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志村けんとビートたけしの仲は深い絆で結ばれていた日本のお笑い帝王

エンタメ
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TOM

志村けんさんビートたけしの仲はどうだったの?」

志村けんさんとビートたけしさんはライバル関係から
どういうつながりがあったの?」

志村けんさんとビートたけしさんの関係が知りたい!」

 

こういった疑問に答えます。

 

志村けんとビートたけしの仲は深い絆で
結ばれていた日本のお笑い帝王

 

志村けんさんが急逝して約2年が経ちました。同時代を生きたライバルであり、
戦友でもあったのがビートたけしさん(75)です。

かつて二人は、『8時だョ!全員集合』と『オレたちひょうきん族』の主力メンバーとして活躍し、
人気を二分。

その戦いは土曜日夜8時の「土8戦争」とも称され、壮絶な視聴率競争を繰り広げました。
しかし、そんな二人ですが、1998年からバラエティーでの共演が増えていきます。

今回の記事は、志村けんさんとビートたけしさんの関係と絆についてまとめました。

 

■この記事でわかること
  • 志村けんとビートたけしのプロフィール
  • 志村けんとビートたけしの仲
  • 志村けんとビートたけしの絆(フライデー事件)
  • 志村けん 名言集

 

結論:

志村さんとたけしさん、二人の相違点とは?
たけしさんは、漫才ブーム、『ひょうきん族』という関西色の強い潮流の中で、ほとんど一人で東京の笑いを背負っていた。
一方で志村さんは、いかりやさんがネタのヒントにしていた関西の演芸文化を吸収しつつ、関東を代表するドリフターズの笑いを継承していたのだ。

 

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志村けんさんとビートたけしさんのプロフィール

志村けん(しむら けん)
本名:志村康徳(しむら やすのり)
生誕:1950年2月20日
出身:東京都東村山市
コメディアン、お笑いタレント、司会者
ザ・ドリフターズメンバー
死去:2020年3月29日(70歳没)

ビートたけし
1947年1月18日生まれ。東京都出身。1973年に浅草フランス座で芸人修業中に知り合ったビートきよしと漫才コンビ「ツービート」を結成。1980年代の漫才ブームで一躍人気者になる。その後映画監督・北野武としては、1997年にベネチア国際映画祭グランプリを受賞。

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志村けんとビートたけしの仲

二人を引き合わせたのは、この“東京、もしくは関東の笑い”という接点だった。

1990年代は、ダウンタウンをはじめとする関西の若手芸人たちが、
東京を拠点に活動し始めた頃だ。

たけしさんは、この流れに危機感を抱いた。
一方の志村さんも、アドリブの多い関西風のトークバラエティーに頭を悩ませていたのだろう。

そんな背景を知るはずもない当時の私は、テレビの前で『バカ殿様』で共演している
二人を見てドキドキしていた。

今まで相容れない芸風だと思っていた二人が同じ画面にいるのだから当然だ。
実際に出演者のたけしさんもやり方の違いを感じたようだが、
その後もコントやバラエティー番組での共演は続いた。

たけしさんは好奇心旺盛で、実は優しい人だと感じる。
たとえ自分と考え方や方法論が違っていても、興味があれば自分のほうから
出向いてコンタクトをとる印象が強い。

志村さんに対しても、タイプの違う芸風だからこそ、
なにかしら化学反応が起きると期待していたのだと思う。それだけに、もう少し二人の距離が近づいていたら……。

いや、二人の共演をリアルタイムで見られた私たちは、本当にラッキーだった!

