佐久間象山から勝海舟そして坂本龍馬に引き継がれた和魂洋才とは?
西洋文明を受け入れる際に唱えられた、佐久間象山の考えを表した言葉は 「東洋の道徳、西洋の芸術」と「和魂洋才」どんな意味なの?こんな疑問にお答えします。幕末の佐久間象山から受け継がれた【和魂洋才】とは?元治元年7月11日(1864年8月12日)、佐久間象山が京都で暗殺されました。幕末を代表する兵学者、洋学者であり、多くの人物に影響を与えたことで知られます。 元治元年、佐久間象山は禁裏守衛総督を務める一橋慶喜に招かれて上洛、象山が持説としていた公武合体と開国論を述べました。もちろん佐久間象山の言う開国とは西洋に迎合するものではなく、公武合体で日本が一丸となり、開国して、西洋に抗しうる最新の軍備を整えて列強の侵略を防ぐという、当時としては最も現実味のある策です。しかし開国を説くことで、「西洋かぶれ」と誤解された象山は、帰宅途中、三条木屋町付近の路上で、肥後の河上彦斎らに斬殺されました。享年54。 今回の記事は、勝海舟、坂本龍馬を育てた佐久間象山が言った「和魂洋才(芸)」についてまとめました。