
世界中で愛されるキャラクター「スヌーピー」。
その生みの親であるチャールズ・シュルツをご存じですか?
こんな疑問にお答えします。
スヌーピーというキャラクターを生んだチャールズ・シュルツは引きこもりの子供だった?
【結論】
子供の頃から恥ずかしがりで一人で時間を過ごすことが多かった。高校のイヤーブックスタッフに描いて提出したマンガは全て却下された。
↓
「ピーナッツ(PEANUTS)」の作者として知られる彼は、
実は子供の頃から内向的で引っ込み思案な性格だったのです。

この記事でわかることは
- 作者チャールズ・シュルツはどんな人物だったかわかります。
- スヌーピーに登場する人物はみじかな友人だった。
スヌーピーって、知らない人はいませんよね。で
は、その作者チャールズ・シュルツはどんな人だったのでしょう。
今回の記事は、スヌーピーの生みの親、チャールズ・シュルツを紹介します。
■ 引きこもりがちだった少年時代
チャールズ・M・シュルツ(Charles Monroe Schulz)は1922年、
アメリカ・ミネソタ州ミネアポリスで生まれました。
幼い頃から新聞のマンガが大好きだった父親の影響を受け、
自身もマンガ家になる夢を抱きます。
しかし、彼はとても内気で、人前で話すのが苦手。友達も少なく、
高校の卒業アルバムに提出したイラストもすべて却下されてしまうほど、
自信のない少年時代を送りました。
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■ 夢を追い続けた不器用な青年
13歳の頃、愛犬「スパイク」をモデルにした作品が新聞に
掲載されるという小さな成功を経験。
貧しい家庭環境の中でも母親に励まされながら、
「まんが家になる」という夢を諦めず、専門学校で学び続けました。
そして、勤めていた職場で出会った仲間たちが、
後に『ピーナッツ』のキャラクターたちのモデルとなっていきます。
チャーリー・ブラウン、ライナスなど、身近な人々との交流が作品の世界観を形作ったのです。
そんな彼らたちがモデルとなり、PEANUTS(ピーナッツ)の
登場人物が活躍しはじめたのです。
■ 軍隊での孤独とスヌーピーの誕生
シュルツの人生は順風満帆ではありませんでした。
最愛の母の死、そして第二次世界大戦中の軍隊での孤独な日々。
これらの経験が、彼の作品に深みを与えるきっかけとなります。
彼はこう語っています。
「軍隊での孤独が、チャーリー・ブラウンの心の重さになった」
「私は世界中の心配事すべてに怯えている。だからチャーリー・ブラウンも心配性なんだ」
このように、チャーリー・ブラウンはシュルツ自身の投影でもありました。
そのチャーリー・ブラウンを支える存在として登場するのが、楽観的な犬・スヌーピーです。
とある場面では、チャーリー・ブラウンがスヌーピーにこう話します。
「残りの人生を君を幸せにするために使いたかった。でもできなかった。ごめんね」
するとスヌーピーはこう返すのです。
「気にしなくていいよ。その前からずっと幸せだったから」
この言葉には、多くの読者が救われ、今もなお心に残っています。
■ ピーナッツの偉大な功績
1950年、ついに『ピーナッツ』がアメリカの新聞7紙で連載スタート。
その後、作品は世界75カ国・21言語・2,200紙以上で掲載される国民的コミックとなり、
スヌーピーは世界的アイコンへと成長しました。
シュルツは約50年間、1万7,897ものストーリーを自ら描き続けました。
アシスタントを一切使わず、全てを一人で完遂。その理由はこうです。
「これは自分の仕事だ。誰にも手伝わせない。シンプルさが大事なんだ」
と、妻ジーンさんは語っています。
1950年にアメリカの7紙で連載が始まった『ピーナッツ』。
現在も、75カ国21の言語、2,200紙で掲載されているほどの人気作です。
作中に登場するスヌーピーは、世界中に多くのファンを持つ有名すぎるキャラクターとなりました。
Morning mantras pic.twitter.com/epgDL7ibYa
— PEANUTS (@Snoopy) July 28, 2022
Happy #InternationalDayOfFriendship! pic.twitter.com/stuZkIjF5v
— PEANUTS (@Snoopy) July 30, 2022
大きな画用紙に最小限の線でシュルツが描いたのは、
