ビートたけしの師匠・深見千三郎──
幻の浅草芸人が遺した「笑わせる力」
「ビートたけしに師匠がいた?」
「どんな人だったの?」
そんな疑問に応えるべく、今回はビートたけしが
「人生を変えられた」と語る、浅草の伝説・深見千三郎
についてご紹介します。
浅草の舞台に人生を捧げた男、深見千三郎
深見千三郎(本名:久保七十二)は1923年、
北海道浜頓別町に生まれ、樺太で育ちました。
若くして姉を頼り上京、浅草六区の劇場街に出入りする中で、
芸人の世界に魅せられます。
憧れたのは、タップダンスの巨匠フレッド・アステア。
舞台に立つ夢を追い、タップを習得します。
一時は時代劇スター片岡千恵蔵のもとで映画に出演し、
芸名もそこから「深見千三郎」と名乗ることに。
しかし、戦時中、軍需工場で大事故に遭い、
左手の指を失うという大きな不運に見舞われます。
それでも彼は諦めませんでした。
戦後、浅草で『深見千三郎一座』を結成。全国を巡り、
1959年に浅草ロック座に戻ってきます。
テレビ時代に流れることなく、あくまで「生の舞台」にこだわり続けた芸人でした。
萩本欽一、ツービート、長門勇や東八郎などの師匠
「最後の弟子」北野武──運命の出会い
1972年、若き日の北野武(後のビートたけし)は、
フランス座のエレベーターボーイとして働き始めます。
深見は、最初は口も聞かなかった北野武に、こう言い放ちました。
「芸人は芸以外のことで金をもらうな。
暇なときはタップダンスでもギターでも、本でも読め!」
深見は舞台の上だけでなく、楽屋や飲み屋でも、
たけしに「笑いとは何か」「芸人の覚悟とは何か」を叩き込みました。
タップダンス
コントの立ち回り
客との間合い
そして何より「笑わせるために生きろ」という姿勢
全てを、実践(OJT)で教えたのです。
舞台上の「生きた教科書」
深見とたけしが共演した「田舎者を騙すポン引きコント」──
深見は、芝居の呼吸、間合い、立ち位置を厳しく指導しました。
「そんなデカい声のポン引きがいるか、バカ野郎!」
「寄るな、広い舞台だ、距離を取れ!」
怒号の裏にある深い愛情。
それに応えようと必死だったたけしは、
ここで芸人としての「基礎」を叩き込まれたのです。
深見千三郎の定番コント
たけしは師匠の深見のコントを見ながら芸の勉強をしてきます。
田舎の男を浅草のポン引きが騙すという定番コント。
深見演じる農協の副組合長、「おお、忙しい、忙しい、
農協の副組合長ってのは大変だ!」と言いながら舞台を行き来していると、
袖から浅草のポン引きが現れてます。
「旦那、旦那!」と声を掛ける。ここから二人の掛け合いです。
「なんだ、さっきから旦那!、旦那って」「どうですか、これ!」ポン引きが小指を立てます。
「これって、小指どうすんだ、舐めんなよ春日部を!」
浅草は東武伊勢崎線が通っており、何故か春日部という駅名が語呂なのかリズムなのか、
コントによく使われる場所の名前です。
「いや、春日部の旦那、指じゃなくて女です、どうですか?」
「おい、俺は只の春日部じゃないぞ、春日部農協の副組合長だ」
「え!副組合長?じゃ特別に色々用意させますんで、何でもやります」
「舐めるんじゃねぇ、だてに春日部から来たわけじゃねぇ、
今回は世界副組合長会議、俺が代表で春日部から出て来たんだ!」
こんな感じで見事な掛け合いコントでした。フランス座ではよくやるネタですが、
このネタを後でたけしと深見でやることになります。
たけしは二人の舞台を見終わった後考えます。深見のアドリブなど見れば
間抜けな知識人なんかより優れている。
色々な知識をえなきゃ売れるわけない!自分のあらゆる未熟さを思い知らされました。
芸人とは「笑われる」存在ではない。「笑わせる」存在であれ!
深見はたけしに、飲み屋でも説き続けました。
舞台でもう深見が「おお、忙しい、忙しい・・・」と
たけしのポン引きの声を待ています。たけしは夢中で「旦那、旦那」と大きな声で呼びかけます。
「何だ、そんなデカい声出して、皆にバレるだろう。ポン引きか?
