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陶芸家 辻村史朗、生きることは作ること奈良の仙人

生活
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TOM

陶芸家 辻村史朗さんとはどういう人なの? 陶芸作品はどうなの?

こういった疑問に答えます。

 

陶芸家 辻村史朗、生きることは作ること奈良の仙人

 

今回の記事は、ロバート・デ・ニーロなど名だたる海外セレブが愛し、メトロポリタンなど有名美術館も作品を所蔵する孤高の陶芸家が奈良にいる辻村史朗さん74歳。自宅は自ら山を切り開き井戸を掘り建てたもの。自生する野草やキノコを日々採り、畑で野菜を育て暮らいています。作陶も独学、露天で売るところから始め人生を極めたお話をします。

本記事の要約
  • 陶芸家の辻村史朗さんの人生の歩み
  • 辻村史朗さんの作品の特徴
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陶芸家の辻村史朗さんの人生の歩み

 1947年(昭和22年) 0才
奈良県御所市で牧畜を営む家の4男として誕生。1965年(昭和40年) 18才
東京駒場の日本民藝館で、大井戸茶碗に遭遇し、感銘を受ける。
このことがきっかけとなり、陶芸家を目指すことになる。
1966年(昭和41年) 19才
この年から3年間、奈良県の禅寺三松寺で禅の修行をする。

 1969年(昭和44年) 22才
リヤカーの車輪を利用した轆轤(ろくろ)を自作し、陶芸を始める。
この年、結婚。

 

1970年(昭和45年) 23才
奈良県奈良市水間の山中に自ら家を建て、自宅近くに窯を作る。
自身で作った茶碗やぐい飲みなどを、京都の道端で売って生計を立てる。1977年(昭和52年) 30才
奈良県水間の自宅で個展を開き、成功を収める。
山奥にも関わらず、多くの人が作品を見に訪れた。
1978年(昭和53年) 31才
大阪三越で個展を開催。
この個展で、古美術商の近藤金吾さんの眼にとまることになる。 1982年(昭和57年) 35才
古美術商の近藤さんが縁で、荒川豊蔵氏(人間国宝)と知り合いとなり。
辻村さんの作品が高評価される。

 

1993年(平成5年) 46才
ドイツのフランクフルトで、個展を開催。
イギリスのウエスト・ジュポンにも窯を作り、作品作りを始める。1994年(平成6年) 47才
イギリス・ロンドンで個展を開催。 1999年(平成11年) 52才
アメリカのメトロポリタン美術館やボストン美術館に作品が展示される。

 

2021年(令和3年)時点で、辻村さんは、74才です。

これまで辻村さんの人生の歩みを見てきましたが、
師匠はおらず、独学で陶芸を極めています。また弟子もとらない主義だそうです。

辻村さんには息子が2人いて、2人の息子も陶芸家であるが、師匠らしいことは何もしていないそうです。辻村さんは、22才から陶芸を始めますが、師匠を持たず1人で陶芸を極めているのは、すごいですね!

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辻村史朗さんの作品の特徴

 辻村さんが使う土

日本各地の粘土を取り寄せ、目的に応じて使い分けたり、土を混ぜたりして使用しています。

「どこそこの粘土でなければ駄目だ、地元の粘土でなければ駄目だという人もいるが、私は、作りたいものに合わせて粘土を選ぶ」

と語っています。

 辻村氏の作品の特徴

一見して荒々しい表情をしています。一部釉が施された作品もありますが、大部分の作品は、自然釉の掛かった、焼締陶器で、緋色、ビードロ、ビードロの流れ、焦げ、他の土との引っ付き、更には破裂や割れのある作品もあり、堂々とした作品に成っています。肌からは粗い長石の粒子が吹き出ていたり、「ぶく」が発生している所もあります。

自然釉大壷

自然釉大壷は高さが40~50 cmもある大物です。壷の表面に大きな丸い傷跡がみえます。これはこの傷跡を下にして、即ち作品を横倒しにして焼いた跡です。(流れた自然釉がこの円に向かっている事から推察されます。)又、土の塊や他の作品を肩に乗せたり、側面に貼り付けたと思われる作品もあります。

 

大壷

紐作で成形している様です。壷の中央部又は肩の部分に、土を繋げたと思われる跡(段差)が見受けられます。口は外側に捻り出され、首の部分は比較的短く、底の径も小さくなっています。全体に丸っこい形の壷に成っています。たぶん「ベタ高台」だと思われます。

 

花器

高さ30~50 cmの背の高い作品が多いです。土の塊の中央をえぐり穴を開ける方法で、花器にしたと思われます。無釉の焼き締めによる作品で、ビードロや焦げのある、表面が凸凹で大きな亀裂が入った作品が多いです。この亀裂は高温焼成により、偶然発生したものと思われます。表面や側面に、釘彫りと見られる人物(羅漢様?)が描かれていますが大きな亀裂の為、絵柄がはっきりしません。

花器の中には、砂を固めて焼成した様に見えるものもあります。即ち、器肌が細かい砂の粒子状に成っています。形も縦長で、縦や横方向に大きな亀裂が見受けられます。自然釉による青緑の色(還元焼成?)と、緋色や褐色の肌(酸化?)に成っています。

轆轤挽きで成形した作品

高さ29cm程度の作品です。伊賀耳付花入は、底が広く安定感があり、上部は筒形で高温により、又は故意に変形しています。

 

水指の作品

高さ16~24 cmの作品で、共蓋(土制の蓋)に成っています。伊賀耳付水指、伊賀矢筈口水指、伊賀三角水指など、伊賀の土を使った水指が多いです。

緋色、ビードロ、焦げと自然釉の掛かった水指で、大きな歪みや、切れや破裂したものも見受けられます。

 

抹茶々碗

井戸茶碗、粉引茶碗、信楽筒茶碗、引出黒茶碗、灰釉茶碗、灰釉、割高台茶碗、伊賀茶碗、長石割高台茶碗、信楽沓茶碗、志野茶碗、唐津茶碗など、あらゆる種類の茶碗を作っています。 辻村氏は今までに茶碗を1万個以上焼いたそうです。

皿や鉢

制作個数は比較的少ない様に思われます。皿は四方皿(縦横26cm)、伊賀手鉢(径24cm)、粉引鉦鉢(どらばち、径27.5cm)等があります。

 

北条羅漢を描いた陶板

72.7 X 53 cmの作品、周囲を茶色又は白色にし、中央の羅漢様を描く部分は黒くして、その中に羅漢を一体又は数体を釘彫りで描いています。釘彫りされた部分は、下地の白が浮き上がっています。

注: 北条羅漢とは、兵庫県加西市北条町北条1293、北榮山羅漢寺にある五百羅漢

(実数は約450体)の事で、制作者、制作年代不明ですが、慶長年間(1596~1614)ではないかと言われています。市指定文化財、兵庫県観光百選指定。

 

その他、同じ技法で、羅漢様ではなく、女性を描いた作品もあります。(53 X 33.3cm)

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まとめ

生きることとは何かを問いかける辻村さんの日々、23歳で、奈良の山の中に廃材を使って自らの手で家を建て、竈まで自作されました。まるで仙人のような生活!

さらには画家として多くの油絵を描くこともあり、書家としての腕前も超一級品。芸術界における万能の天才と言ってもよいかもしれません。

ストイックに美を探求し続ける陶芸家、辻村史朗さんを特集しました。作品に情熱を注ぐ姿はとてもカッコいいですね。私も将来は辻村さんの作品を自宅に飾れるようになりたいと感じました

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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