犬と小鳥と子どもたちの間で繰り広げられるできごと。
身の回りの事象から話を練り、文字と絵柄を描きました。
報われない恋に、負けてばかりの野球チーム。
ありふれた生活を時にシニカルに機知に富んだ想像力で映し出しました。
50年間ほぼ休まず紡いだ物語は1万7897にのぼります。
アシスタントはなし。すべてひとりで描きました。
しかしながら、シュルツの人生は、けして順調なものではなかったのです。愛する母の死、軍隊への入隊。
軍隊で過ごした3年間でシュルツは、いやというほど孤独を味わったのです。彼が経験した過酷な体験は、「Peanuts」の登場人物の性格や作風へと受け継が流ようになりました。
「誰もが経験する寂しさへの私の思いは、チャーリー・ブラウンの上に重くのしかかっています」とし、「軍隊にいた時の経験から、不安で居心地の悪い思いがどのようなことかよく分かる」
と述べています。
そして、「この世の心配の種のすべてについて心配する心配性なので、
チャーリー・ブラウンも心配性になってしまいました」と、
チャーリー・ブラウンがシュルツ自身であるかのように語っているのです。
そこで、その心配性の対処法として登場するのがスヌーピー!
例えば、学校をやめて残りの生涯を、スヌーピーを幸せにすることにささげると
言い出したチャーリー・ブラウンだが、結局無理だと分かったときのセリフ・・・
「残りの生涯を、君を幸せにすることにささげられると、ほんとうに思っていたんだよ・・・うまくいかなくて残念だ」
に対してスヌーピーは、
「気にしなくていいよ。その前からずっと幸せだったんだから」
とつぶやくのです。
シュルツは、夢である”まんがを描く”ことを続け、
2000年に77歳で亡くなるまで、スヌーピーとチャーリー・ブラウンと仲間たちの物語を描き続けました。
■ そして伝説へ…
チャールズ・シュルツは2000年、77歳でこの世を去りました。
最期までスヌーピーとチャーリー・ブラウン、
そして仲間たちの物語を描き続けたその姿勢は、多くの人の心に刻まれています。
引きこもりがちだった内気な少年が、世界中に希望と笑顔を届けた――。
それが、チャールズ・シュルツの偉業なのです。
やなせたかし【アンパンマン】は勇気を世界中に与えた!勇気の花がひらくとき
スヌーピーミュージアムへ行こう!
2019年12月、東京都町田市に移転開館したスヌーピーミュージアムには原画が並んでいます。
下書きはうすく、黒いインクは濃淡様々。ペン運びは自在だ。作品を所蔵する米チャールズ・M・シュルツ美術館のカレン・ジョンソン館長(73)は「作品を読めば僕がわかると言っていた。決して面白いわけではないけれど、スマートでラブリー。そして我慢強い人だった」と言います。
チャールズ・シュルツ生誕100周年記念!
スヌーピーミュージアム初!
ウッドストックがテーマの新企画展「ちいさなベストフレンド ウッドストック」
2022年7月16日(土)~2023年1月9日(月)開催
会期 :2022年7月16日(土)~2023年1月9日(月)
時間 :10:00~18:00(入場は17:30まで)
休館日:8月16日、1月1日
- 住所
- 東京都町田市鶴間3-1-4
- 電話番号
- 042-812-2723
- 営業時間
- 10:00-18:00(入場は17:30まで)
- 年中無休(2022年8月16日、2023年1月1日は休館)
※ミュージアム専用の駐車場はありません。
※グランベリーパークの駐車場サービスは対象外です。
子供に夢を!
株式会社ドリームブロッサムが提供しています。
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「選び方」が豊富なため、年齢ではなく習熟度や好みの傾向で知育玩具を選べます。
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最後までお読みいただきまして
ありがとうございました!
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コメント
おはようございます。子どもの時に買ったスヌーピーのマグカップを今でも使用しています。もう40年以上です。スヌーピー大好き❤
こんにちは!コメントありがとうございます。 内容が満足できなければ言ってください。修正したり付け加えます!