
過去の歴史の中で商売で成功した人は、
何がきっかけで大きく飛躍したんでしょうか?
そんな疑問について、一代で身を起こして成功した商人の、
共通点や秘密などをまとめてみました。
結論:
当時の権力者に自分をアピール
ピンチをチャンスと捉えた知恵の河村瑞賢
仕入れ金のやりくり上手な三井高利
リスクを受け入れた伊藤忠兵衛、安田善次郎
江戸時代の商人たちは、現代のビジネスにも通じる革新的な手法や理念を持ち、
数々の成功を収めました。
彼らの知恵と行動から、現代の私たちが学べることは多くあります。
本記事では、江戸時代の商人たちの成功事例を通じて、ビジネスの本質や成功の秘訣を探ります。
岩を動かして評価を得た商人、淀屋常安
淀屋常安
淀屋言当
豊臣秀吉
淀屋橋
大阪 pic.twitter.com/Va3acDNF2l— 門真チック天国 !💙 (@q5VhGAh9n4zA51A) October 8, 2019
人が注目している場で成果を出した商人、淀屋常安(よどやじょうあん)。
今から約450年前、豊臣秀吉が京都の伏見に城を構えるために大工が工事をしている時、
大きな岩が横たわっていて工事の妨げになっていました。
岩の存在が邪魔になり、工事が進まなくなっていたのです。
そこで土木業者を集めて撤去しようと思っていたが、なかなかうまくいきません。
そのため、豊臣秀吉は岩を退かせるため、入札制で土木業者を探しました。
その募集に名乗りをあげて成功し、名を知らしめたのが淀屋常安。
元々は武士でしたが、材木商に新規参入して名乗りをあげました。
最初は街の小さな工務店くらいの規模だったのでしょう。
当時、入札に参加した業者達は岩を遠くに動かすことを考えていたが、
そのためには人数や時間がかかると計算していました。
一方、岩を動かすための淀屋常安の入札費用は、他の業者の価格と比較して約10分の1です。
「そんなの無理だ、できるわけない」
土木に関係する業者達は、皆思ったことでしょう。
淀屋常安は岩の近くに穴を開けて、てこの原理で入れるだけという発想で、
無事に任務を遂行し話題になりました。
遠くに岩を動かすのではなく、ただ埋めるというだけの単純な発想。
言われると当たり前の話しかもしれませんが、当時は皆思いつかなかったようです。
土木業者としてまだまだ業界の経験がない中、淀屋常安はあえて大きいことに挑戦したことが、そのあとの運命を大きく変えます。
これがきっかけで時の権力者、豊富秀吉に気に入られて、どんどん仕事が舞い込みます。
コツコツと実績を積むことも大事ですが、一世一代の勝負をすることの重要性を感じるエピソードです。
最盛期には、日本一のお金持ちになったとも言われています。
大阪にある淀屋橋は、淀屋常安の2代目が作ったことでも知られています。
ピンチをチャンスに変えた河村瑞賢
【今日の墓碑銘】
1699年7月12日。河村瑞賢が死去。江戸時代の商人。貧農の家に生まれ12歳のとき江戸に出た。明暦の大火の際に木曽福島の材木を買い占め莫大な富を築く。幕命により奥州米を江戸・大坂へ運ぶ東廻海運と西廻海運を開拓。淀川治水のために安治川開削も手がけた
(81歳・病死) #生寄死帰 pic.twitter.com/81m4gq9Fbb— 義視🧬 (@kamo1868) July 11, 2019
河村瑞賢は、江戸時代の大火「明暦の大火」の際、材木を大量に買い占め、
復興需要を見越して莫大な利益を得ました。
さらに、東廻海運や西廻海運の整備、淀川の治水事業など、
インフラ整備にも尽力し、商人としてだけでなく、社会貢献者としても名を残しました。
革新的な販売手法を導入した三井高利
越後屋の創業者、三井高利。
三井高利生誕400年記念事業https://t.co/5V5Ybzofml
三井グループの祖・三井高利の記念の年、高利が生まれ育った三重県松阪市(10月30日)、呉服店を開業した東京・日本橋(11月19日)と京都(10月8日)の三か所で、記念シンポジウム・講演会が開催されます。
詳細とお申し込みは上記リンク先から。 pic.twitter.com/FDNoG7zoqi
— 三重の文化 (@miebunka) October 3, 2022
三井高利は、呉服店「越後屋」を創業し、「現金掛け値なし」の販売方法や、
反物の切り売り、仕立ての即日対応など、顧客のニーズに応える
革新的なサービスを提供しました。
これらの手法は、現代の小売業にも通じる顧客志向のビジネスモデルの先駆けと言えます。
リスクを受け入れて挑戦した商人、伊藤忠兵衛
本日の日経新聞に掲載の伊藤忠商事様の新聞広告にイラストを提供しました。今日から理念を新たに「三方よし」に。その祖となる初代伊藤忠兵衛さんの15歳の肖像です。背景は菜の花ばたけのイメージです、今の世相にこういう明るい色を使えたのはとても良かったです。 pic.twitter.com/bED0SepX9y
— 平井 利和 information (@rairai0516) April 1, 2020
伊藤忠兵衛は、幕末の政情不安の中、戦地である長州藩に赴き、
反物を販売して利益を上げました。
危険を伴う行動でしたが、他の商人が避ける中での挑戦が成功をもたらしました。
このようなリスクを恐れず行動する姿勢は、現代の起業家精神にも通じます。
ポイント
当時の権力者に自分をアピール
ピンチをチャンスと捉えた知恵の河村瑞賢
仕入れ金のやりくり上手な三井高利
リスクを受け入れた伊藤忠兵衛、安田善次郎
飛躍した商人の共通点
作り手でなく、圧倒的に商人出身が多い
現代なら自動車や家電メーカーなど大きい会社がありますが、
江戸時代に名をあげた商人や豪商と呼ばれる人々は、ほとんど職人出身ではありません。
江戸時代は、仕入れたものを販売する商人が、大きく飛躍しています。
何を作るべきか知るのに、情報量が少ない、人脈をある程度築いてからでないと取引させてもらえないなど、
作り手が直接販売する仕組みを構築するのは、難しかったかもしれません。
大きく商人として成功した分野としては、呉服屋、金融屋、行商人(貿易)があげられます。
選んだ仕事である程度、富裕層になるのかどうかは歴史が物語っていると、私は思います。
どこかで一度、名乗りをあげて大きな勝負を仕掛けている
大きく飛躍する人は、今ならツイッターやネットの口コミで拡散されて有名になって成功する人もいますが
昔は、待っているだけでは誰も人は集まりません。
また、ここぞという場面では、惜しみなく1つに集中して資金を使って投資しています。
当たり前の話しですが、局面で勝負を仕掛けて商才を試すことは、重要だといえます。
新しい取り組みに積極的
新しい販売方法を構築した三井高利、材木を買い占めた河村瑞軒も、他の人が当時しなかったことを取り組んで成功しています。
まとめ:顧客との信頼関係を重視した商人たち
江戸時代の商人たちは、顧客との信頼関係を何よりも重視しました。
火事の際には、顧客台帳を井戸に投げ入れて守るほど、
顧客情報を大切にしていました。
この姿勢は、現代のCRM(顧客関係管理)にも通じる考え方です。
少しでも参考になれば嬉しいです。
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