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表現する言葉は半分も伝わっていないのが実態!その認識から変える

教育
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TOM

「ヤバイ」っていう表現、使う人が多いですね?
使いすぎないように心がけましょう!

 

 

どうして「ヤバイ」っていう言葉を使いすぎてはいけないの?

 

そんな疑問にお答えます。

 

訳の分からない表現の先にある意味?

 

結論:

自分が誰かに伝えたいと思うことは、実際に半分も伝わっていないのが現実だと思う姿勢が大切。
表現は程々に。
表現より現実が上回っている方が素敵です。

度を超えた表現は人生を楽しくします!

 

 

 

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表現は半分も伝わっていない?

他人が何かした時に「ヤバイ」って言うのは、自分に向けている言葉だと思います。

例えば、何か美味しい物を食べた時に、今まで自分はこんな美味しいものを知らなかった!!
で、「ヤバイ!」

自分の置いてきぼり感や自分のダメさ加減を確認しているという事、その恥ずかしさを誤魔化すために、乱暴な言葉を使います。

簡単にできる男らしさやアウトロー感でその場を凌ぐ。他には「てめぇ」や「うぜぇ」などの小さい「ぇ」が入って巻き舌になる表現も同じ、こういう乱暴な表現を安易に使うほど危ないことはありません。

魂にアウトローがない人ほど簡単に乱暴な表現を使って、薄っぺらな感じになります。

お互い薄っぺら同士で「やべぇ」「てめぇ」と言い合ってしまいます。
そして、気付かずに本物のアウトローの人にそういう表現をして、いつか痛い目に合うことになるのです。

 

他にも関わりたくない表現といえば、自分が一寸優位になるような時に、「オイシイ」という表現、

さもしく小狭い感が嫌で一切使ったことが無い。「イケてる」も同じ、品がありません。

一体何様がジャッジしているのか?そもそもそんなセンスがあるの?と思います。

みんなが使っているからと言って、そういう表現を使わない、参加しないのが正しいのです。

そもそも表現は自分が思っているほど、相手は理解してくれないし、自分が描いている事を思ってくれていないのです。

 

何故なら人はそれぞれ完成や暮らし向きが違いのですから。
当然目的を捉えるポイントも違います。

まあ半分くらいしか伝わっていないと思った方が良い、だから後で、ああ言ったじゃないか!ということが起きます。言ったはずは、言ってないのと同じ。
だからよく考えて表現したほうが良いのです。

 

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表現は現実を上回らない程度に!

芸能界なのでは、「俳優やっています」「歌手やっています」という人がいます。
自分で言いだした時点で、「俳優やっています」「歌手やっています」と、他人に「言って回っている係」になっていることに気づいていないようです。

「お笑い芸人です!」っと表現しちゃって、結果つまらないとなったら最悪ですよね!

料理人でも色々能書き言い出した時点でダメだと思います。
これはどこそこの魚ですとか、そんなこと言ったら、漁師さんとか、海の安全を守っている海上保安庁の人のお陰でしょう・・・?ということになります。

ただ美味しいものを作りました!で良いのです。

 

世間でも俺は社長だ! 部長だ! 釣りの達人だ!と肩書きで自分を表現する人は沢山います。
「そうでもないよね?」と他人に思われるきっかけを自分で作っているだけ。

 

言わぬが花です。

 

本当に凄い職人さんなどは「おれは鍛冶屋だ!」って言いません。
恥ずかしいから、ささくれだった指なんか見せないように暮らしています。
「おれは鍛冶屋だから、こんな指がささくれているんだ!」なんて絶対言いません。

つまり、表現より現実が上回っているほうが美しいのです。
夢にも通じるのですが、夢ばっかり語っているけど、現実が伴っていないのと同じ。
「僕は君を守る!」など言っても、具体的にっ守ることができるの?と疑われるだけ。
「ああ、この人だったら、生活に困らないように働いてくれるだろうな」って女性が思うような表現をしないといけません。

だから表現は程々で良いのです。表現が現実より上回っていないとスマートではありません。
自分の表現を相手は勝手に解釈してくれて、聞かれたら説明すれば良いのです。

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度を超えた表現は素敵!

 

一方で度を超えた表現はおもしろい!

私が20歳の位の時に聞いたラジオで聞いた表現で
「死ぬほど〜だ!」っていうのがありましたが、聞いた方は「死んでないじゃん!」という。
当時そんな事を誰も言わなかったけど、今は当たり前に使いますね。

他には「ほとんど〜じゃない」って否定形で使われていた表現がありましたが、これを「ほとんど〜だ!」って肯定形で使えばおもしろい。

普通みなさんは「ほとんど〜じゃない」って否定を期待しているのに、「ほとんど〜だ」って肯定でくるので、なんだこの表現?と面白がるのです。

例えば、大きなケーキを買ってきたら、普通は「分けてよ」と言います。

 

そこを「木っ端微塵にしてよ!」と言うのです。
普通、木っ端微塵は粉々にすることを言いますが、「ケーキを適当に切って分けて」を
「木っ端微塵にしてよ!」って表現するのです。そうすると言うのが面白くなって流行り出します。

その内ピザ屋さんで店員さんが「ピザ木っ端微塵にしますか?」なんて略して言うようにまで定着したりするかもしれません。

そして、ある時「木っ端微塵」って元々どういう意味?
となって、粉々にするって意味なのに誰かが取り分けることを大げさに表現するため
「木っ端微塵」を使ったらしいよ、なんて会話が生まれるかもしれません。

 

つまり度を超えた表現をすると、言葉として大きな回転を生む、だから楽しい。

難しく考えなくて良いのです。家庭で適当な返事に使う言葉は、例えば「ヤバイ」とか「可愛い」などを全部「合いの手」も言葉にしちゃうのです。

もう内容に関わらなくて良いのです、「かわいい服買ったんだ!」「あ〜ちょいなちょいな♪だねぇ!」とか。

表現の意味はコレだ!という直接的な行き先の短い言葉を使うのではなく訳の分からない表現の先にある意味を汲み取るのがスマートなコミュニケーションなのです。

確かにめんどくさいけど、生きている、とはめんどくさい事を紐解いていく作業だと思います。

面倒くさいことはせず、ただただ有りものをこなして行くというのは存在感が無い、
誰でもできることで、それだとご飯を食べて何かして寝て、の繰り返しになってしまうのです。

 

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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