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【完全ガイド】葛飾北斎とは?『冨嶽三十六景』に込められた世界的アーティストの生涯と魅力

教育
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葛飾北斎とは?

葛飾北斎(かつしかほくさい)は、日本が誇る世界的な浮世絵師です。
代表作『冨嶽三十六景』で知られる彼は、90歳まで絵筆を手放さず、
欧米の芸術界にも大きな影響を与えました。

特にゴッホ、モネ、ドガなど印象派の巨匠たちに
インスピレーションを与えた存在です。

アメリカの『LIFE』誌が選ぶ「この1000年で最も偉大な業績を残した100人」に、
唯一の日本人として選出されたほど、世界で高く評価されています。

北斎の本名と多彩な画号

北斎の本名は「川村鉄蔵(かわむらてつぞう)」。幼名は時太郎、
そして成長とともに数々の画号を使い分け、生涯で30回も改名しました。
画号には自身の進化と挑戦を重ねた軌跡が表れています。

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葛飾北斎の波乱万丈な人生と画業

北斎の人生は、主に以下の5つの時代(画号)に分けることができます。


【1】春朗期(20歳~)

江戸本所割下水で生まれた北斎は、14歳で木彫り職人に、19歳で浮世絵師・勝川春章に弟子入り。20歳で「勝川春朗」と名乗り、役者絵で江戸画壇にデビューします。しかし狩野派や西洋画への関心が高じ、破門。この出来事が、彼を唯一無二の絵師へと導きます。

代表作:『正宗娘おれん 瀬川菊之丞』


【2】宗理期(30歳~)

勝川派を離れた北斎は、琳派の町絵師・俵屋宗理の名を襲名し「宗理」となります。この頃は狂歌絵本や肉筆美人画など、独自のスタイルを模索。オランダの版画にも触れ、新たな表現を開拓していきました。

代表作:『隅田川 渡の雪』


【3】北斎期(40歳~)

1805年、ついに「葛飾北斎」を名乗り、完全に独立。
読本の挿絵を多く手がけ、読本ブームを巻き起こします。
浮世絵、肉筆画、美人画と、多方面で大活躍しました。

代表作:『酔余美人図』


【4】戴斗期(50歳~)

50歳を過ぎると「戴斗(たいと)」と名乗り、絵手本制作に熱中。
代表作『北斎漫画』は、圧倒的なデッサン力で評判となり、
後に15編も刊行されるベストセラーに。
工芸職人向けの図案集としても支持されました。

代表作:『北斎漫画』


【5】為一・画狂老人卍期(60歳~晩年)

60歳を過ぎると「為一(いいつ)」に改名、『冨嶽三十六景』などの
風景版画を次々と発表。75歳で「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)」
を名乗り、晩年は肉筆画に没頭。死の直前まで、情熱を燃やし続けました。

代表作:『冨嶽三十六景』『肉筆画帖 鷹』


葛飾北斎の暮らしと驚きのエピソード

北斎は極度の変わり者としても知られています。
なんと、人生で93回も引っ越しを経験!

理由は単純明快で、作画に没頭するあまり、掃除をする暇がなかったため。
絵を描く場所が汚れると、家を変えるという破天荒な生活を送っていました。

また、彼の生涯の作品数は3万点以上とも言われ、
1日に1~2作品を仕上げるペースだったとか。まさに生粋のアーティストでした。


葛飾北斎が世界に与えた影響

19世紀後半、西洋では「ジャポニスム(日本趣味)」が大流行。
北斎の作品は、その美的感覚の象徴となり、
モネやゴッホたち印象派の巨匠に多大な影響を与えました。

特に『冨嶽三十六景』の独特な構図、線の美しさ、自然描写は、
西洋絵画に新しい視点をもたらし、モダンアート誕生にも寄与しました。
北斎は、日本文化の美しさを世界に知らしめた
「日本初のグローバル・アーティスト」といえるでしょう。


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まとめ

葛飾北斎は90年の生涯をかけて、常に挑戦し、成長を続けた偉大な芸術家です。その圧倒的な表現力と情熱は、時代や国境を超えて今もなお多くの人々に感動を与え続けています。
北斎の人生と作品を知ることは、日本の美と創造力の源泉を知ることに他なりません。

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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