そんなデカい声のポン引きがいるか?馬鹿野郎」すかさず深見がたけしの芝居を直しながらネタを引っ張っていきます。
「どうです旦那、コレ!」と言ってたけしが近づくと、
「寄るんじゃねぇ、ここは広いんだ、近づくな、距離を取って話せ」・・・
とまた芝居をしながら立ち位置を教えます。
もう全部が実践コント教室でした。
また、深見はチャンバラコントを教えます。刀を持ったことがなかったたけしですが、
深見のお陰でどうにか斬られ役ぐらいには形ができるようになります。
その後、たけしは深見の指示で、何回もこの「田舎の男を浅草のポン引きが騙すという定番コント」を反復練習をします。師匠の深見はやっとたけしを褒めてくれます。
たけしはコントで大事なのは場の雰囲気を作ること、自分が乗ること。
少し分かってきました。
出たり入ったりが忙しいないフランス座でまた芸人がいなくなったある日、
深見が「おいタケ、俺が昔やってたネタ教えてやる」とコントのメイクを始めました。
深見は舞台に出るとき必ずドーランで化粧をします。しないたけしはいつも怒られます。
コントの大筋は、モテない二人がどうにかして女のパンツを覗こうとする
ストリップ劇場の定番コント。
たけしははじめてのコントを何とかアドリブでこなします。
深見はたけしの芝居は気に入ったようでした。それから二人のコントが暫く続きました。
たけしはこの時期、芸人の基本を教えてもらった
一番重要な時間だったと振り返っています。
この頃からたけしは深見に飲みに連れて行ってもらうようになります。最初は寿司屋。
「おいタケ、何か頼め!」と言われ「ゲソお願いします!」と注文したら
「おいタケ、いつもお笑いのことを考えとけ!俺が何を食う?と聞いたら!
お前は何で人の懐考えるんだ、恥ずかしいだろう。トロと言え!俺がすぐゲソと言って『コノやろう、俺より良いもの頼むな!』
と笑いを取ろうと思ったんだから」凄く叱られます。
コレはコメディアンの生き方の基本、いつも笑わセルことを考えろ!と。
たけしは、こういうところは色々な場で教え込まれます。
深見とたけしのコントは、乞食、天丼、犯人違い、とか色々こなしていきました。
深見はたけしに言います「皆、焦って売れないんだよ。
芸もないのにすぐにテレビやラジオに出たがる。
ちゃんと修行しないと、売れてもすぐに人気なくなるぞ!タケ!」
やがてたけしは兼子二郎(ビートきよし)と組んで漫才を始める。
深見は漫才という芸を認めず、彼らがフランス座を飛び出すと、怒って出入り禁止にした。
たけしは映画の原作である「浅草キッド」(新潮文庫)の中で次のように書いている。
〈「笑われてやるんじゃなくて、笑わしてやるんだ」という
深見千三郎の芸人としての生きザマは、オイラの生理と感性に合っていて
大いに感化させられた。(略)自分で突っ込んでおいて、相手が受けられなければ
自分でボケてしまうという芸風。舞台のすべてを自分一人で仕切って譲らない、
師匠の独壇場の芸が好きだった。〉
そして別れ──幻の浅草芸人、59歳の早すぎる死
時代は変わり、テレビの世界が隆盛。
舞台芸人・深見千三郎は時代に取り残され、フランス座を離れます。
1983年、たけしが日本放送演芸大賞を受賞した直後──
深見は、自宅の火事で命を落としました。
享年59歳。
最後にたけしへかけた言葉は、茶目っ気たっぷりでした。
「タケ、お前が演芸大賞? 世も末だなぁ!」
その魂は、たけしを通して、今も私たちに語りかけています。
フランス座のほうは、ストリップもコントも芸を見せるものだという
深見の考えが上手く時代にマッチせずに経営が悪化しはじめ、
深見の持ち出しが増えていった。
昭和56年(1981年)6月いっぱいで深見はフランス座を離れ、浅草のスナックを借りきって行われた「深見千三郎を励ます会」には東八郎、萩本欽一、ツービートが顔を揃えた。
昭和58年(1983年)1月3日にフジテレビの日本放送演芸大賞を受賞したたけしは浅草の深見のもとへ。たけしの著書「ギャグ狂殺人事件」(作品社)によれば、深見は次のような言葉でたけしを出迎えたという。
「観たぞ…タケ! おめえが演芸大賞かい? アハハ、世も末だナ」
2人で5軒はしごをし、たけしは賞金の一部を師匠への小遣いとして置いていった。
そして同年2月2日の早朝、
深見は寝たばこが原因と見られる火事によって59歳で世を去った。
深見の芸人としての思いを受け継いだビートたけし。
そのたけしに憧れ、今回の映画を監督した劇団ひとり。
映画を観た若い人たちにも何かが伝わったに違いない。
【まとめ】──深見千三郎の生き様が、たけしの「原点」だった
舞台に命を懸けた芸人・深見千三郎
実践で芸を叩き込まれたビートたけし
「笑われるな、笑わせろ」という、芸人の魂
浅草という小さな劇場で交わされた師弟の教えが、世界の北野武を生んだ──
それは、今なお、色あせることのない真実なのです。
さいごに 北野たけし「名言」
というわけで、今回は以上です。
最後に北野たけし名言で締めたいと思います。
人生で楽しいことばかりじゃない。苦しいと思うことも生きている証だと思えば楽しめる。
必死にやってもうまくいくとは限らなくてどうにもならないこともある。それが普通で当たり前だってことの方を教えるのが教育だろう。
努力ってのは宝くじみたいなものだよ。買っても当たるかどうかはわからないけど、買わなきゃ当たらない。
ビートたけし生い立ちを知ることができ、あなたに元気を与えます!
舞台は戦後から高度成長期に沸く東京。
たけし少年の初めての記憶から、オリンピックを経て、学生運動の気運高まる時代の中、
新宿を彷徨っていた大学時代まで。
突き刺さるノスタルジーと青春のモラトリアム…。人間の本質に迫る私小説!
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最後までお読みいただきありがとうございます。
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