8d0Ofa3wc— 前向きな言葉 (@maemukikotoba1) April 28, 2022
47才でチキンラーメンを発明した日清食品の創業者。NHKの朝ドラのテーマにもなった、チキンラーメンの創業者、安藤百福氏。
当時はテレビ放送の影響で、チキンラーメンの売り上げが伸びて売り切れになった店もあるそうです。
安藤百福氏は、もともとメリヤスなどの織物の貿易をして成功をおさめていましたが、太平洋戦争なの混乱やトラブルに巻き込まれ、40代後半に家に閉じこもります。そして、家庭でも手軽に食べられるために、1年間ラーメン作りの研究に取り組みます。
安藤百福氏の凄い点は以下です。
- 過去の成功にしがみつかない
- 戦争で仕事が不安定でも情勢に合わせて対応
- 仕事を選ぶ理由が素敵すぎる
ラーメンを作る前は、栄養についての研究もしていたので全くの素人ではないかもしれませんが
50才になる前に、当時誰も見向きもしない分野に、エネルキーを注ぎ込む情熱や先見性が凄い!
ケンタッキー のカーネルサンダース は失敗から這い上がったおじいちゃん
父親はサンダースが6歳のときに亡くなり、母親が工場で働きながらサンダースとその弟妹を育てた。サンダースは10歳から農場に働きに出ている。学校は14歳で辞め、農場の手伝いや市電の車掌として働いていました。
このケンタッキー・フライド・チキン事業が成功するまでに40以上の職を転々としたそうです。
自分でも事業を何度か立ち上げますが、そこでもことごとく失敗に終わります。
70歳近くなったカーネルは、車1台で全米中を走り回り、レストランなどでフライドチキンのレシピノウハウを実演してフランチャイズ契約を得るための旅に出ます。
この営業活動でも断られ続け、その数なんと「1009回」にも達したそうです。
負けてもへこたれない不屈の精神がケンタッキー・フライド・チキンを作っていったんですね。
ケンタッキー のカーネルサンダース は失敗から這い上がったおじいちゃん
マクドナルドの創業者「レイクロック」に学ぶビジネス成功への道【ハンバーガー帝国の礎】
7月20日すいようび#ハンバーガーの日
1971年7月20日、日本1号店となるマクドナルド 銀座店がオープンしたことにちなんで記念日に関する映画は『#ファウンダーハンバーガー帝国のヒミツ』
1954年アメリカ。52歳のレイ・クロックは、シェイクミキサーのセールスマンとして中西部を回っていた pic.twitter.com/biMXNzgy14— ☘ 𝔰𝔦𝔭𝔥𝔬𝔫 ☘ (@Siphon_Drip) July 19, 2022
1954年 「レイ・クロック」というおじいちゃんは、アメリカで”マルチ・ミキサー” ミルクシェイクが5杯いっぺんに作れる電動ミキサーを販売していました。
どこに行っても、シェイクがそんなに売れるものじゃないため、「ひとつで十分だよ」とか言われましたが、「これでいっぺんに5杯作ったら、どんなに凄いことになるか想像してみてください!どんどんお客が来ますよ!」売り込んだが、店の人は「在庫が残るだけだ」と言って冷たくあしらっていて全然売れませんでした。
売れなくて売れなくて困っている時に、いきなり電話がかかってきて、カルフォルニアのお店が8台売って欲しいと連絡がありました。1台売るのに苦労していたのに、一つの店で8台もマルチ・ミキサーの注文を受けました。
「ちょっと待てよ?」1台のミキサーで5杯作れるのに、8台ということはその店はミルクシェイクを40杯 常に作るぐらい繁盛しているのか!?
レイ・クロックさんが初めてマクドナルド兄弟のハンバーガーショップに行ったら、もの凄く清潔で店全体がガラス張りで厨房まで全部見える。またゴミやタバコのひとつも落ちていませんでした。
それまでのハンバーガーショップは、厨房を徹底的に隠していましたが厨房が全部見えて、スタッフ全員がもの凄くダンスしているみたいに美しく動いていて、凄く長い行列ができている店でした。
「これだったら確かにゴミも出ない!凄いわ!」とレイ・クロックは思って「こいつらと一緒に商売したい!」と考えたわけです。
レイ・クロックは「頼むから一度晩御飯を一緒に食べよう!」二人の兄弟を誘って、どんな風に店を作ったのか?というような、この店のメイキングみたいな話を聞くのです。
マクドナルドの創業者「レイクロック」に学ぶビジネス成功への道【ハンバーガー帝国の礎】
日本地図はマップがない時代に伊能忠敬が作った日本最初の伊能図【大河への道】
もう270年前の話です・・・江戸時代の延享2年(1745年)、現在の千葉県九十九里浜の真ん中、上総国山辺郡小関村に、のちの伊能忠敬は生まれました。
忠敬は50歳で隠居し、翌年=寛政7年(1795年)に、江戸に遊学、日本一の数学者と言われた、徳川幕府天文方の高橋作左衛門至時の門弟となりました。
忠敬は実は若い頃から和算に興味を持っていて、残りの人生を今でいう天文学・数学の研究に費やそうと考えました。
天文学とそれに結びついた科学的な測地法、その基礎となる「平面三角法」「球面三角法」などの高等数学を懸命に学びました。
正午の太陽の高さを測り、夕方の星の観測を欠かさず、一般人ならとてもできそうもない面倒な計算を根気強く続けました。
忠敬は1年間を使って、芝・丸山で斜面測量の実習を実施。江戸中を歩きまわっては、歩測の訓練を積みました。
寛政12年、56歳になった忠敬はついに蝦夷(現・北海道)へ向かいます。
日本地図はマップがない時代に伊能忠敬が作った日本最初の伊能図【大河への道】
おばあちゃん80歳和田京子は起業し年商5億円を達成!でもそのお金どうするの?