 

 

志村けんさんとビートたけしさんの関係性を示すエピソードのひとつに
「たけし軍団」結成の理由があります。

たけし軍団ができた時に、志村けんさんが「軍団作って、何するの?」と
ビートたけしさんに聴くと「ザ・ドルフターズみたいに、台本のあるコントがしてみたいんだ」
とビートたけしさんが答えたそうです。

この返事を聞いた志村けんさんは、「オレたちひょうきん族」が「8時だよ全員集合」とは
ライバル関係にあったのに、ビートたけしさんが台本のあるコントで人気を集めていた
ドリフターズに対してコントの憧れがあったエピソードです。

たけしさんは、志村けんさんのバカ殿が大好きで、自分の軍団員に「殿」と
呼ばせたという話は有名です。

志村けんさんとビートたけしさんは、この頃は2人で食事に行ったりゴルフに行ったりして
絆を深めていきます。

また当時よく二人で西麻布に飲みに行き、ビートたけしさんがそこで、
「『バカ殿』はダチョウ(倶楽部)使ったりして面白いね」って言ったら、
志村けんさんは「出る?」「いいの?」って軽いノリで出演が決定。

1998年にビートたけしさんは『志村けんのバカ殿様』に出演しました。

そしてそれ以降は『加ト・けん・たけしの世紀末スペシャル!!』や『神出鬼没!タケシムケン』など
共演が増えていきます。

志村さんは基本的にすごく気を遣う人だしマジメな人。
そしてコントに対してもマジメ。“つくり上げたバカバカしいこと”が面白いと
ビートたけしさんが言われています。

志村けんさんとビートたけしさんの出演する番組がライバル関係にあるにも関わらず、
お互いに相手を尊敬し刺激を受けながら、独特な笑いの世界を築いていきました

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志村けんとビートたけしの絆(フライデー事件)

志村けん伝説

ビートたけしを救ったのは志村けん!

ビートたけしさん起こしたフライデー事件後、一時的に業界で干された時、志村けんさんがビートたけしの家族と「たけし軍団」の家族の生活費の面倒をみていました。

当時の志村けんとビートたけしはライバル関係でした。「かとちゃんけんちゃんごきげんテレビ」と「ひょうきん族」で視聴率を争っていました。

しかし志村けんさんはビートたけしさんを助けました。ビートたけしさんの著書に書いてあります。

「おそらく、けんさんの出費は3億円はくだらない!」

そしてビートたけしが出所後 志村けんさんとこんなやり取りがあったそうです。

ビートたけしさんは、言います

「ご迷惑おかけしました。軍団がお世話になりました。お金は必ずお返しします」

そうすると志村けんさんはこう言いました。

「たけしさん、俺は口下手だから、うまく言えないけど、今回の事は気にしないでよ!俺が勝手にやった事だから」

それよりも、今まで通り、どっちがお客さんを笑わせるか、ライバルでいてくれよ!だから今回の事は忘れてくれよ!」「今まで通り、頼むよ!」

 

志村けん名言集

最後に志村けんさんの名言で締めたいと思います。

自分でも飽きてきたというほどやり込んだときに、ようやく世の中がそのギャグを受け入れてくれる

 

コメディアンは自信家でなきゃできない

 

辛い事があっても笑っていれば、瞬間その辛さを忘れることができる

 

人を動かそうとする前に自分が模範にならないと人はついてこない

 



 

 

浅草キッド (講談社文庫)“>多くの芸人からバイブルのように読みつがれたビートたけしの自伝的な青春小説、待望の復刊決定!

芸人たけしが生まれた浅草の街と唯一無二の師匠の物語。
ビートたけしが万感の思いで贈る自伝小説。

音楽 浅草キッド ビートたけし

まとめ

今の日本のお笑いの世界の礎を作ってきたとも言える、志村けんさんとビートたけしさん。

お二人は、同じ時代にコントと漫才という別の世界感で、日本の笑いを引っ張ってきました。

そんな2人は、お互いを尊敬しともに芸風を高めてきたことがわかりました。

新型コロナで、惜しまれつつも突然に世を去った志村けんさんに、敬意を込めてこの記事を贈ります。

生で志村けんさんをもう一度見たい!

少しでも参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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コメント

  1. こて より:

    面白かったです、勉強になります🌈

  2. いつも有難うございます!^_^