「79歳で宅地建物取引士(宅建)の資格を取得、80歳で不動産会社を起業」
御年87歳。80歳で起業する前は、教師だった旦那さんを支え、一男一女を育て上げた専業主婦でした。
和田さんは77歳のとき、10年間の介護の末、夫を自宅で看取りました。張り詰めていた糸がプッンと切れ、何をするにも気持ちが入らず、家で寝て過ごす毎日でした。
そんな京子さんを孫の昌俊さんが見かねて「何か好きなことを勉強してみたら」と勧めたといいます。
そこで思い付いたのは「宅建」の勉強だった。もともと家に興味があり、大工になりたいと思っていたほど。書店で宅建の本をみつけて開いてみたらおもしろくて一気読み。宅建は国家資格、働く、働かないは別として勉強するなら宅建に限ると思ったそうです。
そして娘さんの勧めもあり、宅建の資格を取るため、東京・水道橋にある専門学校に入学。宅建の資格を取る条件は、日本国籍以外に何もないということ。年齢制限もないのです。それから半年間、20歳代のクラスメイトと一緒に机を並べて猛勉強。
宅建試験を猛勉強して1年、合格率16%ほどの宅建の資格試験に79歳で合格。女性最高齢宅建合格者として専門学校から表彰されました。
80歳から不動産会社に就職しようと思い、生まれて初めて履歴書を書いたが、生年月日を書いたところでふと気がつきます。「どこの会社が80歳のおばあちゃんを雇ってくれる?職歴には“主婦55年“としか書けない。せっかく得た資格を活かすなら起業するしかない」と決意しました。
おばあちゃん80歳和田京子は起業し年商5億円を達成!でもそのお金どうするの?
人生いろいろあったけど遅咲きでも成功させた高齢者たちから学ぶ生きる力
今回の記事は、人生いろいろあったけど、遅咲きで成功した偉人5名を紹介しましたが、最後の彼らがどうやって成功したのかをまとめてみましたので、あなたの人生へのヒントになれば幸いです。
あきらめが悪いし無鉄砲な性格
決めたことに対して異常に、あきらめが悪い点です。特に戦前から生きている人は、七転び八起きどころか、10回以上転んでもへこたれない強靭な精神力です。
あきらめが悪い上に、失敗したらどうしようという、守りの考えもあまりないように思います。
将来の市場の需要に焦点を当てている
これらの創業者が、これからの世の中に需要があると予測し、あったら便利という点を考えてニーズを押さえていることです。
事業として会社を飛躍させた創業者は、まだ誰もしていないことに挑戦する、もしくはライバルが強くない業界に進出して成功しています。
好奇心が旺盛で挑戦することが大好き
日清食品の創業者の例もそうですが、飛躍したも企業は、とにかく研究熱心です。
一般的な感覚として、研究していけそうと思ってから事業をするのが手順だと思いますが、行動をしながら新しいテーマの研究をする、しかも成功するかわからないのに取り組む探究心。
資金や知識の習得の速さなどの問題で、失敗した企業もたくさんあったでしょう、一概に言えないかもしれませんが、飛躍するための確率は格段に上がると思います。
さぁ!元気を出して あなたもチャレンジしよう!
30代、40代、またはもっと年齢を重ねていたとしても、新しいことを始めるために勇気を出して第一歩を踏み出したならば、そこから成功者として名を馳せることは充分に可能です。
まとめ
世の中には「遅咲き」の人たちがいる。遅咲きで生きるのは、とてももどかしい。仲間たちが出世したり、活躍したりするのを横目に、ひたすら地道な努力を続けなければいけない。
しかし彼らは、壁にぶつかりながら色々試し、自分がどういう人間で、何を求めて生きているかを深く理解するようになる。そうして手にした成功は長続きする。
コメント
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